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(グレゴーア・ショレゲン著 岡田浩平訳/三元社)

 1970年12月、ワルシャワにあるゲットー英雄記念碑にひざまずくヴィリー・ブラント西ドイツ首相の写真は世界に配信された。
 第2次世界大戦中、ナチスドイツ占領下にあるポーランドの首都で隔離生活を強いられていたユダヤ人が反ナチス武装蜂起をしたものの、親衛隊(SS)に鎮圧。その場で殺害もしくはポーランド国内の強制収容所に送られた。この記念碑はユダヤ人レジスタンスの勇気を称えるものであり、ブラントの側近によると、彼は事前の予告もなく、おもむろに歩を進めてひざまずき、頭を垂れたのだという。
 それは過去の歴史に対する贖罪とともに東西冷戦の緊張緩和を象徴する行為でもあった。ブラントはイデオロギー対立の最前線にいる西ドイツの国家元首として、まずは東ドイツの存在(それまで同国を西ドイツは正当な国家とみなしていなかった)を認め、ポーランド訪問に先立つ8月にはモスクワに飛び、ソ連との間で武力不可侵条約を締結。これら一連の外交は「東方政策」(西ドイツによる対ソ連東欧諸国との関係正常化を目指したもの)と呼ばれた。対立から共存への転換を図ったのである(1971年には東方政策の功績でノーベル平和賞を受賞した)。
 この類まれな政治家の一生を綴ったのが本書である。北ドイツのリューベックで私生児として生まれ、社会主義インターのメンバーとして活動した青年期にナチスドイツを嫌って亡命し、ノルウェー、スウェーデンで活動。戦後は「私生児」「亡命者」を理由とした誹謗中傷を受けながらも、ドイツ社会民主党の実力者となり、9年にわたって西ベルリン市長を務め、その間の1961年にはベルリンの壁建設に直面。戦後初のドイツ社会民主党出身の首相になるも、個人秘書のギュンター・ギヨームが東ドイツの国家保安省のスパイであったことが発覚、辞任に追い込まれた。その後は世界の南北格差に警鐘を鳴らし、第三世界を飛び回る日々――。
 そんな波乱万丈の生涯では、栄光よりも挫折の方が多かったのかもしれない。ブラントは、その生い立ちの影響もあって、他人と胸襟を開いて付き合うことが苦手であり、後継者として「東方政策」を引き継いだヘルムート・シュミットとの仲も、しばしばこじれたという。その一方で、当時の保守派の急先鋒、キリスト教社会同盟党首のフランツ・ヨーゼフ・シュトラウスが東方政策に対して――同盟国アメリカが不信感を抱いていたにもかかわらず――その意義を認めていたそうだ。
 生涯で4度結婚したブラントの女性関係も、それを覗き見趣味で描くのではなく、一政治家の人生の一部として詳述する本書から、現代史における大きな転換を成し遂げた政治家の人となりが伝わってくる。
 昨年(2016年)の英国によるEU離脱決定以降、先日のトランプ米国大統領の就任の後押しもあり、ヨーロッパ大陸における自国第一主義の流れが強まっている。難民受け入れを進めるドイツのメルケル首相への批判も厳しい。
 保守政党のメルケルが信念を貫いているのは、東方政策以降続く、保革を問わず対立構造を解消しようとするドイツの外交の伝統が脈々とつながっているからではないか。そう理解できるかもしれない。

(芳地隆之)

 

  

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