鈴木邦男の愛国問答

 6月3日(金)、新しい本が発売になった。『〈愛国心〉に気をつけろ!』(岩波書店)だ。岩波ブックレットとして出た。580円と定価も安いし、その分、発行部数も多い。「売れてますよ」と岩波の担当者が言う。ありがたい。

 それにしても担当者に大変な苦労をかけてしまった。もっと早く出るはずだったのに僕の力不足で遅れに遅れてしまった。原稿を頼まれたのは去年の夏頃だ。「岩波のブックレットか。光栄だな。よし、やってやろう」と張り切って引き受けた。ブックレットは、ページ数が少ないし、原稿は400字で100枚くらいだ。テーマはいつも考えている「愛国心」だ。軽い気持ちで引き受けた。〆切は年末だという。時間もたっぷりある。ところが、書けない。少し書いたが、進まない。他の仕事もあるし、地方にも随分と行く。書くのは後回しになる。年末が近くなっても書けない。「年末・年始は会社が休みですから、1月7日頃までに書いてください」と言われた。よし、これなら余裕がある、と思ったが、それでも出来ない。

 100枚くらい、一挙に書けるはずだと思ったが、進まない。いつまでもこんな事をしていられない。じゃ、初めの何十枚かを送って、その後、どう書き進めるかを相談しよう。そんなことを繰り返しながら、悩み、迷い、苦しみながら書いた。もしかしたら、これは〈愛国心〉が抱える悩みであり、迷いであり、苦しみなのかもしれない。そんなことを感じた。

 そんなことに悩まないで、今の「右派ブーム」「愛国心ブーム」に乗って、「俺こそ本当の愛国者だ!」と書いた方が簡単だ。又、その方が売れるだろう。だって今や「愛国女子」が出てくるし、急に「愛国者」になった若者たちが本を出して、やたらと売れている。それに、中国、韓国批判を加えたら、ベストセラーも夢ではない。それに、「おまえには実績があるんだ。書いて売れよ。大金が手に入るぞ」と、もう一人の自分がささやきかける。「今まで苦労したんだ。たまには、いい目をみてもいいだろう」と言う。たしかに僕は40年以上、愛国運動をやってきた。命がけでやってきた。形式的に見てもこれほどの愛国者はいない。君が代は1万回ほど歌っている。日の丸も1万回ほど掲揚している。靖国神社には200回も行っている。街宣は1000回くらいやっている。デモ、集会も数限りない。さらに、愛国運動に命をかけて、左翼や警察と闘い、何度も捕まっている。1カ月以上、拘留されたのだけでも4回もある。ガサ入れ(家宅捜索)は100回位ある。家に放火されたこともある。それこそ命がけの運動だった。「愛国者としてのノルマ」は十分に果たしている。これ以上、実績を積む人はなかなかいない。今のポッと出の愛国者、保守派などとは違う。そうだ、そういう本にしたら、売れる。自分の本当の歴史なんだし、衝撃的だろう。そうしたら、今のように「左翼とばかり付き合っていて、変節した」「裏切った」と言われることもない。

 そんなことで迷ったりもした。そして、華々しく闘っていた昔のことを思い出し、つい回想にふけっていた。そんなことをしてるから本は書けないし、進まないのだ。「でも…」と気を取り直して書き進めた。今の右派ブームに便乗した本ならば誰にでも書ける。何ら運動をやったことのない人も書いている。でも『〈愛国心〉に気をつけろ!』は、僕にしか書けない。そう思い直して、再び原稿用紙に向かった。

 今でも、愛国心は素晴らしいと思っているし、僕の中にもあると思っている。ただ、愛国運動になると、暴走する。それに、「これは正義だ」「愛国心を持つのは当然だ、常識だ」と思うと、どんどんエスカレートする。「反対する人はおかしい」「そんな奴は日本人じゃない」と思う。集団運動の熱狂の中で僕もエスカレートし、暴走して、暴力をふるったし、何度も捕まった。死さえ考えた。今、生きているのは奇跡かもしれない。自分の命だけでなく、他人の命も粗末にする。「国のためだ」「これが愛国心だ」と思うと、何でも許される。そんな気になる。ちょっと考えの違う人に脅迫状を送ったり、ネットで執拗に攻撃したり、その人の娘の写真をネットにあげて、「殺す!」などと言う。犯罪だ。でも、やっている当人は「犯罪」だとは思わない。「売国奴」「非国民」をこらしめているだけだ、正義の行動だと思う。

 僕だって昔はそうだった。こんな反日的な行為は、黒板やトイレに書かれた「イタズラ書き」だと思った。ただの汚れだから、ふき取らなくてはならない。消さなくてはならない。そう思った。その信念に基づいて、「消した」。左翼を襲い、乱闘した。市民派のデモでも、プラカードなどに反日的な落書きを見つけると、すぐに乱入して、殴った。乱闘になった。そんなことの繰り返しだった。よく、そこまでやったと思う。ただの右翼暴力学生であり、暴力青年だった。

 今は、そんなことはしない。でも時々、懐かしく思うことがある。〈愛国心〉のもとに、人はすぐに熱くなり、エスカレートし、暴れる。そんな力をひめているのが〈愛国心〉だ。つまり、愛国心は素晴らしい、と同時に怖い面もある。それを知ってる僕が、その点はきちんと書くべきだろう。そう思ったのだ。人間をやさしくさせ、寛容にもするし、同時に暴走させ、過激な行為にも走らせる。そんな力を持ったのが〈愛国心〉だ。そのことは知る必要がある。いや、体験者として、書いておく義務があると思ったのだ。単純に、「俺こそ愛国者だ。俺に続け!」と絶叫する本を作ったら、売れる。しかし、たとえ売れなくてもいい。昔の暴力活動家の義務として、これは書いておく必要があると思ったのだ。そのあとで、読者が判断することだ。本の帯には、こう書かれている。

〈日本への愛を汚れた義務にするな!
「愛国運動」に身を投じてきた著者が、排外主義が高まる現代に覚悟をもって挑む〉

 これは担当者が書いてくれた。ありがたい。単なる、昔の活動家の懺悔ではなく、反省でもない。これこそが日本への本当の愛なのだ。そう思って、覚悟をもち、勇気をふりしぼって書いたのだ。

 

  

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第200回〈愛国心〉に気をつけろ!」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    「愛国者」であるからこそ、その怖さや危うさを誰よりも、骨身に染みて知っている鈴木さん。ネットで「反日」や「売国奴」といった言葉が飛び交ういま、「語る義務があると思った」との言葉に、強い覚悟を感じました。私たちもまた、鈴木さんの言葉から学び、考えたいと思います。

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鈴木邦男

すずき くにお:1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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