柴田鉄治のメディア時評


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

shibata

 8月はヒロシマ・ナガサキの原爆忌、15日の終戦記念日と戦争を語り継ぐ月である。今年も昨年に続き、広島、長崎の平和式典をNHKの中継でしっかりと見た。昨年は安倍首相の広島でのあいさつに非核三原則が省かれ、批判されて長崎で入れるという醜態もあったりして、長崎のほうが断然よかったが、今年もまた、長崎のほうが訴えるものが多かった。
 両市長による平和宣言も、長崎のほうが「非核三原則の法制化」とか「北東アジア非核兵器地帯の創設」とか具体的な提案があり、被爆者代表の訴えにも安保法制に明確に反対する言葉があって、その瞬間の画像に安倍首相の顔を映し出したNHKの演出も見事だった。
 原爆の酷さを象徴する長崎の黒焦げの少年の写真、その少年の身元が71年ぶりに分かり、2人の妹さんが生きていたという「感動のドラマ」があったことも長崎の印象を一層強めたのかもしれない。
 8月6日夜のNHKスペシャル「決断なき原爆投下~米大統領 71年目の真実」はなかなか良かった。「女性や子どもの頭上には落とさない」と言っていたトルーマン大統領が軍部の言うままに広島への投下を認め、あとで「戦争を早く終わらせ、米兵や日本人の死者をこれ以上増やさないためだった」という言い訳を思いつき、それが米国の世論となった、という内容だった。
 翌7日の朝日新聞の投書欄に、「原爆投下で多くの米国将兵や日本人が救われた」という正当論にも一理あるという投書が載ったのには仰天した。「私の父は徴兵寸前で、父が死んでいれば私は存在しません」という投書の趣旨に異論はないが、恐らく隣に載っていた「原爆投下に正当性などない」という投書とバランスをとろうしたのだろう。そんな朝日新聞の『萎縮ぶり』に驚いたのである。
 日本の降伏がもっと遅れていたら、と原爆の投下を正当化したい米国人ならともかく、日本人なら「日本の敗北は分かっていたのだから、もっと早く降伏していれば、原爆の投下もソ連の参戦もなかったのに」と思うのが当然だろう。原爆の投下は間違いなく戦争犯罪であり、米国はいつの日か日本に謝罪する日が来ると私は確信している。
 ところで、ジュネーブの国連支部で続けられていた核軍縮作業部会が8月19日、「核兵器禁止条約の締結交渉を来年中に始めるよう国連総会に勧告する報告書」を賛成多数で採択した。ところが、この採択に日本は、なんと賛成せずに棄権したのである。
 理由は、米国の核の傘の下にあるから、ということらしいが、世界で唯一の被爆国である日本では、核廃絶は国民の総意だといっても過言ではない。核所有国の顔色を窺って棄権するなんて、どうかしている。
 メディアは政府の姿勢を厳しく批判すべきだが、読売新聞は24日の社説で「核兵器禁止条約、保有国抜きでは現実感がない」として「棄権したのはやむを得まい」と主張した。そうだろうか。もちろん核保有国まで賛成すれば理想的だが、それまで待っていては、いつになるかわからない。
 ここはとりあえず賛成国だけで禁止条約を成立させ、保有国に加盟を迫るという方式をとるべきではないか。賛成国だけでまとめた対人地雷禁止条約(オタワ・プロセス)やクラスター爆弾禁止条約(オスロ・プロセス)のような方式をとることだ。
 そのとき、日本政府が反対や棄権票を投じないよう、メディアはしっかりと監視していてもらいたいものだ。
 もう一つ、核なき世界を目指すオバマ大統領が、核兵器の先制使用はしないと宣言することを検討しているのに対し、安倍首相がハリス米太平洋軍司令官を通じて懸念を表明したと、米紙が報じた。
 それについて安倍首相は「ハリス司令官との間で核の先制不使用についてのやり取りは全くなかった。どうしてこんな報道になるのか分からない」と米紙の報道を否定した。ところが、核先制不使用について安倍首相自身はどう考えるのか、自分の考えは明らかにしなかったのだ。
 恐らく、核の抑止力が減ると反対なのではあるまいか。日本政府や安倍首相の見解は、日本国民の総意だと誤解される恐れがあるだけに、メディアもしっかりと追及してもらいたい。

開催前の懸念も吹っ飛び、リオ五輪は素晴らしかった!

