映画作家・想田和弘の観察する日々

『選挙』『精神』などの「観察映画シリーズ」で知られる映画作家、
想田和弘さんによるコラム連載です。
ニューヨーク在住の想田さんが日々「観察」する、
社会のこと、日本のこと、そして映画や芸術のこと…。
月1回の連載でお届けします。

第43回

「観察瞑想」のすすめ:
混迷する世界から自分を守り、世界を変える。

 夏になると、何か新しいことを始めたくなる。僕にはそういう癖がある。

 この夏は、以前から興味のあった「観察瞑想(ヴィパッサナー瞑想)」のクラスを受けようと思い立った。2600年前にブッダが発見・実践し、悟りを開いたといわれている瞑想法である。

 観察瞑想に興味を持った理由は単純だ。

 僕はこの10年間、「観察」をキーワードにドキュメンタリー映画を作り続けている。だから「観察」と名のつくものには、どうしても興味をひかれる。それがブッダの実践したものだというのなら、なおさらである。

 それに最近はどうにも忙しすぎて、常に心に落ち着きがない。祖国や世界の政治状況を見ていても怒りが湧くことばかりで、心が乱されることが多い。映画作家などというヤクザな商売をしているので、経済的な不安も常に抱えている。そういうストレスを少しでも軽減し、心の平静を保つ方法はないものか。そんな気持ちも募っていた。

 瞑想を習う場所を探すため、とりあえずググってみた。キーワードは「Vipassana」「New York」。するとすぐに、良さそうな場所が見つかった。ニューヨーク・マンハッタンにある瞑想センターである。センターのサイトによれば、毎週月曜の朝、5週間にわたって瞑想の基礎を学び訓練するサマーコースがある。料金は150ドル。リーズナブルだ。仏教に帰依する必要はなく、宗教も不問。早速、受講することにした。

 だけど平日の朝、瞑想を受けようなんて物好きな人はどれだけいるのかな。もしかして俺だけだったりして……? などと思いながら出席してみて、やや驚いた。受講者が約20人もいたのである。先生は白人の女性。受講者は老若男女。ニューヨークらしく様々な人種が入り混じっている。中にはパンク系ミュージシャンらしき男女もいた。

 聞けば、アメリカでは最近、観察瞑想は「マインドフルネス瞑想」などと呼ばれていて、一種のブームなのだという。あれこれ調べてみると、グーグル社やアップル社などの企業も、社員用のプログラムとして取り入れている。僕が知らなかっただけで、ブッダは21世紀のアメリカで、静かにブレークしていたのである。

 ブームに火をつけたのは、脳科学の分野での新しい知見だ。

 例えば、ハーバード大などが2011年に行った研究では、瞑想の訓練を8週間受けた人々の脳の灰白質の密度が高まったことが報告された。更に2015年には様々な研究結果から、脳のどの部分が瞑想の好影響を受けるかが特定されている。

 特に注目されているのは、瞑想によって前帯状皮質が発達することである。それは集中力や自己統御力をつかさどり、反射的で不適切な反応を抑制したり、戦略を柔軟に変更したりする能力と関係しているという。この混乱した世の中を生き抜くには、鍵となる脳の部位であろう。

 また、瞑想をすると海馬の灰白質が増大することも報告されている。海馬といえば、感情や記憶力をつかさどり、強いストレスに晒されるとダメージを受ける部位である。逆境をはねのける力と関係するといわれている。

 加えて、ジョンズ・ホプキンス大の2014年の研究では、瞑想が抗うつ剤と同じ程度に、抑うつを改善することも証明された。他にも、禁煙に効果があるとの研究や、脳の老化を抑えるとの研究、大学院入試(GRE)の論述の成績が16%も上昇するとの研究も発表されている。

 瞑想の有益性がこれだけ科学的に立証されているのだから、多くの現代アメリカ人が実践したくなるのも当然だろう。同時に、MRIも何もなかった時代に観察瞑想を編み出し提唱したブッダの先見性に、舌を巻かざるをえない。

