鈴木邦男の愛国問答

 ジャナ専(日本ジャーナリスト専門学校)のことを時々、思い出す。5、6年前になくなったが、面白い学校だった。ジャナ専で教えていた先生たちと今でも会うし、卒業生にも会う。困難な状況の中、ライターになって頑張っている人もいる。そんな卒業生を見ると、本当に偉いなあと思う。だって、ジャナ専を卒業してジャーナリストになった人は非常に少ないからだ。
 「でも、ジャーナリストを養成する学校だろう?」と聞かれるかもしれない。確かにそうだ。しかし、ここを出たからといって、すぐにジャーナリストにはなれない。大体にして、大手の新聞社、出版社は大学卒でないと入社試験も受けられない。専門学校卒では受けさせてもくれない。だから、ジャナ専卒業生は、どこかの編集プロダクションに入るか、あるいは業界新聞に入るか、あるいは一人で独学を続け、いろんな賞に挑戦するか…しかない。
 ジャナ専を出てからも苦難の道だ。その苦難を乗り越えてライターになって活躍している人は本当に偉いと思う。ライトノベルの小説家になってる人もいる。
 「ジャナ専で先生の授業を聞きました」という人に、会うことがある。嬉しい。頑張ってるんだな、と思う。僕は、「戦後史」と「時事問題」を教えていた。中学・高校の歴史では教えないことを中心に教えた。よど号ハイジャック、三島事件、連合赤軍事件、連続企業爆破事件…と。そして、事件の関係者を「特別ゲスト」として呼んで話してもらった。連合赤軍事件に参加し、27年も獄中にいた植垣康博さん。パリで女性を殺し、食べた佐川一政さん。ロス銃撃事件の三浦和義さん…などだ。こうした人を呼びたいと学校に提出し、講演料も出してもらった。今考えると、本当に自由な学校だったと思う。
 全共闘運動をやった先生も多かった。中核派の大幹部だった先生もいた。ここでなければ会えなかっただろう。「ジャナ祭」では、大学祭よりも豪華なゲストが来て、講演会・シンポジウムをやっていた。学校側も、自由にやらせてくれたし、太っ腹だったと思う。
 アメリカの憲法討論会に呼ばれて、ベアテ・シロタ・ゴードンさんたちとニューヨークで話し合ったことがある。授業を1回休まなくてはならない。アメリカに行くので…と、「休講願い」を出したら、いきなり、「自爆テロ?」と言われた。9・11事件のあとだったと思う。又、授業に大幅に遅れたことがある。学校の人は、「ガサ入れ(家宅捜索)があったんですか?」と聞く。まいった。当時は、『週刊SPA!』で「夕刻のコペルニクス」を連載していて、かなり過激なことを書いていた。その生活がまだ続いていると思ったらしい。この時、別の職員さんが、「内ゲバで襲われたんじゃないかと心配しました」と言う。そしたら別の職員さんが、「いや、鈴木先生は襲撃に行く側ですよ」と言う。ともかく、「危ない先生」だと思われていた。
 他にも「危ない先生」は沢山いた。そんな人たちの生き方や言動から生徒たちも学んだことは大きかったと思う。でも、さっきも言ったように、専門学校卒では大手の新聞社、出版社は入社試験を受けさせてくれない。おかしな話だ。昔は、小学校を出たばかりの子供が給仕として新聞社にいた。記者にお茶を出したり、荷物を出したりしていた。そのうち、記者の書いてるのを見て、あるいは教えてもらって、原稿を書き、そのまま記者になった。という例がかなりある。今なら絶対にない。昔の方が、チャンスがあったのだ。
 僕の父親は税務署に勤め、東北地方を転々とした。秋田県の横手・秋田では税務署長をやった。でも、小学校しか出ていない。中学に行きたかったが家が貧乏で行かせてもらえなかったという。でも、税務署に入り、給仕のようなことから始めて、署長にまでなった。今だったら、絶対にない。大学を卒業しなければ、試験も受けさせてくれない。
 今は、「まず大学を出なくては」と皆が思っている。高望みしなければ、皆、大学には入れるようだ。だから、専門学校はどんどん潰れる。昔は、大学は難しいから、まず専門学校に入ろうという人がいた。今はいない。大学は入れる。試験さえ受ければ全員入学させる大学もある。そして、大学教育の質の低下が問題になっている。
 〈文部科学省が新設大学などを対象にした調査では、英語の授業で中学生程度の基本的な文法を教えている大学もあった。文科省と大学は高等教育の教育改革に真剣に対応してもらいたい〉
 これは「産経新聞」(2月18日)の「主張」に出ていた。又、こうも言う。
 〈いま、こうした教育の質低下の問題は、一部の大学だけの話ではない。英語のほかにも分数などの中学レベルの学力が身についていない学生が入り、補習などを行わざるを得ない所が少なくない〉
 ギクッとした。僕だって分数は分からない。通分や分数の掛け算・割り算も出来ない。
 〈中には受験生のほとんどが合格しており、英語の授業で中学で教えるbe動詞など基本的な英文法を教えている大学があった〉
 これにも「ギクッ」だ。僕もbe動詞が分からない。でも生きている。分数やbe動詞なんか必要なのか。それよりも、本を読もう、勉強しようと思う「知的刺激」が少ないのが問題ではないか。小田実は、かつて「大学が荒れていた時の方が学生の知的レベル、学力は高かった」と言っていた。学生運動があり、ストライキがあり、ロクに授業もない。皆がワーワーと騒ぎ、喧嘩している。そんな時の方が学力が高かったという。デモもストライキもなく、平穏に授業が行われている。そんな時よりも、混乱し、授業も出来ない時の方が学生の質も学力も高かったという。これは分かる。それだけ知的刺激があったからだ。マルクス、レーニン、毛沢東を読み、吉本隆明、高橋和巳…を読まないと、学生と話が出来なかった。ベトナム戦争を語り、文化大革命を語り、社会主義を語る。又、思想全集・文学全集が各出版社から続々と出ていた。それを毎月買って読む人々がいた。信じられないほど学生の質が高い時代だった。
 大学生の質を上げ、学力をアップさせるなんて簡単だ。学生運動を解禁したらいい。学内で立て看板を禁止したり、チラシ配りを禁止する学校がかなりある。下らない話だ。全て認めたらいい。むしろ、学生運動をやる人を「育成」したらいい。今時、学生運動をするような健気な学生は表彰し、奨学金を出してやったらいい。学外の左・右・市民運動も自由に入れたらいい。一時的に学内が混乱しても、学生の質や学力は飛躍的にアップする。「産経新聞」の「主張」を読みながら、そんなことを感じた。

