柴田鉄治のメディア時評 記事


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などからジャーナリスト柴田さんが
気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

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今回の総選挙の結果は、ある人の言葉を借りると、またまた「オセロゲームのように世の中がひっくり返った」。2005年には自民党が、09年には民主党が大勝して政権交代があり、そして今回は自民圧勝・民主惨敗である。


 といって、自民党に熱狂的な支持が集まっての圧勝というのではないことは、投票率の低さや比例区での自民党の得票数の少なさなどからも明らかであろう。つまり、今回の選挙の結果は、国民が投票先に迷ったあげく、とにかく民主党政権3年間の実績に対して「ノー」を突きつけた、民主党の壊滅的な敗北の選挙だったのである。


 なぜこんな結果になったのか。もちろん、その原因は民主党のお粗末さにあることは言うまでもなかろう。鳩山首相が沖縄・普天間基地の移転先を「最低でも県外に」と主張したことは正しかったのに、途中で腰砕けになってかえって不信感を広げたのをはじめ、最後には野田首相が自民党に擦り寄って、マニフェストにもなかった消費税の増税を決めて多数の離党者を出すなど、批判を浴びる要素は少なくなかった。

米国、財務省、検察庁の意向に追随したメディア

 この民主党のお粗末さを喧伝し、「民主党はダメだ」という印象を拡大したのがメディアだった。もちろん、メディアの使命は「権力の監視」にあるのだから、民主党が権力を握った以上、政権に厳しい目を向けることは当然のことではあるが、この3年間のメディアの姿勢は、当初を除いてほとんどバッシングといってもいい状況だったといえよう。


 たとえば普天間基地の移転先に対して、本土の主要メディアはそろって「米国の言う通りにしないと大変なことになる」と主張して、県外案をつぶすのにひと役買った形だし、消費税の増税についてもそろって「やるべし」の論調で、「決められない政治」への批判が渦巻いた昨今だった。


 さらにいえば、検察庁が、政権交代直前の野党の党首だった小沢一郎氏に対し政治資金規制法違反で強制捜査に乗り出したこと自体、異例のことなのに、その後の検察審査会による起訴など、それこそ3年間にわたってメディアの小沢氏バッシングが続いたことも、無罪判決が確定したいまとなっては、そもそもなんだったのかと疑問が湧いてくる。


 検察審査会に提出した書類に検事の捏造した内容が含まれていたことをはじめ、小沢氏に対する最終的な無罪判決の判決文を詳細に読むと、すでに有罪判決を受けている秘書たちの容疑まで、控訴審でひっくり返る可能性まで出てきたのである。小沢氏に対する検察庁の執拗な追及は、かなり意図的なものだった疑いが濃く、メディアもそれに躍らされた格好なのだ。

 つまり、メディアは、米国政府をはじめ外務省や防衛庁、財務省や検察庁など、旧体制の巨大な権力に対するチェックには向かわず、むしろそれらの意向に沿って、民主党政権に対するバッシングに加担したようにさえ見えるのだ。

最大の争点だったはずの「原発」が、
どこかへ吹っ飛んでしまった!

 もう一つ付け加えると、今回の総選挙は、3・11の福島原発事故から初めての総選挙で、最大の争点は原発だったはずなのに、選挙の結果は、原発がまったく争点にならなかったことを示している。自民党の圧勝、日本維新の会の大勝という結果から、原発に対する民意を読み取ることは、誰もできないに違いない。自民党は原発について何も言ってなかったと同じだし、維新の会は「30年代までにフェードアウトする」という公約に対して石原代表が「見直す」と発言するなど、ぐらぐら揺れ動いていたからだ。


 なぜ、原発が争点にならなかったのか。その理由は明白だ。まず、民主党の公約は「30年代に原発をゼロにする」と脱原発をうたってはいるのだが、野田政権が「政治的判断で」大飯原発の再稼働を認めたり、「30年代に原発ゼロ」の閣議決定は見送ったりとすっきりしなかったうえ、選挙前に14もの政党が生まれ原発に対してどの政党がどんな政策を提示しているのか、よく分からないような状況になったことが、まず挙げられよう。


 選挙の公示直前に、嘉田由紀子・滋賀県知事が「10年以内に原発をゼロにする」と「卒原発」を標榜する「日本未来の党」を立ち上げ、ようやく脱原発派の核ができたように見えたが、これも民主党から飛び出した小沢氏のグループと合流したことで、「小沢嫌い」の人たちが背を向けるといった状況があった。


 こうした側面があったにせよ、今度の選挙で原発が争点にならなかった最大の理由は、焦点の自民党が「原発の争点隠し」をやったことだろう。自民党の公約は「3年以内に再稼働するかどうかを決め、10年以内にエネルギーの全体計画を決める」というものだったが、これでは原発についてはほとんど何も言ってないのと同じ状況だったのだ。

自民党の「原発の争点隠し」をメディアは追及せず

 それに対してメディアは「自民党はどうなのだ」と迫るべきだったのではないか。原発は最大の争点なのだから、国民の判断材料を提供するという立場からも欠かせない、というべきだったのだ。しかし、メディアはそういう追及をしなかっただけでなく、ほとんど批判らしい批判さえしなかったのである。


