マガ9レビュー

(吉村萬壱/文藝春秋)

NO

 地震、津波、原発事故、復興といった言葉はいっさい登場しない。舞台となる「B県海塚市」なる土地がどういうところなのかの説明もない。

 しかし、語り手である、小学生の少女、大栗恭子と母親との奇妙なやりとり、恭子の通う学校での先生と生徒、あるいは生徒同士の不自然な会話、隣近所の人々のわざとらしい振る舞いから、海塚市がかつて大地震と津波に襲われ、原発事故による放射能汚染に見舞われたこと、避難先から帰ってきた住民たちがいまでは何事もなかったかのように「楽しそうに」過ごしていること、そんなまやかしを指摘した恭子の父親が巨大な組織に拘束されたこと、明るく健全であれという町を挙げての同調圧力がすさまじいこと、それに飲まれないよう、恭子の母親が目立たず生きていくことを自分と娘に課していること、などがわかってくる。

 なぜ担任の先生が学校を去ったのか、どうして同級生が死んだのに誰も説明してくれないのか。それらの理由は行間からじわじわと伝わってくる。

 ファシズムに身を委ねた人間はこういう感覚になるのかもしれない――私は本書で体感した気分になった。いわゆる「洗脳」といった状態とは違う。現実世界の苦悩や矛盾と向き合う辛さから目を背け、集団のなかに逃げ場を見つけたときの安堵感とでもいえばいいだろうか。

 しかし、それもつかの間。恭子は集団から排除されていく。

 物語は、恭子の回想のかたちをとるのだが、現在の彼女がどういう状況で過去を振り返っているのかが明らかになったとき、読者は、彼女が語りかけている相手が誰なのかを知って、戦慄を覚えるだろう。

 心と身体にまとわりついてくるような言葉。「感動」を売りとするようなエンターテイメント小説やノンフィクションが全盛のなか、文学の底知れぬ力に恐れ入った。

 静かに狂気が進んでいくさまを描く本書の映像化に誰かが挑戦するだろう。青山真治監督の『共喰い』、あるいは園子温監督の『希望の国』のような作品が生まれるに違いない。

(芳地隆之)

 

  

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