- 特別企画 -

撮影者:植田千晶

 6月27日土曜日、午後4時、週末の賑わいを見せる渋谷ハチ公前――SEALDs(シールズ:自由で民主的な日本を守るための、学生による緊急アクション)が「戦争法案に反対するハチ公前アピール街宣」を行った。前日の金曜日のような豪雨は避けられたものの、湿度は高い。怒涛の日々が続く中で、そういえばもう7月も近いのだと蒸し暑さが気づかせてくれた。カレンダーはあまりあてにならない。

 24日に会期末を迎えるはずだった今国会は、9月後半まで延期となった。これから約3カ月の長期戦ではあるが、ハチ公前に悲壮感が漂うことはなく、老若男女問わず全世代が総結集して戦争法案に力強く異を唱えた。とりわけ政治に無関心だとか投票率が低いだとか言われる若い世代が多く参加していたことは、特筆すべきことであろう。

 野党もまた総結集した。維新、共産、社民、生活、民主――彼らは一致団結して戦争法案反対のための街宣に参加し、声をあげた。超党派で立憲主義への蛮行に対する怒りを訴えるなんてことが、いまだかつてあっただろうか。もはやここには護憲派や改憲派といった枠組みはない。

 はっきりとNOの声をあげる政治家たちの話にはもちろん心打たれたが、SEALDsのメンバーが“WAR IS OVER-IF YOU WANT IT”という横断幕がつけられた街宣車の上からスピーチする姿は圧倒的だった。彼らはだれかが反対しているから反対するのではない。それぞれが自分の中にあるそれぞれの知性で、反対の声をあげる。紋切り型のことばも感情論で片付けられることばも、ここにはない。一方で感情抜きのことばもここにはない。

 「おしゃれ」「若者」「ヒップホップ」――メディアを通して報じられるSEALDsは、確かにおしゃれな若者で抗議行動ではラップを披露する。今回の街宣でもおしゃれな若者がスピーチをしていたし、渋谷にラップが鳴り響いた。まるでファッション雑誌に出てくるような若者が政治に無関心ではない姿は、メディアにとって、大人たちにとって、あるいは若者たちにとって新鮮に映っているにちがいない。彼らがデザインするリーフレット、フライヤー、HP、サウンドカーと抗議行動――これらは多くの人を引き寄せたであろう。 
 多くの人に届くためのかっこいいデザインはしかし、かっこいいデザインのためのかっこいいデザインなどではなかった。SEALDsがかっこいいデザインに頼っていただけであるのなら、これだけ多くの人を引き寄せ続け、応援したいと思わせることはなかっただろう。彼らの主張が論理的であり知性に根ざしていることこそが、反知性主義への抵抗こそが、多くの人の関心を呼び起こし続けているのではないか。私は、彼らのスピーチを聞くたびに、彼らの主張が、ひとりの若者、ひとりの学生、そしてなによりひとりの知的な人間の主張であると思わせられる。

 世代も党派も超え、多くの人を巻き込み続けるSEALDsの力は底知れない。緊迫した空気の中で、SEALDsは様々な場面において「本当に止める」ための最善策を選び続けていると個人的には感じている。現政権の反知性主義に真っ向から対立する多くの知性は、必ずや愚かな現政権を「本当に止める」ことができる。私たちの未来は私たちのものなのだからこそ、一人ひとりが自分事として反対の声をあげてゆかねばならない。最後に、SEALDsメンバーのひとりが「戦争法案に反対するハチ公前アピール街宣」で行ったスピーチの一部を引用して、文章の締めとする。

 平和といわれるこの日常の中で、なにもかもが用意されている中で、私たちは気づかぬうちに想像力への敬意を失いました。いまあるものすべては、いつの間にか気づかない間に、一瞬で消え去ることができるんだって、そんなことすら忘れきってもう70年間が経ってしまいました。無関心だった大人たちを責めるつもりはありません。ただもうこれ以上、素知らぬふりを続けないでください。

 相手は、たとえ立憲主義を理解していなかろうが、ポツダム宣言を読んだことないと言っていようが、権力者であることに変わりありません。私や私の仲間がこうしてこの場所にこうやって立つことで、どれだけのリスクを背負っているか、きっと想像に難くないはずです。けれど私はこうすることで、私自身が背負い込むリスクよりも、現政権に身を委ねた結果、訪れる未来の方がよっぽど恐ろしく思えるのです。

 もう他人事ではありません。すべての国民が当事者です。想像力を捨て、目先の利益にとらわれ、独裁的な権力者に首を繋がれた、そんな奴隷になりたいですか。私はいま自分の持つすべての可能性をかけて、この法案とそして安倍政権を権力の座から引きずり下ろします。そうすることでしか私の望む、そして受け入れるにふさわしい未来がやって来ないからです。

 4年前の震災で私は被災こそしなかったけれど、それが私に、とてもたくさんのことを教えてくれました。国や権力は助けてくれないんです。どれだけ困ってたって、黙ってたら、手を差し伸べてくれるわけじゃないんです。ただそこに座ってたら、なにか素晴らしいことがやってくる――そんなのはただの幻想でした。

 身を危険にさらして行動をしたからといって、必ずしも自分の望むものが手に入るとは限らない。けれどそうすることで、もしそこに残り1%の可能性でも残っているのなら、私はすべてのリスクを背負って声をあげることをやめません。そして、同じように思ってくれる人がひとりでも多くいてくれることを、心の底から祈っています。

(『戦争法案に反対するハチ公前アピール街宣』SEALDsメンバーのスピーチより)

 

  

※コメントは承認制です。
「戦争法案に反対するハチ公前アピール街宣」――反知性主義への抵抗」 に3件のコメント

  1. 「反知性主義」って言い方、スゲー頭に来るんですけど。それってある意味究極のパワハラじゃないですか。東大法学部卒の司法試験合格者が、中学中退の労務者のおっちゃんに、「中学中退の漢字もマトモに書けないようなやつが俺様に文句言うんじゃねー」って言ってるようなもんでさ。で、実際、吉本隆明なんかはそういったことに対して「大衆の原像」って言葉で批判したわけでしょう。
    まあそういう意味で使ってるんじゃないんだろうけど、それにしてもカチンと来る!

  2. 島 憲治 より:

    小学5年の聾学校に通う孫。デパートの七夕ツリーに掲げたのが「平和を望む。戦争はいやだ」であった。
    国会前抗議でモに参加する勇気がさらに沸いてきた。「イノシシ内閣」に抗するには行動に表すことだとつくづく感じる。

  3. hiroshi より:

    シールズのスピーチの動画観ました。
    https://www.youtube.com/watch?v=kOBIxy_aLAs
    https://www.youtube.com/watch?v=wMfpd-R1mVw
    https://www.youtube.com/watch?v=fk3XIoKD0D0
    https://www.youtube.com/watch?v=ffdUU124L3c
    鳥肌が立ちました。反知性主義的な感想ですが、それでも良いと思っています。
    「今必要なのは知識じゃなく、声を上げることです」〜札幌で「戦争したくなくてふるえる」と銘打ったデモの主催者(19歳フリーターの女子)の方の言葉です。http://iwj.co.jp/wj/open/archives/250649
    地元でもシールズに影響を受けた動きが起きつつあるようです。私も一緒に声を上げようと思います。

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