 選挙後、自民党は「原発については慎重に判断するという自民党の主張が支持されたのだ」と言っていたが、そうではあるまい。安倍総裁は、自民圧勝を受けてさっそく「再稼働だけでなく、新設も検討したい」と発言しているのだ。選挙結果から、原発に対する民意を勝手に見間違ってはならない。


 実は、自民党の争点隠しは、これが初めてではない。戦後、自民党政権がずっと続いている間、国民の意見が大きく割れているテーマは憲法9条だった。自民党は、党是には改憲を掲げながら国民に反対意見が多いことを知って、「この政権では改憲を提起しない」と宣言することによって、いつも争点にはしないようにしてきたのである。


 今回もそれと同じように、国民の間に原発に反対する意見が強いことを知って、あいまいな方針を示して、争点隠しをしてきたのだろう。


 それに対してメディアが単に追及しなかったというだけではない。原発をめぐって新聞論調が二極分化している現在、原発必要派の読売・産経・日経新聞などは、選挙中も「日本は原発なしではやって行けない」というキャンペーン報道を展開しており、とくに読売新聞は「言葉遊びの原発論議」とか「大衆迎合を排せ」とか、激しい見出しで脱原発を主張する政党への攻撃を繰り返していた。


 一方の脱原発派の朝日・毎日・東京新聞のほうは、原発容認やあいまいな主張を厳しく攻撃していたのは東京新聞くらいで、朝日新聞も毎日新聞も、原発が最大の争点であるということは繰り返し強調していたとはいえ、読者に判断材料を提供する形の「従来からの中立的選挙報道型」ともいうべき方式を守っていた。


 つまり、争点にしたくない政党と、脱原発攻撃に偏っていたメディアと、その二つが重なり合って、原発が争点に浮かび上がらなかったのである。


 原発については、かつてソ連のチェルノブイリ事故(1986年)のあと90年代にかけて世論が大きく反対に振れたときがあったが、原発推進の政策はまったく変わらなかった。その世論と政策の乖離をメディアがまったく衝かなかったことが、原子力報道の大きな失敗だったとされている。


 今回の選挙結果から、またまた世論と政策の乖離が起こらないか、国民もメディアもしっかりと監視していく必要があろう。

政界の右傾化に警鐘を鳴らさなかった日本のメディア

 選挙報道についてもう一点、指摘すると、日本の政界の右傾化について外国のメディアはしきりと警鐘を鳴らしていたのに、日本のメディアはそれほどの関心を示してこなかった。とくに選挙前には、警鐘を鳴らすような分析や報道は、あまり見られなかったように思う。
 ヨーロッパ型の二大政党は、だいたい保守対リベラルという形をしており、右寄りの米国でさえ、共和党対民主党の対立には、そういう要素が残っているといえよう。


 それに対して今回の選挙結果は、日本はこれから、保守対リベラルの対立ではなく、保守対超保守というか、保守対「超右派」の対立になりそうな気配である。  憲法改正と国防軍の創設を前面に掲げた自民党をはじめ、日本維新の会や改憲を主張する勢力が圧倒的に多くなっただけに、政界の右傾化についての鋭い分析記事や、それに警鐘を鳴らす報道がもっと出てきてもいいのではないか。


 とくに竹島や尖閣諸島をめぐる領土紛争から、韓国や中国との間に軋轢が生じているときだけに、日本の右傾化にはひときわ注意が必要だ。ナショナリズムが高揚して近隣諸国との友好関係が損なわれるようなことのないよう、メディアの役割がますます重要になってくる。

反論も質問もしない記者とは!
「選挙サンデー」に休刊日とは!

 そのほか、選挙中のメディアについて、私が感じた疑問点を二、三挙げておく。1つは、公示前に日本記者クラブで行われた各政党代表の記者会見で、朝日新聞の記者が従軍慰安婦問題の河野談話について質問し、自民党の安倍総裁が「従軍慰安婦問題は、そもそも朝日新聞の誤報から生まれた話だ」と全否定したことに対して、ひと言も反論しなかったことだ。


 その場で論争しなくてもいいから、「それは違いますよ」とひと言だけでも返しておくべきではなかったか。あるいは、後日、紙面で反論すべきことだったのではないか。


 もう一つは、選挙結果が出て、野田首相が「責任を取って民主党の代表を辞める」と発表した記者会見で、「質問はあと一人」と司会者が促したのに、誰も質問しなかったことである。訊くべきことはいくらでもあったはずなのに。


 記者会見で質問を躊躇することは、いまに始まったことではないが、記者会見では相手が嫌がることでも、国民に代わって訊くことが記者の使命なのである。メディアへの信頼感が落ちているときだけに、記者たちのいっそうの奮起を期待したい。


 さらに付け加えると、選挙中の、いわゆる「選挙サンデー」と新聞休刊日がぶつかったのに、全国紙は休刊日を他の日に振り替えることをやらなかった。地方紙は、河北新報、新潟日報、信濃毎日など多くの新聞が休刊日を取りやめて新聞を発行していたのに、選挙報道の最も必要なときに全国紙はそろって休刊したのである。


 選挙が突然決まったという事情はあったにせよ、新聞協会などで休刊日の振り替えを協議することはできなかったのか。新聞の影響力の凋落が激しいときだけに、選挙の真最中の休刊日には違和感が残った。

 

  

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柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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