マガ9備忘録

小雨の降る12月4日、東京・西荻窪の信愛書店 スペースen=gawaで、『ヘイト・スピーチに抗する人びと』(新日本出版社)刊行記念のトークイベントが開かれた。35人入るかといわれた会場に50人近くが集まり、人々の熱気に包まれた。

会場は、この地で創業80年の信愛書店が生まれ変わった空間である。新刊、古本、雑貨を扱う店と、さまざまな形で利用できるコミュニティスペースが一体となり、この12月1日からオープンしたばかり。クリスマス飾りがあしらわれた会場でトークするのは、この著者の神原元弁護士と「レイシストをしばき隊」を創設した編集者の野間易通さんだ。

kanbara&noma

お2人のトークの詳細は、近日発行の図書新聞に掲載されるとのことなので、本稿では、私の印象に残った点を申し述べたい。

まず、ヘイトとカウンター「どっちもどっち」論を言う人は、カウンター登場前を見ていないから言えるのだという指摘だ。会場では、在特会が傍若無人に通行人や店員を脅してまわる「お散歩」の様子もプロジェクターで映されたが、実に醜悪。デモはともかく、「お散歩」だけは阻止しようと始まったのが「しばき隊」だったのだ。

静かに阻止する予定が、あまりの酷いヘイトスピーチに、この会場にも来ていたカウンターの伊藤大介さんが思わず「何だこの野郎!」と声を上げたという。しかし、これが「ゴングとなる第一声だった」(野間さん)。

そう、直観的な怒りは力になる。不正に対して直接怒らず、ああだこうだと理屈をつける悪しき価値相対主義だと、結果的に何が正しいか分からなくなってしまう。伊藤さんの第一声はそれを破り、身体性を獲得した瞬間だったのだ。

もうひとつは、神原さんが自身で作ったという「リベラル原則」という言葉だ。自由が規制されるときに、「なぜ規制されるのか」という観点で考えることがこの社会ではあまりにも少ない。そこで援用すべきがフランス人権宣言第4条だ。

自由は、他人を害することのないもの全てを、なし得ることに存する。

たとえば、各人の自然権の行使は、それが社会の他の構成員に、これらと同じ権利の享有を確保すること以外の限界を持たない。

これらの限界は、法律によって定めることができるに過ぎない。

『ヘイト・スピーチに抗する人びと』(117ページ)にもある通り、「個人の人権は、たとえば『社会の秩序』だとか、『公序良俗』『街の景観保護』のような曖昧な理由で制限されてはいけない」のだ。これが「リベラル原則」。だから、例えば「他人を害することのない」ろくでなし子さんらの逮捕はおかしいし、「他人を害する」差別扇動のヘイトスピーチは規制すべきということになる。

では、どこで線を引くべきか。虐殺、殺人、暴力の扇動は当然だろうが、あらゆるヘイトスピーチを規制することはやはり難しいだろう、ということだった。そうなると線引き以前の「差別、カッコ悪い」ということを流行させていくのもひとつの方法なのかもしれない。

ほかにも、カウンターの前線に立っている人などからの発言や質問が相次いだ。神原さん、野間さん、会場の人々も含め皆が、ヘイトスピーチの底にある差別そのものと格闘することを決意した夜だった。(中津十三)

 

  

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