マガ9レビュー

池澤夏樹/毎日新聞社

 いわゆる巻き込まれ型のサスペンスである。

 主人公の大学講師、宮本美汐は、瀬戸内の島で漁師を生業としてきた父、耕三からある重大な秘密とそれに対する判断を委ねられる。彼は若き日に「あさぼらけ」なる国家プロジェクトに携わっていた。日本政府による独自の原子力爆弾の開発である。

 大手企業の優秀な技術者であった耕三は極秘指令を受け、専門家的な関心も手伝って研究チームに加わった。しかし、しばらくするとプロジェクトに突如中止の命が下され、彼は故郷の広島へ戻り、さらに小さな島へ移住して、そこから出ない日々を送る。

 島で結婚をし、娘に恵まれた耕三は、家族に自分の過去を決して語ろうとはしなかった。そんな彼に告白を決心させたのは、東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の爆発である。

 がんを患い、死期が近いことを確信した耕三は、「あさぼらけ」の存在を示すデータを美汐に託す。国家権力はその事実を闇に葬り去りたい。美汐の逃亡劇が始まる。

 著者の文体は平易である。美汐の心のつぶやきなど、どこにでもいそうな若者のそれであり、ミステリを読み慣れた読者には物足りなく感じるかもしれない。しかし、等身大の人間を描く文章が綴る美汐の逃走劇はどこまでもリアルであり、美汐の大胆不敵な行動から、読者は、普通の人間が強大な権力に屈しないためにはどうしたらいいか、そのための心のもちようはどうあるべきか、を会得するだろう。

 最終章で美汐は「あさぼらけ」プロジェクトのフィクサーと対峙してこう語る。

 「あなたはずっと政治家として高いところにいてもう忘れてしまったのかもしれませんが、私たち普通の人間はみんなけっこう真剣に誠実に生きているんです。自分で納得すれば危ないことでもするんです」

 美汐の勇気と行動を支えたのは、彼女がこれまで育んできた友情だった。私たちは、金や権力では手に入れられないものがいかに大切かを教えられる。

 泣ける、笑える、といった小説や映画のうたい文句は巷にあふれているが、読み手に勇気を抱かせる物語はそうそうない。ご一読を。

(芳地隆之)

 

  

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