柴田鉄治のメディア時評 記事


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などからジャーナリスト柴田さんが
気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

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 7月13日の朝日新聞と読売新聞を見て、びっくり仰天した。3月15日に朝日新聞が一面トップで「巨人、6選手に36億円」と報じた記事の関連記事が、両紙にそれぞれ異常な大きさで載っていたからだ。
 朝日新聞の見出しは「報道と取材に問題なし――朝日新聞社『報道と人権委員会』」「名誉毀損・プライバシー侵害ない」「報酬加算金も契約金と認定」とある。
 読売新聞の見出しは「朝日の誤報 安易に追認――同社人権委『見解』」「報道検証の責任放棄」「報酬加算金 契約金と異なる」とある。

 両紙を取っていない人のために若干説明すると、3月の朝日の報道に対して読売新聞が朝日の「人権と報道委員会」に訴え出た結果の「見解」とそれへの「反論」なのである。この対立は、3月のメディア時評でも触れたように、これほど大騒ぎする問題なのかどうかよく分からないし、いずれにせよこの結果、巨人軍が朝日新聞を裁判に訴えると言っているので、その是非は裁判の結果に待ちたい。
 ただ一般論として、メディア同士の相互チェックは、大変よいことだ、大いにやるべし、と私は考えている。仲間同士だと互いにかばいあうようなことがあっては、社会に対するチェック役としてのメディアの使命が果たせなくなるからだ。
 その点、週刊誌の新聞批判には、玉石混淆、おかしなものもしばしばあるが、週刊文春が6月28日号で報じた「巨人、原監督が元暴力団員に1億円払っていた!」という記事は大変なスクープだった。
 これに対して読売巨人軍は、記者会見で1億円の支払いは認めながら、恐喝した主を「反社会的勢力ではない」(暴力団員ではない?)として、被害届も出していない、と発表したのである。しかも、同時に、週刊文春のこの記事の広告を一切のメディアに掲載しないよう、裁判所に仮処分の申請までしたのである。


 この仮処分はすぐに取り下げたようだが、こうした対応の仕方を含め、親会社の読売新聞はどう考えているのだろうか。選手の契約金の話とは違って、ことは犯罪に関わることなのだ。「女性関係を秘密にしておくから」と脅して1億円を奪うことは、暴力団員であろうがなかろうが、個人的な問題で済ませる話ではない。
 しかも読売新聞は、暴力追放に最も熱心な新聞社だったはずである。私の記憶に間違いがなければ、第1回菊池寛賞に、暴力追放のキャンペーンで受賞したのが読売新聞だったと思う。
 週刊文春の報道に真っ先に反応し、記者が事実関係を調べ直して、暴力追放ののろしを上げるのが読売新聞の果たすべき役割だったのではないか。

 もちろん、このニュースを各メディアとも追いかけたが、その扱いはいささか遠慮がちだったように思えてならない。さらに、職務上の役割からして、直ちに調査して処分を決定しなくてはならないはずの日本プロ野球機構のコミッショナーが、原監督に会って「野球に専念してください」と激励したという話が報じられたときには、あきれてしまった。
 さすがに朝日新聞はこのことをスポーツ面のコラムで批判していたが、社説で取り上げてもいい問題だったのではあるまいか。「コミッショナーは直ちに調査して対処せよ」とメディアの砲列が敷かれてもおかしくないケースだったといえよう。
 日本のプロ野球は、過去に野球賭博など暴力団がらみの苦い事件がいろいろとあったのだ。「コミッショナーもメディアもしっかりせよ!」とあらためて叫びたい。

原発事故をめぐる4つの事故調の報告出揃う

 福島原発の事故の原因を調査していた国会の事故調査委員会(黒川清委員長)が7月5日に、政府の事故調査委員会(畑村洋太郎委員長)が23日に、それぞれ最終報告書を発表した。これで、2月に発表した民間事故調(北澤宏一委員長)、6月に発表した東京電力の事故調(責任者、山崎雅男副社長)につづいて4つの事故調がすべて出揃った形である。
 国会事故調は、原因はすべて人災だと明確に断定し、しかも、「規制される側(電力会社)が規制する側を虜にしていた」結果だとしており、また、政府事故調は、複数の同時損傷を想定していなかったうえ、規制する側の体制も技術の蓄積もまったくなかったと指摘している。
 両事故調とも、調査はまだ途上にあり、今後も継続する必要があるという点では一致している。
 4つの事故調が出揃ったことに対するメディアの報道は、4つの結論を一覧表にするなど、さまざまな工夫を凝らしているが、損傷の原因は地震か津波か、とか、事故直後の東電の「全員引き揚げ」の報告はあったのかなかったのか、といった点で異なった結論になっている。

