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(柄谷行人/岩波新書)

 本書は哲学者柄谷行人の憲法論である。「あとがき」にあるように、柄谷には既に湾岸戦争の際に行った憲法九条についての講演「自主的憲法について」がある(この講演は『〈戦前〉の思考』(講談社学術文庫)に収録されている)。しかし「自主的憲法について」では、戦後憲法の占領軍による「外的な強制が自発的なものとなる仕組み」に関する十分な説明がなされていなかったという。この「仕組み」について改めて考察したのが本書であり、特に書名にもなった「無意識」を論じる第一章がそれにあたる。著者はいう。

 「憲法九条が執拗に残ってきたのは、それを人々が意識的に守ってきたからではありません。もしそうであれば、とうに消えていたでしょう。人間の意志などは、気まぐれで脆弱なものだからです。九条はむしろ「無意識」の問題なのです。(略)無意識は、意識とは異なり、説得や宣伝によって操作することができないものである。(略)九条は、「無意識」の次元に根ざす問題なのだから、説得不可能なのです」

 しかし、九条が日本人の無意識の奥深く浸透することになったのはなぜなのか。この疑問に応えるにあたって、著者が援用するのはフロイトである。

 本書によれば、フロイトは、第一次世界大戦後に戦争神経症(今でいうPTSD)に苦しむ患者を診るが、そうした患者は毎夜戦争の悪夢で飛び起きる。こうした後遺症をフロイトは単に受動的なものではなく、むしろ戦争で受けたショックを克服しようとする能動性として捉えた。フロイトはこれを「反復強迫」と名付け、この反復をもたらすものを「死の欲動」と呼んだ。死の欲動とは、「生物(有機物)が、無機物へ戻ろうとする欲動」のことで、そのような欲動が外へ向うと攻撃欲動になる。

 ところが、後遺症の患者からわかるのは、この外に向かうべき攻撃欲動がなんらかの理由で内へ向かってしまうということだった。そして、フロイトはこの内へと向う攻撃欲動が、超自我を形成すると考えた。この超自我は、親などを通して子へと内面的に伝わる社会的規範のようなものではなく、内的な起源をもつ自律的、自己規制的なものである。また超自我は、個人よりも集団(共同体)のほうにより顕著にあらわれるともいう。

 さらにフロイトは、患者は、外から見ると罪悪感に苦しんでいるように見えるけれども、当の本人はそれについては何も意識していないということを指摘して、それを「無意識の罪悪感」と呼んだ。柄谷はこのようにフロイトを援用しながら、日本人が戦後憲法九条にこだわるのはこれと同じで、一種の「超自我」としてみるべきだと説く。憲法九条が示すのは、日本人の強い「無意識の罪悪感」であり、「強迫神経症」なのだと。

 で、あるならば、まさに今すぐにでも「改正」(治療?)すべきところだが、著者の考えはそうではない。確かに、九条は占領軍の強制によるものだった。しかし、著者は「憲法九条が強制されたものだということと、日本人がそれを受け入れたことは矛盾しない」と言い、1924年のフロイトの一節を引用する。その一節とは次のようものだ。

 「人は通常、倫理的な要求が最初にあり、欲動の断念がその結果として生まれると考えがちである。しかしそれでは、倫理性の由来が不明なままである。実際にはその反対に進行するように思われる。最初の欲動の断念は、外部の力によって強制されたものであり、欲動の断念が初めて倫理性を生み出し、これが良心というかたちで表現され、欲動の断念をさらに求めるのである」(「マゾヒズムの経済論的問題」『フロイト全集18』岩波書店)

 柄谷は、フロイトがここで述べていることは、憲法九条が外部の力、すなわち占領軍の指令によって生まれたにもかかわらず、日本人の無意識に深く定着した過程をみごとに説明するものだという。この柄谷=フロイトの憲法論からすれば、改憲論者のいう「戦後憲法は『押しつけ憲法』だから改正しなければならない」との主張は、九条が明文化され施行された現実を皮相的に捉えたものでしかないということになる。

 柄谷は言う。九条はいまや日本人・文化の深くに浸透した倫理観であって、いっときの政権ごときが多数派を占めたからといってたやすく変更できるものではない。仮に憲法改正の国民投票をしたとすれば、「無意識の罪悪感」が前面に出てきて、国民によって「自発的」に必ず否定される。自民党はそれを畏れているので、だから総選挙の時でさえも九条改正を争点にしないのだ、と。彼が「日本人は憲法九条によって護られてきた」というのは、このことである。

 とはいえ、こう説くからといって、著者は現状を楽観視してはいない。帯に書いてあるように、本書を第四章「新自由主義と戦争」の章まで読み進めていくと、新自由主義経済の矛盾の果てに引き起こされるかもしれない世界戦争を既に見通したうえで発言していると感じられてくるのだ。本書は異色の憲法論だが、「世界戦争とその戦後」をリアルに捉えた「おそろしい憲法論」でもある。しかし、だからこそ著者はインタビューなどのさまざまな機会に「憲法九条を本当に実行する」とくりかえし言うのだろう。

(北川裕二)

 

  

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