柴田鉄治のメディア時評 記事


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などからジャーナリスト柴田さんが
気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

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内容は世界一すばらしいのに、日本国憲法ほど数奇な運命をたどってきたものはない。たとえばドイツの基本法(憲法)は50回以上も改訂されているのに、日本国憲法は制定以来、一度も改訂されていない。この事実だけみれば国民の圧倒的な支持があるかのようにみえるが、そうではなく、国論が最も割れているのが日本国憲法なのだ。

しかも、体制を支えるべき与党が改憲を主張し、野党が護憲を叫ぶという奇妙な逆転状況が、戦後ずっと続いてきたのである。そのうえ、党是に改憲を掲げる自民党が政権をほとんど独占してきたのに、歴代首相は「この政権では改憲を提案しない」と宣言するのを常とした。改憲派の、あの中曽根政権でさえ、そうだったのだ。

政権交代を目指して誕生した民主党も憲法に対する姿勢はあいまいで、本来なら政治が担うべき「改憲か護憲か」を、代わりにメディアが担うかのように、「読売・朝日の憲法対決」に象徴される新聞論調の二極分化をもたらした。

国民世論も不思議な動きをみせる。9条を変えるべきかを問えば、どの世論調査でも「反対」が多数派なのに、どこを改めるべきかを問わずにただ「改憲に賛成か反対か」を訊くと「賛成派」が多数を占め、しかもその比率は年々増える傾向がつづいてきたのだ。

こうした憲法をめぐる「奇妙なよじれ現象」を一気に解消しようと試みたのが、6年前の第1次安倍政権だった。ところが、安倍首相が国民投票法の制定など改憲に向って一直線に走り出したとたんに、国民世論は逆方向に動いた。

各地に「9条の会」が林立し、「9条を守れ」の声が一気に高まっただけでなく、世論調査での「9条を問わない一般的な改憲賛成派」の比率まで大きく下降したのである。

こうした「教訓」を学んだせいか、今度の第2次安倍政権の改憲への動きは、極めて慎重だ。7月の参院選までは目立たないようにしているようで、改憲論も中身まで踏み込まず、手続き論の憲法96条(衆参両院の3分の2以上で発議)の改正(2分の1以上に)から入ろうとしている。

 メディアまでそれに同調するかのように、憲法問題への取り組みが極めて鈍いように感じるのは私だけだろうか。9条を改訂して自衛隊を国防軍にすることばかりが象徴的に報じられているが、安倍政権が考えている改憲はそれだけにとどまらないのだ。

選挙前に発表された自民党の改憲案をよく読むと、憲法についての基本的な性格まで変えようとしていることが透けて見えてくる。国家が暴走しないように縛るものが憲法のはずなのに、逆に憲法によって国民の自由や権利を制限しようとしているのだ。そうなれば、言論の自由、報道の自由まで脅かされる恐れまで出てくる。

9条を改訂して国防軍にすることに賛成しているメディアであっても、報道の自由に制約が及ぶことに賛成するメディアはあるまい。改憲に賛成するメディアも、反対するメディアも、改憲の問題点についてもっともっと報道すべきではないか。
明文改憲だけでなく、解釈改憲についても同様に問題がある。たとえば、安倍政権がかねてから主張している集団的自衛権の行使を認めたら、何が起こるのか。ベトナム戦争のとき、日本と同じ米国の同盟国でも集団的自衛権の行使を認めている韓国は、米国からの要請に応じてベトナムに派兵し、4600人も戦死しているのだ。そういう事実も報じて注意を喚起すべきではないだろうか

 安倍政権が改憲に向けていろいろと策を練っているのなら、メディアはその策の内容を追及し、国民の前に明らかにしてもらいたい。憲法は「国のかたち」を決めるものだから、国民は手続き論の段階からしっかりと見極め、判断していかなくてはならないからだ。

