女性が動けば変わる!


 グリーン・ウィメンズ・ネットワークとのコラボ企画でお送りする《女性が動けば変わる!》シリーズは、「エネルギー×地域×食と農×女性」をキーワードに、「ジェンダー平等」実現のためのコンテンツをお送りしていきます。具体的には、自然エネルギー、食、農そして子育てなど命の問題に直結する現場などで、女性がリーダーシップをとり、活き活きと取り組んでいる具体的な事例を中心に紹介していく予定です。企画意図についてはこちら。

■全国の女性がつながって、わずか1カ月強で2000万円のカンパを集める。

 原発を退ける女たちvol.1では、瀬戸内海の西端に浮かぶ小さな島「祝島」で、対岸わずか約4キロの山口県熊毛郡上関町の浜「田ノ浦」に予定されている原発建設計画(注)に対して、32年間にも及ぶ長い年月、抗い続けている女性たちの闘いぶりと3・11以降の祝島の状況について、現地との関係が深いノンフィクションライターの山秋真さんに紹介いただきました。

 祝島の抗う女性たちの姿に刺激を受け、「私たちにも何か応援ができないか。一緒に豊かな海を守れないだろうか」と、山秋さんら祝島と接点のある女性3人が中心となって考え自ら行動し、今年の5月に立ち上げたのが「みんなの海の会」です。今回は、会で成功させた支援キャンペーンについて、その具体的な手法や経緯もふくめ当事者ならではの視点から、山秋さんに書いていただきました。

(注)上関原発計画についての詳しい経緯は、「STOP!上関原発!」のホームページを参照してください。祝島の反対運動の公式の住民団体のブログはこちら「上関原発を建てさせない祝島島民の会」

◆海の日に祝島へ:
敬意と感謝とカンパ金を届ける

 「祝島島民のみなさまが、これまでの32年間、上関原子力発電所計画にあらがい、海や山、暮らしを守りつづけてきたことに、心からの敬意と感謝を表します」。2014年7月21日、海の日。梅雨明けの青空のもと四国も本州も九州もみえる祝島で、「上関原発を建てさせない祝島島民の会」(島民の会)の事務所を訪れ、私はそう口火を切りました。昨晩に仲間と決めた、「みんなの海の会」 からの挨拶の最初の言葉です。

 みんなの海の会は、この5月末にできたばかり。発起人は、祝島の人びとに学び勇気づけられてきた女性3人です。私たちは6月初旬から、上関原発に反対する祝島の漁師さんに500万円届けようとカンパを呼びかけていました。この日は、それを届けにきたのです。

◆祝島のために何かやりたい:
女性3人が意気投合

 このカンパキャンペーンの発端は今年3月4日。上関原発の建設と運転への同意を条件とする、漁業補償金の受けとりを迫る山口県漁業協同組合(県漁協)が、補償金の配分案を採決するため県漁協祝島支店の会合を強引に開こうとしたことがきっかけです(詳しくは前の記事へ)。

 県漁協は2013年2月末、祝島支店で抜きうち的に採決を強行し、祝島支店が漁業補償金の受けとりに転じたとしていました。その数日後には、2012年秋に失効するはずだった上関原発のための埋め立て免許が、2014年春まで延命される事態となります。公約に反して山口県知事が、免許の延長申請について判断の先送りをくり返したからでした(県知事は2014年春、判断をさらに1年先送り)。その状況のもと、祝島漁協が10年以上前から一貫して拒んでいる補償金をめぐり、漁師を中心とする祝島の人びとと県漁協の対立がつづいています。

 上関原発にあらがう運動の中心である島民の会は、今年3月4日に祝島で「上関原発を建てさせない祝島集会」を開くことを決め、島外からも広く参加を呼びかけました。島人の9割が上関原発の計画にあらがいつづける祝島にとって、補償金を拒むという漁師たちの意思表示は、切り札となってきたからです。日本では現在、周辺の漁業への補償なしに原発をつくることはできません。