 

  

※コメントは承認制です。
第145回 学生運動が知性を磨いた」 に4件のコメント

  1. magazine9 より:

    たしかに少し前の時代の人の評伝を読んでいると、誰かのツテで見習いや下働きとして会社に入り、そのまま仕事を覚えて働くようになり…という話によく出合います。大学でのアカデミックな研究はもちろん貴重なものですが、すべての人にそれが必要なのかという疑問も浮かんできたり・・・。
    一方で、キャンパス内の立て看板を禁止する学校も出てきたりと、ますます「キレイ」になりつつある最近の大学事情。知性とは、どんなふうにして磨かれるものなのか。みなさん、どう思いますか?

  2. onkochisin より:

    学生運動が盛り上がっていた時代は、そのまえの高校でも中学校でも、教師が社会について問題意識を持つようにと生徒に教えていた時代でもありました。これがアカ教育とか洗脳とか指弾され、みんな及び腰。いま学校に「政治教育」はありません。かくして・・・

  3. 多賀恭一 より:

    道徳の無い人間が道徳教育を主張し、
    知性の無い人間が知性の低下を嘆く。
    産経新聞はマスメディアの自殺についてどう考えているのか?

  4. 葉山 より:

    結局学生運動とは何だったのか?
    みんなアンポ反対!と声だかに叫んでいたけど、
    安保の何条の何項に反対だったのか、今でも良いので答えられる方はおられるのでしょうか?
    学生運動は暇で、世間知らず、無知な学生の幼稚な暇つぶしだったとしか思えません。
    とにかく全共闘世代の人は一度自分たちのしてきた事を総括してみたらどうでしょうか?

    また、学生運動をしていた頃の学生の学力が高かったのは、単に優秀な学生しか大学に行けない若しくは
    行かない時代であったからと(1965年の大学進学率12.8% 2009年50.2%:学校基本調査より)
    考えるのが普通だと思いますが。

    まあ、現在でも学生運動をされている方は少ないながらもおられますし
    彼らの学力を調べるのもひとつですね。

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鈴木邦男

すずき くにお:1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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