森永卓郎の戦争と平和講座

 民主党が自民党に対する明確な対立軸を打ち出せないなかで、参議院選挙で自民党が圧勝する公算が高くなっている。多くのエコノミストが、「アベノミクスはこれまで財政出動と金融緩和で経済の期待だけを高めた。日本経済を成長軌道に乗せるためには、参議院選挙のあとに実行される第三の矢、すなわち成長戦略が重要だ」と語っている。しかし、この「成長戦略」こそが、最悪の結末を日本の経済や社会にもたらす。私は、成長戦略の実行によって、小泉構造改革の悪夢が再び日本を襲うと考えている。

 これまで日本経済の急回復を支えた金融緩和は、けっして特殊な政策ではない。小泉内閣の時代、株価はおよそ2倍に上昇した。その原因を作ったのは、小泉内閣の初期に行われた金融緩和だった。2001年1月、森内閣の末期にマネタリーベースの前年比伸び率がマイナス6%となる空前の金融引き締めが行われていた。それが小泉内閣になってどんどん伸び率が高まり、2002年4月には前年比プラス36%にまで高まった。1年3ヶ月で資金供給の伸び率を40ポイントも高める大幅な金融緩和が行われたのだ。小泉内閣時代の好景気はこの金融緩和によってもたらされたと言ってよい。日銀の黒田新総裁が異次元の金融緩和を宣言した今年4月のマネタリーベースの前年比伸び率が23%だったことを考えると、いかに小泉内閣の金融緩和が大きかったか分かるだろう。そしてその効果が絶大だったことも、いまと同じなのだ。ただし、小泉内閣のときには、金融緩和に続けて行われた構造改革政策によって、正社員が激減し、代わりに低賃金の非正規労働者が増えることで、所得格差がどんどん拡大していった。

 例えば、小泉内閣の5年間で上場企業の役員報酬は2倍に、配当金は3倍に増える一方で、サラリーマンに支払われる給与と賞与の合計である雇用者報酬は、ずるずると減っていったのだ。製造業への派遣労働の解禁に代表されるさまざまな規制緩和の成果だった。

 安倍内閣はそれと同じ、あるいはもっと極端な「構造改革」を断行しようとしている。その象徴がTPPへの交渉参加だ。もし日本が正式にTPPに参加するようになれば、そのインパクトは小泉構造改革の比ではない。農業が切り捨てられるだけでなく、日本社会全体がアメリカ並みの弱肉強食社会に変貌するのだ。

 その予兆はすでに現れている。例えば、雇用面でいうと、産業競争力会議が打ち出した解雇規制の緩和だ。会社が社員を解雇し、その後、裁判所で不当解雇であるという判決が出ても、職場復帰をさせることなく金銭の支払いで解決するという制度の導入を打ち出したのだ。この規制緩和は、世論の猛反発を受け、政府がいったん矛を収める形となったが、舌の根も乾かぬうちに、また同じような政策提案がなされている。

 政府の規制改革会議が6月5日、一定の勤務地や職種を限定して働く「限定正社員」を活用できるように制度を整備すべきだという答申をまとめたのだ。限定正社員というのは、勤務地や仕事内容などが限定された形で働く正社員で、すでにスーパーなどの流通業で導入されている。規制改革会議は、パートタイマーを正社員化するための手段として限定正社員を位置づけているが、もちろんそれは詭弁だ。規制改革会議は、限定正社員を通常の正社員より解雇しやすくすることも求めているからだ。もしこの制度が導入されると、新卒採用や中途採用はおろか、既存の正社員も「限定正社員」にさせられ、正社員と比べて賃金が低いだけでなく、クビも切りやすい不安定雇用層にされてしまうだろう。

 そのほかにも、5月28日に政府がまとめた成長戦略の工程表には、今年度中の改正を目指して、労働者派遣法の規制緩和が盛り込まれている。現在は、専門26業務を除いて最長3年に限定している派遣労働者の受け入れ期間の規制を撤廃しようというのだ。さらに外国人労働者の受け入れ拡大も盛り込まれた。高度な専門技術を持つ外国人は、これまでの5年ではなく、3年で永住権が取れるようにするというのだ。外国人労働者の増加は、労働市場での競争激化を通じて、日本人の労働条件を悪化させることになる。

 さらに、安倍政権は、再来年度までに労働移動支援助成金の額が、雇用調整助成金の額を上回るようにするとしている。これまで日本政府は不況が来たときに、企業が従業員をクビにしないように求めてきた。その代わりに雇用調整助成金で、企業の雇用維持のためのコストの一部を負担してきたのだ。ところが、今後は方針を転換する。クビにしたい企業はどんどんクビにして下さい。政府は、クビにされた労働者の転職を支援しましょうというのだ。

 これらの施策をみただけでも、安倍政権が小泉内閣以上の格差社会を作ろうとしているのは明らかだろう。それでも、成長戦略が必要だという評論家やエコノミストは、間違いなく勉強不足か体制側の味方と言って間違いないだろう。

 

  

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第60回コイズミの悪夢再び」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    小泉改革を経て、大きく広がった経済格差。
    それ以上の格差拡大が、この先には待ち受けているのでしょうか。
    一握りの「勝者」だけが富を握り、
    残りの人たちは使い捨てにされる。
    そんな「悪夢」を現実のものにしないためには。
    皆さんは、どう考えますか?

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森永卓郎

もりなが たくろう:経済アナリスト/1957年生まれ。東京都出身。東京大学経済学部卒業。日本専売公社、経済企画庁などを経て、現在、独協大学経済学部教授。著書に『年収300万円時代を生き抜く経済学』(光文社)、『年収120万円時代』(あ・うん)、『年収崩壊』(角川SSC新書)など多数。最新刊『こんなニッポンに誰がした』(大月書店)では、金融資本主義の終焉を予測し新しい社会のグランドデザインを提案している。テレビ番組のコメンテーターとしても活躍中。

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