 「祝島を応援するカンパを集めましょうよ」。その祝島集会の応援に駆けつけた湯浅正恵さんが、帰り際にそう言いました。正恵さんは、数年前に生物多様性の国際会議が日本で開かれた際、生物多様性の宝庫を埋め立てる上関の原発計画について英字新聞に意見広告をだそうと「広島・上関リンク」という市民グループを立ちあげ、カンパを募り実現させた人です。その当時、埋め立てが強行されようとしていた海上へ祝島の船で通って『原発をつくらせない人びと——祝島から未来へ』を上梓した私は、今年2月〜3月も祝島にいました。そこで正恵さんの発案を受け、島民の会の運営委員の人びとに相談して検討をはじめます。海を挟んで原発の予定地と向かいあう祝島の暮らしを描く映画『祝の島』の監督、纐纈あやさんにも声を掛けました。

 私たち3人は、祝島のために何かやろうと意気投合。とはいえ広島・神奈川・東京と離れて暮らす身です。変わりつづける祝島の状況に追いつけずに、現地の思いを置き去りにしてしまう可能性と隣り合わせ。メールで情報を共有し電話でも補いますが、大切なことを決めるにはコミュニケーションが十分とは言えません。

 「顔をあわせてじっくり相談して方針を定めよう」と声があがり、4月末に祝島に集合してミーティングをすることにしました。大事にしたのは、祝島の実情やニーズについて島民の会の運営委員の人びとに教えてもらうこと、祝島のペースや考え方を尊重すること。10人ほどが参加したミーティングで、弁当を届けてもらって昼食もともにしつつ話をつづけ、いま祝島に何が必要で、私たちに何ができるかを模索しました。

 その結果、私たち3人が祝島応援カンパを広く呼びかける、と方針が定まります。実は、カンパ以外で祝島を応援する方法も、いろいろ考えました。けれど、原発という国論の争点を背負わされた複雑な現状を聴くにつれ、それでは緊急の課題に間にあわないと分かりました。

 魚価の低迷や水揚げの減少や高齢化などが重なって、県漁協祝島支店の赤字は年々膨らみ、数年前から組合員がそれを補填しています。ところが、補償金の受けとりを迫る県漁協の管理のもと、補償金をもらって赤字を補填することを促す向きもあるなど、赤字の問題は容易ではありません。遂に2013年度は、赤字を補填するために一人20万円近くも負担しなければならない見通しになりました。

 一方で、議決権のある正組合員の少なくとも過半数の意思表示がなければ、原発のための補償金を拒みとおすことは難しいという現実もあり、無理をおして組合員をつづけている漁師もいることでしょう。ならば、祝島の漁師が問題に取りくむ時間を、せめてカンパ金でつくることができたらと思ったのです。

◆みんなの海を私も守る:
女性6人でプロジェクトを船出

 準備を本格化しようとした矢先、思いもよらないことが起こりました。正恵さんが事故で全治3か月の怪我を負ったのです。さいわい命に別状はないものの、こういう直接的なカンパキャンペーンをやるのは初めてで、一人欠けて大丈夫か不安でした。それを察したのか、正恵さんはベッドに横になったままスカイプで相談できるよう工夫していきます。

 真っ先にやったのは、カンパ金の管理などをする事務局とチラシづくりをお願いできる人をさがすこと。正恵さん・あやさん・私のうち誰か一人は直接知っている、祝島をこれまでも応援してきた人たちから協力を得られることになりました。口座も開設しました。「名義はどうする?」と話しあい、「みんなの海の会」に決まります。どういうわけか発起人も事務局もデザイナーも、結果的にみんな女性のプロジェクトになりました。ただ、ひとくちに「女性」といっても、山口・広島・岐阜・神奈川・東京とベースはさまざま、年齢も20〜50代と幅広い面々です。

 チラシに載せるカンパ呼びかけ文には時間をかけました。発起人3人でトコトン話しあって原案をつくり、島民の会へ送ってコメントをもらい、それをもとに3人で再考して修正案をつくり、それをまた送って……と、納得いくまで繰りかえします。自分たちの納得はもちろん、今回は何にもまして島民の会の納得が大事でした。