 南米で初めて開かれたリオデジャネイロ・オリンピックは、開催前の準備の遅れ、治安の悪さ、政情不安など、いろいろと心配されていたのが、開催後は心配事もどこかに吹っ飛び、歴史に残る素晴らしいオリンピックとなった。
 とくに開会式、閉会式の素敵な演出、開会式での国籍なき選手団、難民代表の行進など、特筆すべきアイデアが次々と披露され、スポーツの祭典というだけでなく、文化の祭典でもあることを印象付けた。
 日本選手の活躍ぶりも見事で、「日本、がんばれ!」の声援も途切れることなく続いた。偏狭なナショナリズムは困るが、スポーツにおけるナショナリズムの高揚は害もなく、久しぶりに日の丸や君が代に酔いしれた3週間だった。
 ただ、日本のメディアにひと言、批判の言葉を言わせてもらえば、「国別のメダル数」にこだわりすぎではないか、という点だ。オリンピックは、国別の団体戦というのはあっても、あくまで選手個人同士の闘いだと、オリンピック憲章にもうたわれていることでもあり、国別のメダル数を比較してとやかく言うのは、もう少し控えるべきだと思う。
 ところで、オリンピックと高校野球が重なって、今年の夏はテレビ漬けとなった。テレビを見ている人にとっては「スポーツの夏」は悪くないが、4年後の東京オリンピックを考えると、猛暑の中の選手たちが気の毒だ。大スポンサーである米国のテレビ局の要請によるものらしいが、オリンピックは開催国の最もいい季節にやるようにできないものか。いまからでは無理かもしれないが、IOCに言ったらどうだろう。

天皇の「お言葉」は、第二の玉音放送か?

 8月8日、天皇が生前退位の希望を国民に直接語りかけた「お言葉」がすべてのテレビ局から一斉に流れた。あらかじめ録音された10分余の短いもので、政治的な発言にならないように配慮された内容だったが、その波紋は「第二の玉音放送だ」といわれるほど、大きなものがあった。
 まず、政界への波紋として、天皇は安倍政権の改憲に「待った」をかけたのではないか、という見方が広がった。というのは、お言葉のなかで「象徴としての務め」という言葉を何度も繰り返されており、自民党の改憲案にある「天皇を元首に」という提案に天皇は反対なのではないか、というのである。
 そういえば、「お言葉」のあとで、テレビに出てきて「政府として慎重に検討する」と述べた安倍首相の不機嫌そうな顔は、テレビを見ていた人なら誰もが感じたのではないか。
 一方、それとは逆に、天皇の退位を認めるよう憲法を改正しよう、と便乗改憲を言い出す改憲派もいるのだから、世の中は複雑だ。そんな勘繰りはやめて、素直に天皇のご希望がいれられるよう、皇室典範を改正すれば済むことではないか。どこの世論調査でも8割以上の人たちが「天皇のご希望通りに」と言っているのだから、国民の総意だろう。
 もうひと言、付言すると、8月15日の戦没者慰霊式典で、天皇のお言葉には「深い反省」という言葉があったのに、安倍首相の式辞には昨年につづき「反省」の言葉はなかった。先の戦争に対する認識は、天皇と安倍首相ではまったく違うようである。

政府の「沖縄いじめ」ますます陰湿に、取材活動まで妨害

 安倍政権の「沖縄いじめ」は、ますます陰湿になってきた。政府は来年度の沖縄振興予算の概算要求を今年度の当初予算より140億円も少ない3209億円とすることに決めた。概算要求額が前年度予算を下回るのは、安倍政権の発足後初めてのことだという。
 しかも、県が自由に使い道を決められる「一括交付金」が274億円の大幅減となったのは、政府が進める普天間基地の移転先、辺野古基地は「絶対につくらせない」と抵抗している翁長知事への嫌がらせだろうといわれている。翁長知事は、民意に従って反対しているので、政府は沖縄県民の民意を踏みにじるものだ。
 そのうえ、高江の米軍ヘリパッド基地の工事に反対する地元住民を取材していた琉球新報と沖縄タイムスの記者2人を、機動隊が住民と一緒に車両の間に閉じ込めて、取材妨害までしたというのだから驚く。
 これに対しては、沖縄マスコミ労組、新聞労連、日本ジャーナリスト会議、日本出版者協議会などが、相次いで抗議声明を出している。
 安倍政権のメディアへの介入は、いまに始まったことではないが、東京の経済産業省の前の原発反対テントの強制撤去にも乗り出し、それを取材していたフリージャーナリストを理由も言わずに逮捕までしたというのである(現在は釈放)。
 警察は、権力者の顔色を見ているだけに、取材妨害にはメディアも厳しく対応してもらいたい。「ジャーナリズムの使命は権力の監視にある」という言葉を、もう一度しっかりとかみしめ、萎縮や自粛をしないように望みたい。

 

  

※コメントは承認制です。
第93回 核兵器廃絶、先制不使用に賛成しない安倍政権」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    原爆や戦争にまつわる報道や特集番組が増える8月。そんな中で飛び込んできた、国連核軍縮作業部会での、核兵器禁止条約に向けた報告書採択の場で、日本が棄権した──とのニュースは、あまりにも残念なものでした。つい先日も、オバマ米大統領が検討する核先制不使用政策について、安倍首相が懸念を伝えたと報道され、首相はこれを否定したものの、では実際にはその政策を支持するのか、しないのかについては明らかにしないままです。
    「唯一の被爆国」を標榜しながら(実際には、南太平洋の核実験などで被ばくした人たちが世界各地にいるわけですが)、なぜストレートに「核廃絶」を打ち出せないのか。「北東アジア非核兵器地帯」の創設などを訴えた今年の長崎平和宣言を、もう一度読み返したいと思います。

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柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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