木内みどりの「発熱中!」

映画、テレビ、舞台と幅広く活躍してきた女優の木内みどりさん。
3・11以降は、脱原発についても積極的に活動しています。
脱原発への思いや憲法のこと、政治や社会参加についてなど、
日々の暮らしや活動のなかで感じていること、気になっていることを
「本音」で綴っていただきます。月2回の連載でお届けします。

第9回

「表現の不自由展 消されたものたち」

 素晴らしい貴重な展覧会、でした。

 「展示中止」「掲載拒絶」「作品撤去」「自粛」「検閲」。いろんな形で私たちの目の前から遠ざけられているものを集めて、展示してくれました。

 絵画・写真・彫刻・俳句・映画・テレビドラマと作品の形態は様々。

 1月18日から2月1日まで小さな「ギャラリー 古藤」での開催。
 わたしは4回、通いました。

〈テレビドキュメンタリー
「放送禁止歌~歌っているのは誰? 規制しているのは誰?」〉の回

 1999年放映のドキュメンタリー番組。監督の森達也さんのアフタートークが貴重でした。
 放送禁止と指定されて放送できなかった歌の数々。

〈テレビドラマ「ひとりっ子」〉の回

 1962年・RKB毎日放送制作。
 試写会まで行われた芸術祭参加ドラマなのに、直前になって突然放送中止となった「幻の映像」。すでに亡くなった俳優の加藤嘉さん、今福正雄さん! 仕事をご一緒したことがあるのでお声を聴いて懐かしさで胸がいっぱいでした。山本圭さん、佐藤オリエさんの若々しい姿にも感激。

 このドラマの演出をされた久野浩平さんはこの放送中止事件以降、RKB毎日放送をお辞めになって東京に移り、テレビ朝日・フジテレビ・TBS・テレビ東京でたくさん演出されています。わたしも武敬子さんプロデュース作品でたくさんご一緒しています。
 そうそう、久野浩平さんはラジオドラマ『中村一郎』で、まだまだ駆け出しだった劇作家・寺山修司の才能を見出したことでも有名です。

 スポンサーの東芝が降りることで突然中止となった経緯などを詳しく解説してくださったのは、「放送レポート」編集長の岩崎貞明さん。
 左がこの展覧会を企画された武蔵大学教授の永田浩三さん、右が岩崎貞明さん。

 この岩崎さんが書かれた本『放送中止事件50年――テレビは何を伝えることを拒んだか』(メディア総合研究所)を買ってきて読みました。

 1953年2月1日、NHK東京テレビジョンが本放送を開始してからの50年間にどんなものが放送中止となってきたのかを教えてくれる貴重な記録です。
 ショックなのは、1953年から2003年の50年を描いたこの本の出版時から、2015年の現在までさらに12年が経過していますが、実はこの12年間は、放送中止となる番組が殆どなかったということ。
 それは、呆れるほど簡単な理由です。誰も、どこも、放送中止になりそうな題材を選ばない…企画しないようになったから・・・。
 「自粛」「自主規制」。
 制作する側が自主的に大きな力には逆らわない、長いものに巻かれていくようになってしまった。空気を読んで自粛・自主規制・・・。
 こんな現実を詳しく知って、悲しく、溜息が漏れてしまいます。

〈澤地久枝さん〉の回

 1月31日、この回は澤地久枝さんのお話だけで終始しました。会場は澤地さんのお話が聴きたい、お元気な澤地さんにお会いしたいという方で満席。刺激に満ちた時間でした。
 澤地久枝さんは、先日の「女の平和1・17国会ヒューマンチェーン」で着ていらした真っ赤なコートで可愛らしいお姿でした。この写真は永田浩三さんが撮ってくださったものです。