 キャッチコピーは「みんなの海じゃ。金では売らん!」。呼びかける理由を「みんなの海を私も守る」という言葉でまとめました。みんなの海だから売るわけにはいかないと、祝島の漁師さんたちは海を守ってきてくれた。でも祝島の漁師さんだけで背負うことは年々厳しくなっている。みんなの海を私も守る、そのためにできることとしてカンパを届けよう。そう呼びかけることにしたのです。

◆カンパキャンペーン:
ヒトとつながるチカラで各地に広がる

 チラシが印刷されてくるのを待つあいだに、チラシを配ってくれる人を探しました。個人のつながりが頼りです。それでも多くの場合、個人的にメールや電話や手紙で協力をお願いすると、全国どの地域でもほとんど速やかに「近くの店においてもらう」「次のイベントで配る」「会報に同封する」など反応がありました。

 地元の山口県内で長年祝島を支援する女性からは、「何かしたい、しなきゃと仲間と話していた。行動するきっかけをありがとう」と感謝の言葉まで。3・11後に原発の問題に危機感をもって動きはじめた首都圏の女性たちも、ここ数年でできたネットワークを駆使して協力者を開拓してくれるなど、祝島を応援する人が拡がっているのを感じました。

 テキストが確定していれば簡単なチラシを自分で作るから、数日後のイベントで配っていいかと提案してくれた女性もいます。素敵なマダムの風貌ながら、かつては上関原発の埋め立て工事の台船を本州側から見張るなど、一貫して祝島を応援する彼女の柔軟さと敏速さ。縦よりも横のつながりをベースに動き、利害関係もない女性ならではでしょうか。

 予定を前倒しして、6月7日のそのイベントから、カンパを呼びかけることにしました。みんなの海の会のホームページも同時に開設。短期集中カンパキャンペーンの始まりです。目標は、7月21日の海の日に、祝島へ500万円を届けること。

 目標額は、7月末までに赤字補填金を支払わなければならないという急場を凌ぐために必要な額を、最大限に見積もって決めました。もちろん、いまも身体的に支障もなく漁に出ていて補填金を自分で払えるなど、カンパでの支援は必要ない人もいるでしょう。ただ、多額の補填金を払うことが難しいために正組合員をやめざるを得ない人が、上関原発に反対する祝島の漁師から出ないよう、もっとも困っている場合に合わせた設定です。

 「なんとか集まりますように」と祈りつつ、懸命に取り組みました。刷り上がった3万枚のチラシは、配布を引き受けてくれた全国各地の人へ送ると、すぐになくなりました。それでも「チラシを配るから送って」と連絡がつづき、急いで増刷を手配します。その間もカンパ金は途切れず届き、なんと6月下旬には、目標額を突破しました。

 あまりの急展開に、カンパキャンペーンを予定どおり続けるかどうか、3人で相談です。昨年度1000万円だった県漁協祝島支店の赤字が、今年度は突然ゼロになるとは思えません。組合員が赤字の改善に着手するには時間もかかるでしょう。ひきつづき海の日の前までカンパを受けつけ、目標額以上のカンパ金は、島民の会へ届けて、祝島が原発の漁業補償金を拒みつづけるために使ってもらうことにしました。このキャンペーンを、上関の原発計画はまだ終わっていないということを伝える機会にしてもらえたら、という願いもありました。

◆ヒトゴトからワガコトへ:
さまざまな当事者性での連携がチカラを生む

 そして迎えた2014年7月21日、海の日。正恵さんは怪我が完治に至らず来島できませんでしたが、あやさんは勢いよく祝島に駆けつけ、数日前に祝島入りしていた私と船着き場で落ちあいます。「祝島の32年への敬意をこめ、紋付袴の正装でお届けにあがりたい」という正恵さんの呟きに触発され、2人はそれぞれなりに正装でした。

 「一緒にカンパを届けませんか?」との呼びかけに応えて駆けつけてくれた、山口と広島で祝島を支援する8人の老若男女とともに、島民の会の事務所を訪ねます。一次締め切りとした7月18日までに寄せられた、2363人からのカンパ金20,106,106円を届けるためでした。並んで迎えてくれた運営委員の人びとへ、私・あやさん・みんなの海の会の事務局を担ってくれた女性から、カンパ金の目録・カンパとともに届いたメッセージ・イラストレーターの黒田征太郎さんから寄せられた『海の絵』を手渡しました。

