マガ9レビュー

(ブレイディみかこ著/岩波書店)

 EUからの離脱、残留を問うイギリスの国民投票の結果が世界に衝撃を与えたばかり。僅差で離脱となったわけだが、本来ならEUの移民政策に反対し、離脱に票を投じるはずの与党保守党の党首キャメロン首相が残留を希望し、残留に一票を投じるはずの労働党を支持するようなリベラルなワーキングクラスの労働者たちが、どうせ残留に決まっているから今回はこらしめてやるつもりで離脱に思わず投票してしまったとか。結果を知ってともに愕然とし、片や首相辞任を表明、片や国民投票のやり直しを請願するという事態に。いったいなにがどうなっているのやら。イギリスにはイギリス特有の「ねじれ」が存在するということか。

 参院選を控えた沈没寸前のこの国に、そんな投票を終えたばかりの混沌としたイギリスから一冊の書物が届いた。といってもこの本、ネットの「Yahoo!ニュース」で連載されている話題のコラムをまとめたものである。在英20年のライターであり保育士でもある、ブレイディみかこの『ヨーロッパ・コーリング──地べたからのポリティカル・レポート』(岩波書店)がそれである。装幀にはロンドンを中心に活動する覆面芸術家バンクシーの社会風刺的なストリート・アートを掲げ、イギリスを代表するパンク・バンド、クラッシュの名盤『ロンドン・コーリング』をもじった書名なんて、なんだかもう決まりすぎていて困るぐらいだ。

 大手メディアによる国際情勢のニュースといえば、もっぱら「上」から見たものがほとんど。が、本書は違う。著者の視点は「地べた」。つまり「下」から見たイギリス、ヨーロッパの姿である。喩えてみれば、戦争を語るのにミサイルをぶっ放す側からではなく、打ち込まれた側の荒廃した世界からのリポート。但し、報告されるのは直接戦争ではなく、経済のミサイルによってアナーキーとなったそれだ。残念ながら今回のEU離脱については載っていないが、どうしてそんな結果になったのか、本書を読むと経過がよくわかる。「Yahoo!ニュース」の方では既に国民投票に関するリポートがアップされているので参照してほしい。

「新自由主義のなれの果ての光景」。ブレイディ みかこはサッチャー政権以後の世界をそう呼ぶ。中間層がすっかり消滅して、「上」と「下」の格差があまりにも開いてしまったこの世界。グローバリズムってこういうもんか、日本もイギリスも違いなんてないんだなあ、と思わず感慨深くなってしまう。というより、リポートを読んでいると、イギリスないしヨーロッパは、この国のちょっと先を行っていると感じるのは私だけか。けれど、決定的な違いも感じる。

「しかし、これはもはや右とか左とかいう横軸の問題ではない。下側が怒っているのだ。『資本主義は終わった』と言われて久しいのに、いまだ見切りをつけられずにだらだら続けているから、上方のまだ資本で儲けられるごく少数の富裕層だけがどんどん富を増やし、床の上でおこぼれを待っている犬の数は増えているのに肉汁一滴も落ちてこないという、大変いびつな形になっているから犬たちが狂ったように吠えている。
 欧州で極端な右派と左派が台頭しているように見えるのも、実はこのいびつさのせいで、この歪みを正してくれるなら右だろうが左だろうがイデオロギーは関係ないというところまで来ている。今年1月にギリシャのシリザが初めて政権を握ったときに、右派政党の独立ギリシャ人と連立を組んだのもそのせいだし、スコットランドのSNP(スコットランド国民党)のように、右と左の両方に足をかけているようなナショナリスト政党が躍進するのもそのせいだ。彼らのことをメディアが「急進左派」と表現するのはそれを表現する言葉をまだ持っていないからで、彼らは左派やリベラルに「ユナイトせよ!」と呼びかけているわけではない。彼らは『下』の勢力たらんとしている。もはや右とか左とかいうのは、うまくいかなくなったのは移民のせいだと思うか、金持ちのせいだと思うかの差だけで、彼らは基本的にうまくいかなくなった経済システムを変えたいのだと。」
 
 著者は云う「やっぱり鍵はナショナリズム」。だけど本書が伝えるのは、保守党やBNP(イギリス国民党)やUKIP(イギリス独立党)、ましてやフランスの国民戦線のような右派政党のことではなく、ゴリゴリの左翼であるジェレミー・コービンが党首となった労働党のことであり、ニコラ・スタージョン率いるSNPの躍進のことであり、スペインのポデモスのことであり、ギリシャのシリザのことなのだ。つまり一方で、やっぱり「レフト」が問題なのである。あとがきによれば、「Yahoo!ニュース」のコラムでもっとも読まれたのが、そのスペインのポデモスとパブロ・イグレシアスについて書いた「勝てる左翼と勝てない左翼」だったらしい。実際、本書が面白いのは、新自由主義のなれの果てで、「左翼」がどうすれば勝てるかの奮闘をホットに伝えてくれるからでもある。それが参考になるし、希望に繋がる。個人的にはスコットランドのSNPが興味深い。

「スコットランド国旗を党のシンボルにしたSNPは、一般的には右翼政党だと思われていた。アイルランドとイングランドのように、スコットランドとイングランドにも確執の歴史がある。その熾烈な愛国主義を背負った右翼政党がSNPであろう。と思っていたイングランドの人々は、独立投票が近づき、マスコミが報道を行うようになってから、実はSNPとは不思議な政党であったことに気づいた。右翼のはずのSNPが、実は戦争や核武装が嫌いで、労働者の権利を重んじ、福祉国家の建設を目指す、まるで第二次世界大戦後の労働党のような社会主義政党だったからだ。右の保守党と左の労働党、という明確な役割分担の二大政党時代が長く続いている英国には、こういう『右でもあり左でもある』というようなアクロバティックな政党は存在しない。スコットランド独立支持陣営はSNPが掲げる国旗の下に、みどりの党やリベラル、アナキストたちが集まった型破りな集団だったのである」

 英国のミュージシャンで政治アクティヴィストのビリー・ブラッグは、SNPは「ナショナリズムには民族的ナショナリズムと市民的ナショナリズムの二種類があるということをイングランドに示した」と言った。「市民的ナショナリズム」とは、ニコラ・スタージョンの言葉を借りれば、「どこの出身だろうと、肌の色が何であろうと、どんな宗教を信じていようと、勇気を出して力を合わせればより良い国を作ることができる。それが私が信じるナショナリズムです」ということになる。実際、2014年のスコットランド独立投票では、投票権が16才以上に与えられたことに加え、国籍に関係なくスコットランド在住者全員に与えられたという。いやあ、ヨーロッパの左翼はほんと複雑さを生きている。

「市民的ナショナリズム」は、これまで左翼が忌み嫌っていたナショナリズムの再考を促す。伝統的に「レフト」な土地柄らしいスコットランドと、伝統的に「ライト」なこの国では事情がかけ離れているとはいえ、例えば「オール沖縄」や「対米従属」からの独立、あるいは(護憲を含めた)憲法改正などをみると、「下」からの突き上げによるナショナリズムに関する左派側からの再考、練り直しがもっとあってもいい。そういう意味でもイギリス、ヨーロッパは日本のちょっとどころか遥か先を行っている。ていうか、われわれの方がむしろ後退していってるって話かもしれないのだが。けれど「敗戦」の宿命をのりこえ、遍く広がる「貧困」からいつかぬけ出ることができるはずだよ、きっと。オルタナティヴは可能だ。そう訴えくるこの本、とにかく面白い。

(北川裕二)

 

  

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