 「戦争が終わった時、あ~~神風は吹かなかったな~って思いましたよ」

 「出てこいニミッツ、マッカーサー、出てくりゃ地獄へ逆落とし♫ なんてね」

 「まど みちおさんも鶴見俊輔さんも慰安所なんてところには一度も足を踏み入れなかった」

 「わたしを捕まえたければ捕まえなさい、わたしは怖れないで自分の思ったことを言い続けます」

 「アカと呼ばれてもバカと呼ばれてもいい、小さな旗を掲げて歩き続けます」

 「もうみんなね、黙ってちゃダメ、みんなもっと喧嘩してかなきゃ」

 「打っても響かない人が多いけど、絶望はしない、希望を持っています」

 「なんでみんな、身を守るように保守的になっちゃったんでしょうね。この70年間で自分の意見を持たない『お豆腐人間』ばかりになっちゃった」

 「デモで大声上げたり拳を突き上げたりは好きじゃないから、ただ黙々と歩きます、歩ける限り歩きます」

 「五味川純平さんの助手を9年、その後、中央公論の編集者として9年、いろんな資料を集めましたよ。それに加えてね、元兵隊さんでもう自分の命がないと思う人たちが、この写真はあなたが持っていてってね、貴重な写真を送ってくださるの。だから、たっくさんあります。でもウチに出入りしている若い人たちの目についてもイヤだろうってね、奥深くにしまってたんだけど、もうね、この頃、戦争をしたい人がトップですからね、戦争の酷たらしさを話せる方もどんどんいなくなってしまうし、だから、もう出そうかと思ってるの。それはそれは酷たらしいですよ。切られた首とか、あのね、針金一本で首を切るの、それがいくつもいくつも並んでるの。人肉食いだってあったんですよ」

 会場はひきこまれて奇妙な静けさで満たされていきました。

 最後の方で、現在84歳の澤地さんがその晴れやかな声で「わたしだっていつか消えますからね、びっくりしないで下さいね」と仰った時には、聞いてるこちらが泣きそうになりました。

〈最終日「まとめ ディスカッション」〉の回

 満席、満杯。
 入れてさえもらえなかった方々はさぞかし不満だったと思います。

 この企画が発表されてすぐ予約したのでわたしは開始時間ギリギリについても席を用意していただけました。が、早くに着いたというのに予約してなかった人は入場を待たされ、やっと入っても立ちっぱなし。だから、混み混みぎゅうぎゅうでした。

 わたしは座っているものの後ろの方なのでお話しされてる方のことはまったく見えません。しかも、わたしのすぐ横の大柄な男の人が、まぁ〜よく動かれるのです。ちょっと右にちょっと左に傾いたり、足元の荷物の位置を微妙に変えたり、その都度、その方のナイロン素材のジャケットが擦れて小さいけれど耳元で繰り返されるとなんともイヤだという音がして。不快で不快。身をよじって耳の位置を変え抵抗を示して「どうか止めて」とお願い信号を出すのですが、まったく気づいてくださらない。あ〜今も思い出すと耳の底がイライラしてきちゃいます。生理的な不快というのは、強烈なものですね!
 ですからこの日のお話は半分もこころに残りませんでした。

 ところが、ところが、最後の最後に大ハプニング、勃発したのです!

 最後のQ&A、まさにこれが最後というタイミングである男性が発言。

 「こうこうこういう準備をしてこういう作品を展示したとか、こういうトークがあってこういう展開したとか、そういうんじゃなくてさ、そちらからこっちに押し付ける形じゃなくてさ、まさにここからがスタートなんだよ、表現の自由を考えるってことは。
 AとBがぶつかってCが生まれるっていうそういうことをこそやんないとって思うんだよ。あと、3分喋らせて。わたしは〜〜〜〜〜〜」

 司会のかたが「時間が押しているので」と遮りたい意向を示すとすぐに、

 「なんだその言い方は、そうじゃなく権力と闘うためにはもっともっと〜〜〜、あと3分、〜〜〜〜」

 それまで黙っていた永田浩三さんが立ち上がった。

 「そうじゃないでしょ、そうじゃないっ!」

 いつも穏やかで柔らかくやさしい永田浩三さんがその男性のそば真正面にまっすぐ立って、「そうじゃないよ! そうじゃない!」と再度繰り返し、男性はさらに大きな声になって「じゃぁ、続けさせろよっ!」・・・。

 とこう書いているのはわたしの記憶でしかなくて、その男性のことも永田浩三さんのことも正確に書けっこないので、もう、ここでやめます。
 が、言いたいのは、この展覧会がそれだけ値打ちがあったってことなのです。その男性をそれだけ刺激したのですし、そのことがわかるからこそ永田さんも真剣な対応をされたのだし。

 今日では誰もが、自分のことだけ、自分の家族のことだけ、自分の任期だけ、自分の利益だけを優先して、他者の苦しみ・悲しみには気がつかなかったフリをして生きている…。力の弱い人やたまたま不運な時を過ごしているひとにも、無関心。そして自分に都合のよい偏見を軸に差別を無意識に繰り返している。
 もちろん自分の反省あってこそなのですが、ほんとにこの時代は生きにくい。

 「濃い出来事」が、次から次へと起きる。
 受け入れがたいことが連続して重なってくる。襲ってくる。

 だから、日々、自分にできることをして、できないことはさっさと諦めて、よく眠ること。一回限りのこの人生、誰に褒められなくても誰の目に留まらなくてもいい、これが素敵と思える瞬間を生きていたい、そう思いました。

 この稀有な展覧会を企画し、準備し、運営し、総括して後片付けしてくださった方々、みなさんに感謝!です。
 ほんとに、すばらしい展覧会でした!