 これらはいずれ、事故調の結果を再検証する必要があろうが、国会事故調、政府事故調だけでも、ともに700ページを超える膨大な報告書なので、もう少し時間が必要だろう。各メディアの分析結果を待ちたい。
脱原発デモの静かな拡大に、メディアはもっと注目を!
 事故調の結論とは別に、6月から7月にかけての原発がらみの動きとしては、大飯原発3、4号機の再稼働の決定と、それに抗議するデモの自然発生的な拡大がある。
 「決められぬ政治」という批判が渦巻き、それに対抗してか、野田首相は「私の責任で決定する」と大飯原発の再稼働を決めた。政府の事故調が結果を発表する前に、首相自ら安全だと判断を下して再稼働するなんて許されることではない、と再稼働に反対する人たちが決定前から首相官邸に続々と集まりはじめたわけである。
 このデモに対して野田首相が「大きな『音』だね」と言ったとかで、国民の『声』さえ聞こえていないのか」と国民の怒りはいっそう高まり、毎週金曜日の夜、デモ隊の数はぐんぐん増えていって、7月末には60年安保騒動以来の人波だといわれるほどに膨れ上がったのである。

 といっても、安保騒動とは違って、デモ隊は子ども連れなどの穏やかな人たちで、警官隊と衝突するわけでもなく、「再稼働反対」といったプラカードなどを掲げてゆっくりと行進をつづけ、時間がきたら静かに解散するといった形を繰り返していたのだ。
 それとは別に、7月16日の祝日に、作家の大江健三郎氏や瀬戸内寂聴氏、ルポライターの鎌田慧氏らが呼びかけた「さようなら原発10万人集会」が東京・代々木公園で開かれ、主催者発表17万人が集まった。「史上最大の反原発集会だ」といわれる大盛況で、炎天下の暑さと人いきれで、熱気がムンムンしていた。
 昨年9月19日に東京・明治公園で行われた「さようなら原発5万人集会」に続く2回目の集まりで、そのときも主催者発表の6万人より多いと思われるほどの人波で、大変な熱気だった。
 そのときの報道について昨年のメディア時評でも触れたが、脱原発の論調を掲げている朝日、毎日、東京新聞と、原発必要論を掲げている読売、産経、日経新聞では、まるっきり扱いが違ったのである。そのなかで、朝日新聞の扱いが極めて悪く、同紙の編集責任者が「意図的なものではなく、単なる判断ミスだった」と述べていたので、今回の扱いはどうかと注目していた。

 ところが、朝日新聞の扱いは、またまた極端に悪く、一面にさえ出さなかったのである。その日の一面には、いわゆるヒマダネばかりで「史上最大の反原発集会」が載せられないような紙面ではなかったのに、である。
 なるほど、これでは朝日新聞をやめて東京新聞に乗り換える人が多いのも無理はないな、とあらためて分かった次第である。
 さらに朝日新聞の紙面でおかしかったのは、この大集会の翌々日の紙面で、大集会の3日前の官邸デモの様子を1ページにわたって大々的に報じたことである。この記事がなかなか中身の濃い、素晴らしい記事であったため、なぜこんなにちぐはぐな報道のしかたをするのか、いっそう疑問が大きくなったのである。
 それはともかく、デモや集会の意義をまったく忘れてしまったかのような最近の日本のなかで、自発的な静かなデモがどんどん膨らんでいるという現象は、何か新しい希望が生まれてくる前兆のような気がしてならない。
 朝日新聞もようやくそのことに気づいたのか、7月30日の朝刊では前日の官邸前デモをやっと一面トップに扱い、さらに「国会を包囲する人々」と題する大型社説を掲げて、「不信に動かされる『負の民主主義』を、信頼と対話に基づく『正の民主主義』に鍛えなおしていくのだ」と論じている。

 原発は必要だとして、こうしたデモや集会の報道を手控えている読売、産経、日経新聞などのメディアが、これからどう報じていくかを含めて、もう少し、メディア全体の動きをじっくり見守っていきたい。

 

  

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柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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