雨宮処凛がゆく!

「日本も難民を受け入れよう!」バナーの前で。

 今年9月、トルコの海岸に小さな男の子の亡骸が漂着した。
 男の子の名は、アイラン・クルディ君。「イスラム国(IS)」から逃れるため、シリアのコバニからやってきた彼は、3歳で命を落とした。
 彼の写真は瞬く間に世界中に広がり、多くの人にショックを与えた。そうして、難民受け入れ拡大の世論がヨーロッパを中心に世界的にも高まり、ドイツは「今後1年間に50万人程度の難民・移民を受け入れる」と発表。
 しかし、日本はどうか。

 9月29日、ニューヨークの会見で難民受け入れについて聞かれた安倍首相は、移民受け入れよりも女性の活躍、高齢者の活躍など先にやるべきことがある、という主旨の発言をした。
 一方、ある漫画家がFacebookに「そうだ 難民しよう!」という、いかにも難民が偽装であるかのような内容のイラストを投稿。これには批判が殺到し、海外にまで報道される騒ぎとなった。
 難民。この言葉を口にする時、私は「日本は島国なのだ」と痛いほどに感じる。多くの人が、「日本には全然関係ない」ことだと思っているからだ。シリア難民が大きく報じられる以前などは、「難民」と言うだけで「え? 難民?」と笑われることすらあった。
 いや、私だって難民問題に以前から詳しかったわけではまったくない。「難民」の苦悩を教えてくれたのは、この連載の第296回297回299回で書いた原稿「働いたら収容所、帰国したら拷問〜~謎のイラン人、ジャマルさんは難病で難民!!」の主人公・ジャマルさんだった。

 1990年、イランの独裁政権を逃れて日本にやってきた彼は、24年間日本に住み、3度も難民申請しながら一度も認められることはなかった。イラン政府にとっては「反政府勢力」とされ、イスラム教を「捨てた」という彼は、イランに戻ると拷問と死が待っているというのに、だ。時に「拘置所と変わらない」と言われる入管収容所にぶち込まれ、時に強制送還の恐怖に晒される。身分としては「難民申請中の仮放免者」なので働くと「不法就労」となってしまい、バレたらやっぱり収容所。しかし、生活保護を受けることもできない。

 これほどに大変な目に遭っている人に、私は初めて会ったのだった。なんとか難民申請が認められる手伝いをしたい。その一心から取材もし、書かせて頂いたわけだが、結局、状況が好転することはなかった。昨年12月、ジャマルさんは難民を多く受け入れているカナダに亡命。この事実に、私は日本という国を改めて情けなく思った。

 というようなことを言っても、大抵「なんで?」という顔をされる。一体どこから話を始めたらいいのだろう、と思うが、日本は難民条約を批准しているわけである。批准国は、「人種、宗教、国籍、政治的意見または特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるかあるいは迫害を受けるおそれがあるために他国に逃れた」という難民の定義に当てはまる人を保護する義務があるのである。が、日本はずーっとその義務を放棄し続けているに等しい状態。
 2014年度、日本に難民申請をした人は5000人いたものの、認定されたのはわずか11人。認定率、たったの0.2%。そのうち、シリア難民は2人だけ。翻って、ジャマルさんが向かったカナダの難民認定率は2011年で40%を超えている。これだけで、いかに日本が「難民受け入れ後進国」であるかがわかるはずだ。

 さて、そんなことに悶々としていた10月はじめ、「日本も難民を受け入れよう! デモ」があることを知った。呼びかけは「SYI(収容者友人有志一同)」。難民について理解が深いとは言えないこの国で、真っ正面から「受け入れよう」と呼びかけるその心意気にいたく感動し、10月11日午後2時、アルタ前に向かったのだった。
 アルタ前には、「人権に国籍は関係ない」「国際貢献は武力提供でなく難民受け入れで」「空爆反対! 難民作るな!」などなどの言葉が躍るプラカード。
 そうしてデモ前集会では、SYIメンバーがかわるがわるスピーチ。そこで最後にスピーチした女性・織田朝日さんの言葉が、あの日からずっと離れないでいる。彼女は必死な顔でマイクを握り、声の限りに訴えた。