 さて、瞑想の方法は、拍子抜けするほどシンプルだ。一定の時間(初心者なら10〜30分間)、身体の力を抜いて正しい姿勢で座って目をつむり(半開きでもよい)、自らの自然な呼吸に意識を集中させ、観察する。それだけだ。

 とはいえ、シンプルだからといって簡単だとは限らない。

 やってみて驚かされたのは、自分の頭の中がいかに雑念だらけか、ということである。いくら呼吸に意識を集中させようとしても、すぐに雑念が湧いて、気づいたら別のことを考えていたりする。

 典型的な雑念は、いわゆる「やることリスト」である。瞑想していても、いつの間にか「家賃の支払い、忘れないようにしなくちゃ」「新作の編集作業、今日は何時からやろうか」「マガジン9の原稿、〆切に間に合うかな」などと考えている。他の受講者も同じような経験を報告していたので、「やることリスト」は仕事に追われる現代人に共通する雑念なのだろう。

 他にも、数日前にあった○○さんの顔や発言が浮かんできたり、「あいつのあのツイートは酷かったな。どう言い返そうか」「ドナルド・トランプの昨日の発言、今度こそ命取りになるんじゃないか」「昨日作ったカレーはうまくできたな」「こんな瞑想、やってて本当に意味があるんだろうか」などなど、ありとあらゆる雑念がひっきりなしに湧いてくる。「心ここにあらず」なのである。

 しかし、そうした雑念が湧いても自分を卑下しないのが、この瞑想法のポイントであり鍵である。雑念が湧いたら、まずはそれに気づいた上で、呼吸に戻る。すると別の雑念が湧く。そしたらまたそれに気づいて、再び呼吸に戻る。その繰り返しだ。

 そのうち、雑念だらけの自分にうんざりして投げ出したい衝動が湧いてきたりするのだが、そういう感情もクールに観察して、また呼吸に戻る。あるいは、瞑想中に腰が痛くなってくる。あるいは、鼻の頭が痒くなってくる。あるいは、眠気が襲ってくる。そうした現象に対する対処の仕方も、みんな同じだ。腰の痛みなら痛みを、鼻の痒みなら痒みを、眠気なら眠気を観察し、呼吸に戻るのである。

 この瞑想のシステムが凄いのは、原理的にほとんど「失敗」しえないことである。雑念だらけのまま30分間の瞑想を終えたとしても、雑念のひとつひとつに「気づいて」いる限り、その瞑想は失敗ではない。実際、いくら雑念だらけの瞑想でも、終わってみれば自分の心が格段に落ち着いていることに気づかされる。なぜなら瞑想の本義は「雑念無しの上手な瞑想」をすることにあるのではなく、雑念だらけの自分の状態に「気づく」ことこそにあるからだ。そういう意味では、究極の「自己受容」なのである。おそらく。

 観察瞑想で訓練する心のあり方。それは、「今ここ」で起きている「ありのまま」に集中し、良いとか悪いとか、正しいとか間違っているとか判断することなく、ただただ「気づく」ことである(そういう心のあり方を「マインドフルネス」と言う)。

 マインドフルネスは、瞑想をするときだけでなく、日常生活で実践してこそ意味がある。例えば、歩くときは歩く自分に気づいて観察する。誰かに嫌味を言われて怒りが湧いたら、自分の中に湧いた怒りに気づいて観察する。ライバルの成功を羨む気持ちが湧いたら、その気持ちに気づいて観察する。過去の失敗を思い出して後悔の念が湧いたら、その気持ちに気づいて観察する。怠惰な気持ちが湧いて仕事をする気が失せたら、その気持ちに気づいて観察する。将来に対する不安が頭をもたげたら、その気持ちに気づいて観察する。

 すると怒りや羨望や後悔や怠け心や不安が湧いても、それらに振り回されたり、心や行動を支配されたりしなくなるから不思議だ。肝心なのは、そうした気持ちを無理に抑え込もうとしないことである。やるべきことは、ただ「観る」だけ。それだけで心の平和が保ちやすくなり、衝動に駆られて失敗することが減り、したがって人間関係や仕事に良い影響をもたらすのだ。