 昼からは「祝島へ感謝と応援届けようイベント」を広場で開きます。『海の絵』30点を祝島の飲食店やイベント広場に展示したり、祝島の食づくしのランチを特別販売したり、門司港を拠点に活躍する筑豊大介さんに猿回しを披露してもらったり。どれも島民の会や祝島の朝市グループをはじめ島人の協力で初めて叶ったことです。

 恒例の月曜デモがある日でした。特別にデモが午後4時へ繰りあげられ、日帰りの人も参加できます。「原発はんたーい、エィエィオー」「綺麗な海をーまもろーう、エィエィオー」。いつもより長いデモの先頭で、マイクを手にした漁師さんの声が響きます。

 緊急の呼びかけに、あれだけ多くの人が応えたのは、祝島への敬意と感謝と応援が広く存在するからこそ。この事実が祝島の人びとを励ましていることを、じんわりと感じます。呼びかけた私たちもまた、励まされています。一人ひとりは微力でも無力ではない、結集すれば無視できないチカラを生む——それを体験したからでしょうか。

 人口の多い都市部から見えづらい地へ、さらにその地の漁師や地主へと、関与できる「当事者」を過小に限定して原発をつくってきた日本。けれど、例えば「みんなの海」を共有する誰もが、本来は原発問題の当事者です。その危険性は時空を越えて影響を及ぼす放射性物質に由来し、それを確実に免れることができる人はいないから。

 もちろん、立地地域でない地に暮らす私たちは、原発(計画)を押しつけられた地域社会の当事者ではないでしょう。それでも、原発を立地地域に押しつけた当事者、そのことを通して原発の危険性をやはり押しつけられた当事者ではあります。

 その私たちが自分の当事者性をとりもどし、ヒトゴトでなくワガコトとして声をあげること。そして立地地域の人びとや「当事者」と連携すること。それなしに原発問題を解決することは難しいかもしれません。私たちの応援が祝島の人びとのチカラになり、祝島を応援することが私たちにもチカラを生む感覚を、私は味わっています。

 勇気を奮いおこしたキャンペーンは終わりました。「まずは第一ラウンド終了だね」と、祝島の海を眺めながらアイスコーヒーであやさんと乾杯です。電話をかけると、待ちかねていた正恵さんの弾む声が聞こえました。このキャンペーンを祝島への継続支援につなげられないか、次の模索も始まりそうです。

山秋 真ノンフィクションライター。 原発計画にゆれた石川県珠洲(すず)市と関連裁判へ通い、『ためされた地方自治――原発の代理戦争にゆれた能登半島・珠洲市民の13年』(桂書房)で、やよりジャーナリスト賞(2008年)、平和・協同ジャーナリスト基金荒井なみ子賞(2007年)受賞。2010年9月から1年は瀬戸内海の祝島に延べ190日以上にわたり滞在し、その後も祝島へ通って、『原発をつくらせない人びと――祝島から未来へ』(岩波新書)を上梓。ブログ「湘南ゆるガシ日和」更新中。

 国際環境NGOグリーンピース・ジャパンは、
「女性たちのネットワークをつなげ広げることが、
原発など環境問題の解決への大きなパワーとなる」とし、
「グリーン・ウィメンズ・ネットワーク」をスタートさせました。
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※コメントは承認制です。
〈原発を退ける女たち編vol.2〉「みんなの海だから私も守る」〜ヒトとつながるチカラで祝島を応援する女たち〜(山秋 真 ノンフィクションライター)」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    32年間にわたり、祝島の海を守り続けてきた島民の姿が、多くの人たちにとって希望であり、励みになっていることを、目標額の4倍も集まったカンパの金額が示しているのではないでしょうか。祝島から離れた地に住む人も、都市部に住む人も、いつ同じような立場に立たされるか分からない。そういう意味では、だれもが「当事者」です。「みんなの海」を守る活動はまだ続いています。

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