 「ニセ難民、本当の難民、そこから始まらないでください。悪い難民、いい難民ってなんでしょうか。いい人間なら救われて、悪い人間なら救われる必要がないという物差しって、一体なんなんでしょうか。我々がもし難民になった時、誰も手を差し伸べてくれなかったらどうしますか。我々日本人が難民にならないという保障はどこにもありません。可哀想だから難民を受け入れようではなく、助け合いです、これは。命がかかっている問題なんです。
 難民は好きで難民になるんじゃない。好きで戦争の被害に遭うんじゃない。好きで家を失うんじゃない。好きで国を失うんじゃない。好きで海を渡るんじゃない。好きで死ぬんじゃない。
 助け合うんです、私たちは。私たちは助け合わなければいけないです。去年の日本の難民認定数11人。話にならない。こんなのでは誰も救えない」

 「難民が来たら仕事がとられる、生活保護されちゃう――そんなことじゃない! まずは命を救うんだ! 難民たちの命を私たちは救う。助け合いです。私たちだって困ったことがあったら助けてほしい。手を差し伸べてほしい。当たり前のことじゃないですか。
 ニセ難民とか悪い難民とかレッテル貼りはもうやめてください。戦争は現実に起きている。難民は現実に困っている。私たちだってできることがあるはず。日本だって難民を受け入れるんです。私たちだって手を差し伸べるんです。私たちにできることは、できるだけやるんです。どうか、賛同頂ける方は一緒にデモに参加してください。よろしくお願いします!」

 15時から、私たちは新宿をデモ行進した。
 「日本も難民受け入れよう」「排除をやめろ」「収容やめろ」「戦争やめろ」「空爆やめろ」。そんなコールが響き渡る。みんなが手にするプラカードには、「憲法前文より 全世界の国民がひとしく平和に生存する権利を有する」「世界の誰もが平等に平和に生きる権利を持っている」などの言葉。デモにはTwitterを見て急遽参加したという中国の人の姿もあり、「日本に難民受け入れを望むグループ」で活動しているというアメリカ人女性は「日本の難民認定の審査は、あまりにも厳しすぎる」とスピーチ。沿道では、日本語と英語で書かれたプラカードを見て賛同した外国人が拍手を送り、トルコレストランで働く人が手を振ってくれる。

 しかし、日本人の反応はというと、どうか。ここ最近、戦争法案反対デモにばかり行き、その反応の良さを経験したからかもしれないが、なんだか素っ気ない気がした。どことなく、「他人事」という空気。無関心の視線。ちなみにこの日のデモの参加者は約60人。
 安保法成立を巡り、難民受け入れこそが積極的平和主義ではないのか、なんて議論が盛り上がっているように思えた身としては、「もっと来てもいいのでは」と率直に、思った。しかし、ある意味でそれがこの国の現実なのかもしれない。

 が、シリアで大量に難民が発生している状況について、私たちは決して無辜ではないと思うのだ。朝日新聞(10月11日)によると、イラク戦争当時、自民党幹事長だった山崎拓氏は、「イスラム国(IS)」の登場について、イラク戦争を支持した小泉純一郎氏や自分にも間接責任はあると認めているという。それは当たり前のことで、現在のシリア難民への責任だって、この国には十分すぎるほどあるはずなのだ。しかし、多くの人がイラク戦争と今の悲劇を関連づけて考えることをしない。「忘れっぽい国民」は、結局は責任をうやむやにし、権力者を甘やかし、いずれ過ちを繰り返す。そんなことは、もう終わりにしたい。

 シリアでは、1000万人の人々が内外へ逃げ出している。ヨーロッパに34万人、その他の国に375万人もの難民があてどもなく彷徨っているという。難民受け入れをほとんど放棄したこの国はしかし、難民を大量に生み出す原因となる、武器の輸出には踏み出している。
 今年に入ってから、既に2700人もの難民が地中海に沈んだそうだ。

 私たちがすべきこと、できること。
「日本は難民条約に批准した国の責任を果たしてください」
 アメリカ人女性の言葉が、今も耳に残っている。

新宿を練り歩くデモ隊

 

  

※コメントは承認制です。
第352回 日本も難民を受け入れよう!デモ。の巻」 に6件のコメント

  1. magazine9 より:

    「悪い難民、いい難民ってなんでしょうか」というデモでのスピーチに、国内での生活保護受給者バッシングのことが重なりました。人権は「好き、嫌い」にかかわりなく、誰にでも等しく認められるもの。他人の人権を認めることは、自分の権利を守ることにもなるはずですが、そうした権利意識が日本で根付いているとは言えないように感じます。日本では難民申請期間中にも公的支援の「隙間」となる期間があり、ホームレス状態となって困窮する人もいると聞きます。さらに、これから日本が海外で「積極的平和」を追求していけば、意図せず「加害者」となることも増えていくかもしれません。そのことも意識していかなければなりません。日本の首相が、シリア難民という日本も無関係ではない人権問題を、移民という労働問題として発言したのは、あまりにもお粗末ですが、私たち市民の側が学んでいくことで、意識や体制を変えていくことはできるのではないでしょうか。

  2. とろ より:

    「悪い難民、いい難民ってなんでしょうか」
    ドイツは選別を始めましたね。もともと無茶な受け入れやっていたから当然なんでしょうけど、
    当然ほかの国にも波及するでしょう。今は難民の押し付け合いで済んでますけど、そのうち喧嘩しかねない。
    欧州の産業界からすれば移民なんてただの安い労働力でしかない。どこかで働かないといけないですが、言葉があやふやな状態ですからできる仕事は限られてきます。工場労働とか言葉がそれほど必要のない仕事ですね。雇う側からすれば足元見ますから当然安い賃金で雇います。そうすると、今その仕事に就いている人達は更なる低賃金労働になる可能性がある、または失業。当然怒りますわな。
    難民はかわいそうだとは思いますが、まず国民の人権を考慮したうえでお願いしたいですね。

  3. ryo sasaki より:

    難しい問題ですねえ。
    人道的立場から言えば、困っている人、しかも命に関わるような問題で困っている人を救うべきなのでしょうが、しかし日本の現状を考えると、はたして日本に難民を受け入れる余裕があるでしょうか。

    難民を受け入れると言う事は、当然の事ながらその難民が日本に居る間は、ずっと色々な面でサポートしなければなりません。その費用も当然、税金が使われるでしょう。一人や二人ならまだしも万単位にでもなれば国民負担も相当な額になるでしょう。
    費用の問題だけでなく雇用の問題、生活習慣や価値観の違いによる問題等、日本、否、日本国民にとってはリスクが大き過ぎるのではないかと思います。

    感情的には助けてあげたいと思っても現実的には軽はずみ的なことはできない、日本としては迂闊に引き受けられない事柄だと思います。

  4. とろ res コメント より:

    すべての移民を、まずドイツが受け入れてみたら、どうか?

    ドイツが、どこまでやれるか?
    それを見てから、反応しても遅くないと思う。

    (まあ、ドイツもすぐに破綻すると思いますが)

  5. arakaki より:

    ヨーロッパの国々が難民の受け入れを押し付けあっています。もともとは自分たちの都合の良い植民地政策(勝手に国境線を決めて民族の対立を誘発させた)に起因しておこっている事だというのにです。日本は歴史上そこには一切関与していません。だからこそ日本は自信を持って言うべきです。「難民の受け入れは旧宗主国がまず率先して受け入れるべきで、次に武器輸出を行っている国(イスラム国、タリバン等、彼らの使用している武器はそういう国からのものだから)、最後にその国での戦闘に参加した国の順に行うべきですよ」ってね! だから日本はアメリカの片棒を担いでこの類の戦闘に参加するべきではなく、また安易に武器輸出をするべきではありません。I am not ABE です。彼は戦後70年間日本が守り続けた平和外交のカードを使うこともなく捨てようとしています。せめて国連で演説して1回使ってくれ。

  6. きら より:

    まずは命の助け合いとかいうけどさぁ、

    実際私の家だって、母子だし、稼ぎが良くなったからお金の免除とか危うくなってさぁ。そうなったらその分のお金も払わないとでしょ?年金も合わせて。

    それって、その分のお金も払うなら稼ぎが良くなったって逆に辛くなるんだけど。
    そんな中、難民や移民を受け入れて、年金上がる?ふざけんなよ。 今は老後の年金も期待出来ないのに?払えるわけねぇわ。
    まずは難民よりそこの問題を解決して欲しいね。余裕が無いのにそんな事言うなよな。

    確かに難民さんは好きでなったわけじゃないし、可哀想だって思うよ?だけどこっちも死活問題だわ。人の余裕なんて本気で心配してらんない。

←「マガジン9」トップページへ   このページのアタマへ↑

マガジン9

雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

最新10title : 雨宮処凛がゆく!

Featuring Top 10/277 of 雨宮処凛がゆく!

マガ9のコンテンツ

カテゴリー