 とまあ、かなり知ったようなことを書き連ねてきたが、僕はまだ瞑想を始めて4週間の初心者である。間違っていることもあるであろうし、ここにはすべて書ききれるはずもないので、興味のある人にはバンテ・H・グナラタナ著『マインドフルネス 気づきの瞑想』(出村佳子訳、サンガ出版)をお勧めする。僕は原書でしか読んでないが、とてもわかりやすい入門書である。

 とはいえ、百聞は一見に如かず。本当にお勧めしたいのは、本を読むだけでなく、自分で試してみることである。

 僕は4週間前から、毎朝30分間、瞑想をしている。近年の僕は、スマホやパソコンを片時も離せないほど「何も見てない時間」が耐えられなくなっていたので、30分も目をつむってじっとしていられるとは想像すらできなかったのだが、やってみればなぜか苦にならない。むしろ頭や心がすっきりして気持ちがよい。そこで最近では朝の瞑想に加え、仕事の合間と寝る前にも15分ずつ、瞑想をするようにしている。すると仕事の能率や睡眠の質も向上したような気がする。だから時間が許す限り、瞑想の頻度をもっと増やしたいとさえ感じている。

 瞑想を始めて何よりも良かったと思うのは、暑い盛りに電車などで待たされてもイライラせずに済むし(そういうときは立ったまま短い瞑想—暑さやイライラを観察する)、したがって以前のようにはネガティブな感情に振り回されず、全体的に心穏やかな生活を送れることである。いわば一生使える、強力かつ副作用のない「精神安定剤」を手に入れたようなものだ。

 同時に思うのは、瞑想はこの混迷した暴力的な世界から自分自身を守るだけでなく、本質的な社会変革の方法にもなりえるのではないかということだ。

 だってそうだろう。

 僕がイライラしながら暴力的にAさんとかかわれば、Aさんはその分だけイライラして暴力的になり、Bさんに接するときにもそうなる可能性が高まる。ならばBさんがCさんとかかわるときにも……と負の連鎖には限りがない。

 逆に言うと、僕が気分よく非暴力的にAさんとかかわれば、Aさんはその分だけ気分よく非暴力的になって、Bさんに接するときにもそうなる可能性も高まる。ならばBさんがCさんとかかわるときにも……と正の連鎖にも限りはない。

 社会が個人から構成される以上、社会だけを変えようとしても無理がある。本質的な社会変革は、そもそも個人一人ひとりの変革からしか生まれえないと思うのだ。

 米国ではすでに、荒れた学校などで瞑想を取り入れ、成果をあげつつあるという。そうした動きが全米に、そして全世界に広まるならば、世の中を根本から変えることになるのではないか。少なくとも、自分や他者を注意深く観察し感情に流されない人が多数派になるならば、憎悪を煽るドナルド・トランプのような人物が大統領候補になるような事態は、そもそも起きようがないと思うのである。

 

  

※コメントは承認制です。
第43回 「観察瞑想」のすすめ:混迷する世界から自分を守り、世界を変える。」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    政治の場でも、テレビやネットなどでも、過度に攻撃的な言葉が目立つと感じるようになったのはいつからでしょうか。意見の違いをそのまま言葉の棘にしてぶつけるのではなく、まずは一拍おいて、心を落ち着けてから動く。一人ひとりがそう心がけるだけでも、ずいぶん息のしやすい空気が生まれてくるような気がします。
    「やることリスト」の雑念、あるある! と頷いた人も多そう。そこから逃れる意味でも、ちょっとやってみたくなりました。

  2. 木内みどり より:

    おはようございます。
    想田さんの書かれる内容を読むと、いつも、スカッとしていい感じになる効果を感じていました。

    この「観察瞑想」わたしにも大いに効果がありそうです。
    真似て始めてみます。
    ありがとうございます。
    お元気でいらしてください。

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想田和弘

想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。
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