イラク戦争から10年、政府もメディアも検証を

3月20日でイラク戦争の開戦からちょうど10年になった。「良い戦争」なんてあるはずもないが、イラク戦争ほど「間違った戦争」だったとはっきりしたものも珍しい。国連安保理の議決もなく、開戦の大義とされた大量破壊兵器も存在しなかったのだ。
米、英、オランダなどでは独立委員会を設置して検証作業を行い、オランダでは国際法違反の戦争だったと断定されている。また、ニューヨークタイムズなどメディアも検証して、「間違いだった」と読者に謝罪したところも少なくない。
それに対して日本は、いち早く米国を支持し「後方支援」と称して自衛隊まで派遣したのに、政府もメディアもまったく検証も反省もしていない。07年に国会で「政府はイラク戦争を支持した政府判断を検証すること」という決議が採択されているのに、放置されたままだし、外務省が昨年まとめた報告書には反省の言葉もなく、とても検証とはいえないものだった。
開戦から10年目の20日前後には、各メディアともイラク戦争を取り上げ、それぞれ振り返って報じていたが、こちらも検証といえるものはなかった。なかでは、このところ検証報道に力を入れている朝日新聞が、イラクの現況、当時の福田康夫官房長官のインタビュー、「政治は検証と反省を」と題する社説、天声人語と比較的手厚く報道していたようにみえたが、それにも大きな不満が残った。
社説も天声人語も筆をそろえて「日本が大義なき戦争に加担した真相は(当時の首相の)小泉氏に聞くほかない」と書いているのに、なぜ朝日新聞自身が小泉氏に訊かないのか、という疑問である。もちろん、訊こうとして断られたのだろうが、それならそうと、その経緯を詳しく書くのが新聞の役割だと思うのだが違うだろうか。
当時、イラク戦争に賛成の論陣を張った読売新聞と産経新聞もそろって社説に取り上げていたが、そこには反省の言葉はなく、産経新聞にいたっては「無法国家を民主国家に変えた戦争の意義を過小評価してはならない」と評価まで変えていないようなのだ。
一方、読売新聞の社説は、評価に苦しんでいる様子がにじみ出ているようには感じられたが、「『北』の脅威対処に教訓生かせ」というその内容は、何度読み返しても、教訓をどう生かすのか、私には理解できなかった。
まさか北朝鮮は大量破壊兵器を持っていることは確実なのだから「攻め込め」といっているのではあるまい。そんな教訓の生かし方はないし、そもそもイラク戦争は「コストに見合わない戦争だった」という言葉が読売新聞の社説にも出てくるように、武力で独裁政権を倒してもプラスにはならない、というのが最大の教訓だったはずである。

沖縄県民を無視した政府の辺野古埋め立て申請

沖縄・普天間基地の移転先として基地を新設しようとしている辺野古地域の埋め立て許可を、政府は22日、沖縄県知事に申請した。米軍基地の74%が集中している沖縄に、さらに新しい基地を造るなんて無茶な話であり、沖縄県民がこぞって反対しているのを無視しての強行申請である。
これに対して、メディアがそろって厳しく批判をすればいいのだが、悲しいことにそうはなっていないのだ。もちろん沖縄のメディアはそろって猛反対しているが、本土のメディアは例によって、新聞論調は二極分化したままなのである。
社説のないテレビ・メディアは中立のはずなのに、必ずしもそうとはいえない。NHKの24日朝の「日曜討論」を見ていて、ひときわがっかりした。中国、韓国、北朝鮮などの専門家と外相、防衛相が参加して東アジア情勢を論じた番組だったが、その冒頭部分、いわば「前座」のような形で辺野古埋め立ての申請について、外相や防衛相に説明を求めたのである。
もちろん普天間基地の移転と東アジア情勢は無関係ではないが、沖縄県民がこぞって反対しているところに新たな基地を造るということは、ほとんど国内問題であり、番組の冒頭に埋め立て申請をもってきた展開は、「日本の安全保障にとって、ほかに対案のない問題だ」という一部の論者の主張にNHKまで加担しているかのようにみえたからだ。
沖縄に関していえば、安倍政権が4月28日を、日本が占領時代を終わって「主権を回復した日」と位置づけて式典を開くと決めたことも、沖縄県民を無視したものといえよう。サンフランシスコ条約が発効して日本が独立した日ではあっても、その日は沖縄を切り捨てて米国の占領下に置いた日であり、沖縄では「屈辱の日」と呼ばれている日だからだ。
こんなに沖縄県民を無視し続けていいのだろうか。沖縄県民が日本から離れて独立したいと考え始めたことも無理はないと、あらためて思う昨今だ。

新エネルギーには期待だけでなくマイナス面にも目配りを

今月のニュースでは、女子選手からの訴えを放置し、JOCから処分まで受けた全日本柔道連盟が誰一人責任を取ろうとしなかったことや、世界野球WBCで日本チームが三連覇できなかったことなど、明るいニュースが少なかった中で、愛知県沖の海底からメタンハイドレードの試掘に成功したというのは明るいニュースだった。
メタンハイドレードは古くから知られた資源で、エネルギーの新顔とはいえないが、日本の近海にも埋蔵量が多く、これが利用できるようになれば、日本のエネルギー事情も一変するだろうと期待されているものだ。それだけに試掘に成功というのは、明るいニュースであることは間違いない。
そのニュースが大きく報じられてしばらくしたあと、「新エネルギー、負の面報じて」という読者の投書が新聞に載った。「メタンハイドレードは未来への希望かもしれないが、海底から採掘することによるデメリットはないのか、報道されていないことに不安を感じる」というのである。
この投書を読んでハッと気づいた。「そうだ。原子力開発が始まるとき、明るい希望ばかりが報じられ、負の面を報じなかったメディアの失敗が、福島事故につながったのだ」と。
原子力の負の面は、ヒロシマ・ナガサキや第五福竜丸事件などで熟知していたはずの日本のメディアが、「軍事利用は悪だが、平和利用は善だ」と割り切って負の面に目配りを怠ったことが、めぐりめぐって今回の悲劇につながったのである。
メディアは、どんなに明るいニュースに対しても、常に負の面に目配りをして報じるべきなのである。それがメディアの使命なのだ。

 

  

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柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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