柴田鉄治のメディア時評 記事


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などからジャーナリスト柴田さんが
気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

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 2011年が東日本大震災と福島原発事故の年として歴史に残ることは間違いない。一般に、大震災のような大事故が起こると、みんなメディアに注目するわけだから、メディアの存在感が増すことは確かであり、今年はいろいろな意味で「メディアの年」だったことは事実であろう。
 しかし、メディアの「存在感」は増したとして、メディアに対する「信頼感」のほうはどうか。どうも信頼度は高まるどころか減じてしまった、つまり不信感が広がったのではないかと思われてならないのだ。
 その原因は、大地震・大津波の報道にあったのではなく、原発事故報道にあったのではないかと私はみている。地震・津波報道ではなかなか頑張ったのに、原発事故報道では、これまでも何度か指摘してきたように、現場に肉薄せず、「発表依存」に陥ってしまった感があるからだ。
 そのことを最も端的に表わしていたのが、年末に開かれた東京写真記者協会主催の「2011年報道写真展」だった。新聞社・通信社・テレビ局など30数社が加盟する同協会の今年の写真展は、会場いっぱいに大地震・大津波の息をのむような写真が、圧倒的な迫力で迫ってくるなかで、福島原発事故の写真は僅かに数枚、それも8ヵ月後に報道陣に公開されたときのものなのだ。
 写真展を見た人が「真ん中にぽっかり空洞ができているような感じ」と評していたが、たしかに今年のメディア状況を象徴するかのような報道写真展だったといえよう。
 もちろん原発事故のような、何が起こったのかよく分からないような事件では、ある程度、発表依存になることはやむを得ない部分もあるのだが、それにしても「まるで大本営発表ではないか」といった激しい批判が渦巻いたのだから、尋常ではなかった。
 それは、とくに初期のころに著しく、東電・政府の発表は、「戦果は誇大に、被害は過少に」の大本営発表さながら「いますぐ人体に影響はない」を繰り返し、事故の規模も建屋が吹っ飛んだというのに国際基準レベル4にはじまって1週間後にレベル5、1ヵ月後にやっと世界最悪のレベル7を認めるという始末だったのだ。
 なかでも放射能汚染の状況やその広がりを予測するシステムのデータなどを事故発生から2週間も発表しなかった罪はきわめて大きく、なぜ政府に発表を迫らなかったのか、という形でメディア批判となって跳ね返ってきていたのである。 現場に行かずに発表依存だという批判に対して、現場に肉薄したメディアがまったくなかったわけではない。前にも触れたが、事故直後に放射能測定の専門家たちといっしょに現場に突入して『ネットワークでつくる放射能汚染地図』という番組を制作したNHK取材班のような優れた仕事もあったのである。
 ところが、日本ジャーナリスト会議(JCJ)の大賞に輝いたこの番組を、当のNHKはあまり評価しなかったようなのだ。「内規を無視して勝手に現場に入った」と問題視する空気が局内にあっただけでなく、番組の放送も教育テレビで深夜にという不可解な編成だった。さらに付言すれば、この番組を今年の新聞協会賞の候補にさえ推挙しなかったのである。
 「危険なところには行かない」という日本のメディアの性癖は、湾岸戦争やイラク戦争でのバグダッドからの「記者総引き揚げ」以来のものかもしれないが、福島原発事故報道でまたまた新たな事例が積み重なったといえようか。
 メディア不信の増幅は、事故報道だけではなかった。たとえば、9月19日に東京で行われた「さようなら原発」6万人集会とデモの様子をまともに報道したのは、東京新聞だけだった。一般に、集会やデモの参加者数は、主催者は過大に警察は過少に発表するものだが、このときばかりは主催者発表さえ過少に思えるほどの参加者と熱気だったのに、だ。
 この集会とデモを、原発推進の社論を掲げる読売・産経・日経新聞は、いずれも社会面写真なしの2段かベタ記事、脱原発に社論を切り替えたはずの朝日新聞までが、そっけない扱いだったのである。
 その理由について朝日新聞の編集責任者は「決して意図的なものではなく、単なる判断ミスだ」と語っていたが、それに関連して、あるOB記者が興味深い話をしていたので紹介したい。
 新聞記者には現場に取材に出る記者と本社にいて編集に当たる整理記者と二種類あるが、「昔は、その日の編集に当たる整理記者は、日中に大きなイベントや集会などがあるとよく覗きに行ったものである。さよなら原発集会には、整理記者や編集の責任者が誰も覗きに行かなかったのではないか」というのである。
 原発事故報道では東京新聞の活躍が目立ったが、昨年から続いている沖縄の普天間基地問題では、本土のメディアが不信感を広げるなか、沖縄のメディア、なかでも琉球新報、沖縄タイムスの活躍が目立っている。
 年末に起こった沖縄防衛局長の暴言問題も、琉球新報の勇気あるすっぱ抜きがなかったら、その存在すら闇に葬られていたかもしれないものだったのだ。
 もちろん本土メディアのなかには「オフレコの約束で聞いた話なのだから、報じるべきではなかった」と主張する人もいるが、その暴言が政府の『本音』に近いものであり、沖縄県民にとっては許せないものであるだけに、地元紙としては見過ごせなかったに違いない。
 そもそもオフレコ取材は、その必要性がまったくないとはいわないが、最近はやたらとオフレコが増えて、そう前置きさえすれば、何でも許されると勘違いしている政治家などが多いといわれている。
 新聞協会でもオフレコの乱用を強く戒める手引き書を定めており、「時期が来れば報じられるケース」など、オフレコにする明確な理由があるケースに限るようにと指導していることなのだ。