 P.S. これから参加できる永田浩三さんが企画された催しをお知らせしておきます。

2/28(土)・映画「原爆の図」上映及び原爆の図丸木美術館学芸員 岡村幸宣氏の講演

※教職員向けですが、一般の方にもご参加いただけます。参加申し込みは不要、直接会場へ。(入場無料)。

【開催日時】 2月28日(土) 13:00~16:00
【場所】 武蔵大学1号館地下1階 1002教室
【テーマ】「原爆の図」を記録した2本の映画を見る
【講師】 岡村幸宣氏(原爆の図丸木美術館学芸員)
【プログラム】
 ●13:00~14:00 映画『原爆の図』(1953年版+1967年版)上映
 ●14:10~16:00 講演「映画『原爆の図』として『原爆の図』がアメリカに行くことについて考える」
【主催】 武蔵大学総合研究所
【問合せ先】 rsi”a”sec.musashi.ac.jp
       ※”a”を@に変えてお問合せください。

<上映する映画について>
●『原爆の図』(今井正・青山通春監督、1953年、モノクロ17分)
 米軍占領の終結後すぐに撮影された作品。『青い山脈』や『ひめゆりの塔』などで知られる名匠・今井正監督のもとで、長く助監督をつとめた青山通春の実質的な監督作品。17分という短編でありながら、丸木依里・俊夫妻の制作の様子や全国巡回展の雰囲気などを丁寧に記録した貴重な映像記録です。

●『原爆の図』(宮島義勇監督、1967年、モノクロ30分)
 監督は、映画『若者たち』で知られ、その卓越した映像理論と技術で「宮島天皇」ともいわれた宮島義勇。丸木美術館の開館を記念して、映画「原爆の図」製作委員会を立ち上げました。宮島は、脚本・監督・撮影を手がけました。「アラン・レネの反戦美術映画『ゲルニカ』への挑戦」と監督自らが語った通り、説明的な描写を排して、《原爆の図》を解体・再構成した、日本のヌーヴェルバーグの意欲作です。

武蔵大学へのアクセス
http://www.musashigakuen.jp/access.html

 

  

※コメントは承認制です。
第9回 「表現の不自由展 消されたものたち」」 に5件のコメント

  1. magazine9 より:

    テレビドラマ「ひとりっ子」は、特攻隊で戦死した兄を持つ青年が、防衛大学に合格するものの、母親に涙ながらに反対されて、進学をあきらめるという筋書き。放送中止を求める抗議を受けて、スポンサーが動いたといわれています。いまのメディア自粛ムードに、なんだか重なるものを感じないでしょうか。
    元NHKプロデューサーの永田浩三さんは、従軍慰安婦問題を取り上げた特集番組に圧力がかけられたとされる「番組改変事件」の真相を告白した『NHK、鉄の沈黙はだれのために』などの著書を出されています。

  2. ピースメーカー より:

     今回のISILによる人質事件によって日本人に知れ渡った「世界の現実」に、一番頭を抱えている人の一人は澤地久枝さんではないでしょうか?
     「戦争」「言論弾圧」「女性差別」「人種差別」「特攻」「斬首などの捕虜虐殺行為」…、といった、澤地さんのような文化人が「悪」と断じて徹底的に批判してきた存在と、戦後民主主義を謳歌してきた日本が対峙しなければならなくなったのですから、単純に考えればISILの滅亡を望むしかないでしょう。
     とはいえ、この辛辣な現実に対して、澤地さんのような知識人がどのような言葉を日本人に発し、日本国の針路に影響を与えるのか、個人的に大変興味があります。
     古今東西、後世に残る「表現」の多くは、その作者の苦難の末に誕生したものが多いですから、期待もひとしおです。

  3. 木内 みどり より:

    ピースメーカーさま

    書き込み、ありがとうございます。
    そう書いてくださった通り、澤地さんは本気の本気です。
    自分のことしか考えなくなった日本人の力の低下を心配されています。

    大手メディアが取り上げてくれない、こういう催しをみつけて足を運びたいと思っています。

    ピースメーカーさんもどこかでみつけたら教えてください。
    暖かい1日をお過ごしください。

  4. ピースメーカー より:

    木内みどり様

    私の様な駄文にご返答して頂きまして、誠に有難うございました。
    さて、木内様は「自分のことしか考えなくなった日本人の力の低下」と書かれましたが、正確に言えば「自分の目の前にあることしか考えられない」ではないでしょうか?
    私は介護職でリハビリを担当しておりますが、利用者の安全確保やら叱咤激励やら疼痛除去やら同僚からのダメ出しやら人間関係の円滑化やら…、など目の前にある出来事に四苦八苦しながら一日の大半の時間を費やしており、さらに(私は独身ですが)家庭を持っている人は、家に帰れば目の前にパートナーや子供がいて、そこで残りの時間を費やさなければならないのです。
    そして、日本国内で仕事をしている圧倒的多数の「民衆」は同じ境遇に置かれ、そのような「民衆」に巨視的な視野を要求される事柄の判断力を求めることは、如何に情報化社会だとしても、その判断に費やす時間が圧倒的に少ない「民衆」に求めることは、合理的に考えれば間違った話です。
    しかし、何かの役割を専属的に担い、巨視的な判断に時間を費やすことができない圧倒的な多数の「民衆」がいるからこそ社会というものが成り立つのであり、その状態を恒常化というのが「平和」というものです。
    ゆえに、巨視的な視野を有する専門職として「政治家」というものがあり、澤地さんのような「知識人」があり、彼らは自らの時間の大半を「巨視的な判断を考察する」事に費やすことができ、そして「民衆」よりもはるかに高い給料を得ることができるのです。
    しかしその「知識人」と比べれば、ほんの僅かしか「巨視的な判断を考察する」ことができない「民衆」からダメ出しを喰らってしまっては、率直に言ってニートよりもみっともない話です。
    だからこそ、「知識人」は「巨視的な判断を考察する」事に対して「民衆」を圧倒し、得心させ、啓蒙させていかななければならないことを常に肝に銘じておくべきだと、私は考えます。
    ところで、木内様は「大手メディアが取り上げてくれない催し」をご所望とのことですが、マガジン9とも繋がりが深い伊勢崎賢治氏の「ジャズライフ」は如何でしょうか?
    http://kenjiisezaki.tumblr.com/post/111142109701/2-22
    伊勢崎氏は著書『本当の戦争の話をしよう』を閲覧されればお分かりの通り、
    http://asahi2nd.blogspot.jp/2014/12/isezaki-1.html?m=1
    彼の平和への考察は「偽善」というものを排除したリアリズムに徹した厳しいものですが、きっと木内様の知的好奇心の満足させるものであると確信します。
    なお、伊勢崎氏は『本当の戦争の話をしよう』にて福島県立福島高等学校の生徒に向けて講義をされておりますが、今の日本の『民衆』は、高校生であっても伊勢崎氏に向けて聡明な質問や疑問をぶつけることができることを、「知識人」は留意すべきだと思います。

  5. 木内みどり より:

    ピースメーカーさま
    伊勢崎賢治さんのことを教えてくださってありがとうございます。
    「本当の戦争の話しをしよう」
    とても興味深いです。
    ゆっくり読んでみます。
    おやすみなさい。

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木内みどり

木内みどり(きうち みどり): 女優。’65年劇団四季に入団。初主演ドラマ「日本の幸福」(’67/NTV)、「安ベエの海」(’69/TBS)、「いちばん星」(’77/NHK)、「看護婦日記」(’83/TBS)など多数出演。映画は、三島由紀夫原作『潮騒』(’71/森谷司郎)、『死の棘』(’90/小栗康平)、『大病人』(’93/伊丹十三)、『陽だまりの彼女』(’14/三木孝浩)、『0.5ミリ』(’14/安藤桃子)など話題作に出演。コミカルなキャラクターから重厚感あふれる役柄まで幅広く演じている。3・11以降、脱原発集会の司会などを引き受け積極的に活動。twitterでも発信中→水野木内みどり@kiuchi_midori

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