鈴木邦男の愛国問答

 作家の保阪正康さんとの対談本『昭和維新史との対話』(現代書館)の見本誌が送られてきた。3月30日に全国書店で販売される。去年の6月から5回ほど対談し、かなり苦労して本になった。戦争に突入した日本、そして戦後の日本について語っただけでなく、いわゆる右翼の動きもからめて語った。

 右翼は「昭和維新」を目指し、国家に反抗し、テロやクーデターを繰り返してきた。しかし戦後は、「右翼は軍部、国家に協力した者たちだ」「戦争を煽り、軍部の手先になった者たちだ」と断罪されてきた。しかし、実際は違う。又、結果的には軍部や国家権力に利用されてきたことも事実としてはある。〈貧困と格差、愛郷と愛国、戦争と革命をめぐり彼等はどう思索し行動したのか?〉と、この本の帯には書かれている。「彼等」とは日本の右翼だ。この本のサブタイトルは「検証 五・一五事件から三島事件まで」だ。血盟団事件、五・一五事件、二・二六事件……と続く、日本の右翼運動は「昭和維新」を目指す〈変革〉運動だった。だが、一般的には右翼のテロ・クーデターの血塗られた事件としかとらえられていない。その辺の違い、そして真実はどうだったのかについて、語り合った。

 本の帯には、こう書かれている。〈思想と国家改造運動を通じ、日本を変えようとした昭和史の軌跡を二人の碩学が熱く語り合う〉。本当は「碩学」は保阪さんだけだ。僕は何も知らない。1960年代後半の右翼運動にほんの少し関係しただけだ。碩学の保阪さんに教えてもらいながら、必死に対談についていったのだ。

 保阪さんは戦中・戦後の昭和史について、とても詳しい。何千人と会って取材し、厖大な資料を調べている。それに驚くべきことに、先入観を持たずに歴史に対面し、そこから発言している。「歴史家として当然じゃないか」と思われるかもしれないが、こういう立場は極めて難しい。左右どちらかに偏しやすい。初めから「日本は侵略国家だ」と決めつけている人々。又、反対に「日本は悪いことは一切していない。正義のために戦ったのだ。戦争に負けたが、やったことは正しい。アジアの国々も日本には感謝している」という人々だ。最近はこちらの方が多くなっている。歴史の事実にあたる前から、自分の立場を決め、そこからスタートする。特に昭和史研究をしている人には、そういう人が多い。ニュートラルな立場で昭和史を語るのは、二人しかいないとさえ思う。保阪正康さんと半藤一利さんだ。

 それに保阪さんは、実際に権力者、政治家、右翼の指導者にも多く会っている。たとえば、農本主義者の橘孝三郎だ。橘は分厚い「天皇論」を4冊も書き、英文でも天皇論を書いている。大思想家であり、大哲学者である。にもかかわらず、農民と共に「農民決死隊」を組織して、五・一五事件に参加している。なぜ、そこまでするのか。橘は逮捕され、刑務所に送られる。その後しばらく経ってから、1970年代に、その橘を茨城の農場に訪ね、保阪さんは何度も何度も取材している。ある時、橘に言われた。「君の取材は一方的だ。ベルクソンを読んでから、それから来なさい」と。凄い人だ。このアドバイスに従って、勉強し、さらに取材を続けた保阪さんも大したものだ。

 又、取材を通じ、多くの右翼活動家にも会っている。元・楯の会会員で、のちに一水会の副会長になる阿部勉さんなどだ。それらの取材を通じ、五・一五事件について書いてるし、三島事件についても書いている。保阪さんとは、1年近く対談をした。その間、保阪さんの本は、随分と読んだ。元軍人、政治家などに取材した本が多かった。この対談を司会した現代書館の吉田さんに、「これは是非読んでください。保阪さんの自伝です」と言って渡されたのだ。不偏不党の作家・保阪正康はいかにして生まれたのか、それが分かった。『風来記:わが昭和史(1)青春の巻』『風来記:わが昭和史(2)雄飛の巻』)(ともに平凡社)だ。これからまだまだ続きが出るのだろう。〈ノンフィクションを書き続ける中で出会った忘れ得ぬ人たち〉〈昭和を見つめてきた作家は、いかにして時代と格闘したか〉……と帯には書かれている。 政治家や軍人、学者、評論家に会い、そこから歴史をとらえ直し、取材している。普通なら、その人に会い、〈評伝〉を書く。そして、その人にベッタリ寄り添って書く。とても保阪さんのようにはいかない。とてもいい自伝だった。

 もう一冊、ジャーナリストの自伝が出た。斎藤貴男さんの『失われたもの』(みすず書房)だ。「週刊読書人」(3月10日)に頼まれて、この書評をやった。これも真面目な自伝だった。〈問題意識の原点がここに――若くしてこの本に出会った人たちは幸せだ〉と書いた。斎藤さんは、子どもの時から問題意識をも持っていたんだ。父親の仕事のこと、社会の矛盾……。同じ風景を見ながらも、幼い斎藤少年の眼に映るのは別の光景だった。「ジャーナリスト・斎藤貴男が出来るまで」が克明に書かれていた。貧しい生活、学校、バイト、仕事。その中で懸命に生き、闘ってきた。そこで鍛えられ、作家になったのだ。雑誌や新聞の記者をやっていて、そこで学んだのかと思っていたが、違う。そんな方法論ではない。まさに闘いだ。

 これは保阪正康さんの『風来記』にも言える。社会を見る時、何を見るか、どこに眼をつけ、何を聞き、どこに耳を傾けるべきか。そして、書く側の覚悟について書いている。これから作家やジャーナリストを目指す人にとっては、「宝」だ。僕も、何度も読み直して、勉強している。

 

  

※コメントは承認制です。
第219回社会のどこを見て、何を聞くか」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    先入観をもたず耳を傾け、見る眼を鍛え、自分の視点をもつこと……ジャーナリストでなくとも、必要なことだと思いました。〈かつてこの国を想う純真な心をもって国家改造運動を目指した人たちは、なぜ権力者や軍部に利用されてしまったのか?〉(『昭和維新史との対談』鈴木邦男さん・前書きより)。この本から、いまの社会を考えるためにも読んでおきたい一冊です。

  2. そんな昔のことより、今日、日本会議の田久保さんが、籠池さんがらみで「生長の家がらみの内紛に巻き込まれるのが私は嫌なんだ」って言ってたけど、それって鈴木さん時代の遺恨をまだ根に持ってるってことでしょう。その辺について詳しく解説して欲しいな〜♪

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

鈴木邦男

すずき くにお:1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

最新10title : 鈴木邦男の愛国問答

Featuring Top 10/89 of 鈴木邦男の愛国問答

マガ9のコンテンツ

カテゴリー