次々と独裁政権を倒した「アラブの春」も
ソウシャル・メディアから

 今年が「メディアの年」といわれるのは、国内だけではない。海外に目を転じると、チュニジアにはじまって、エジプト、リビアと、次々と民衆が立ち上げって独裁政権を倒していった「アラブの春」も、そのきっかけはメディア(といっても新聞やテレビではなく、インターネットなどのいわゆるソウシャル・メディアだが…)だった。
 このアラブの春は、遠くロシアにもおよび、独裁的なプーチン政権を揺さぶりつつあり、また、中国共産党の独裁政権も神経をぴりぴりさせている。新聞やテレビは権力で抑えることができても、インターネットなどは難しく、独裁政権の維持には欠かせない情報の管理が不可能になりつつあるからだ。
 独裁政権といえば、年末に北朝鮮の金正日総書記が死去したが、こちらは民衆が立ち上がったのではなく、三代目の若い金正恩が独裁体制を引き継ぐことになりそうだ。国内の情報管理が徹底していて、恐らく「アラブの春」を国民に知らせてもいないのだろうが、国民が世界の動きを自由に知ることができるようになれば、独裁政権の崩壊はあっという間に違いない。メディアの役割の重要性をあらためて考えさせられる出来事だった。
 アラブの春といえば、米国で「ウォール街を占拠せよ」というデモが湧き起こったのも無関係でないかもしれない。富を占有する1%の人たちに対して、99%の人たちが怒りをこめて立ち上がったデモであり、ここでもソウシャル・メディアの呼びかけが威力を発揮したといわれている。

ヨーロッパの金融危機から「国家って何だろう」

 ヨーロッパでは、ギリシャを中心に金融危機が広がった。国境の壁を低くしようと共通の通貨をつくったユーロが危機に陥ったことで、「国家って何だろう」とあらためて問い直される状況が生まれた。EUという新しい実験も、逆行しかねない危機に直面している。
 今年、世界の人口は70億人を突破、この狭い地球を国家という単位に分割して統治していく方法では、もう限界に来ていることは明らかだ。地球温暖化の防止をはじめ地球環境を守る方策も、国単位ではとても無理だろう。
 二酸化炭素の排出量を規制する京都議定書に続く国際的な枠組みも、南アフリカで開かれた国際会議でかろうじて継続協議とはなったが、先行きはまったく見えない。地球の将来のことを考えると、今年は前進したのか後退したのかよく分からない、とにかく内外ともに明るい話題が少ない年だったといえようか。

イラク戦争終結、メディアは反省の総括を

 そんななかで唯一の救いは、新たな戦争が起こらなかったことくらいだろう。年末にイラク戦争の終結宣言が出されたが、あれほどイラク戦争を批判して当選したオバマ大統領なのに、終結宣言にまったく反省の言葉を述べなかったのには、いささかがっかりした。
 開戦の理由とした大量破壊兵器がなかったことをはじめ、イラク戦争ほど「間違った戦争」だったことがその後、明白になった戦争はないのに、国家となるとなかなか間違いを認めないものである。
 日本政府も米国を支持してイラク戦争に賛成したのだから、そのときの小泉首相ら政権の幹部だった人たちがどう思っているか、その反省の弁を訊いて、メディアは報じたらいいのではあるまいか。
 同時に、読売新聞や産経新聞は、あのときイラク戦争に賛成したのだから、反省の弁を報じるべきだろう。ニューヨーク・タイムズ紙は、ずっと前に反省の社説を掲載したのだから…。
 しかし、イラク戦争終結を論じた12月16日の読売新聞の社説には、反省の言葉はまったくなかった。

番外編、TBSドラマ『南極大陸』を見て

 この10月から12月にかけて、TBSの開局60周年記念特別番組『南極大陸』が放映された。人気抜群のキムタク(木村拓哉)を主役に柴田恭兵、香川照之、堺雅人、緒形直人ら錚々たる俳優たちを使い、日曜日のゴールデンアワーを1時間(最初と最後はさらに長く)という局をあげて取り組んだ番組である。
 メディア時評にドラマ評まで加えるのは、いささか場違いなのだが、筆者は南極観測隊に何度も同行し、南極にひときわ関心を抱いている人間なので、ひと言つけ加えたい。
 昔々、『南極物語』という映画があった。観客動員数日本一をしばらく続けたほどの人気映画だ。そのリメイク版かと思ったらまったく違った。それはそうだろう、時間にして10倍近くも長いのだから…。しかし、似たところもある。イヌが主役だというところだ。
 全体の印象はなかなかの力作だった。北海道ロケだという映像で南極の自然の厳しさと美しさは十分に伝わってきた。しかし、歴史的な事実を知っている人間にとっては、あまりの違いに、いささか戸惑ったことも確かである。
 ドラマに向かって史実と違うと叫んでもやぼなことだが、番組の冒頭に「54年ぶりに明かされる真実――」という言葉があるだけに、余計に違和感があったのだろう。
 たとえば、観測船「宗谷」の揺れのひどさはいくら強調してもかまわないが、船室まで海水が入ってきては船が沈んでしまうだろうし、キムタクが昭和基地に一人で滞在しているときにタロとジロが見つかったというシーンも、「南極では一人での行動は許されない」という基本原則に反するのだ。
 といっても史実に近いところも少なくない。南極観測が始まるときに子どもたちが5円、10円と小遣いを持ち寄ったことや、昭和基地にカラフト犬を置き去りにせざるを得なかった事情なども、いまの若い人たちに知ってもらいたいところである。
 ただ、私が最も気になったところは、南極観測は敗戦後の国民を元気づけたニュースではあったが、ドラマが強調するような国威発揚や国家の威信を高めるためのものでは決してなかった、という点である。

 

  

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柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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