鈴木邦男の愛国問答

 あっ、ここが我入道(がにゅうどう)か。と感動した。今でも、「沼津市我入道」として、地名は残っている。3月23日(日)、その我入道に行ってきた。別に地名にひかれて行ったのではない。そこに建っている「芹沢光治良記念館」を訪ねたのだ。ここはぜひ行かなくては、と10年以上も前から思い、やっと実現したのだ。
 芹沢の作品はかなり読んだ。乱読した。精神的に訴える作品が多い。代表作である大河小説『人間の運命』には本当に圧倒された。子どもの頃からの宗教体験をこれほど見つめ、そして客観的に書いた作家はいない。父親は天理教に入信し、全財産を天理教に捧げ、長男、三男を連れて村を出る。光治良は隠居所に住む祖父母の元に残された。親は自分よりも信仰を取った。自分は“捨てられた子”だと思った。宗教はまず自分の精神・肉体を救い、家族を救い、愛するためにあるのではないのか。それにもかかわらず、より多くの人々を救う為に父親は子供を捨て、家庭を捨てた。一体、宗教は何の為にあるのだろう。果たして宗教は人間の生活に必要なものだろうか。そこまで考える。
 自分が正しく生きるための指針だ。宗教はそれだけでいいのかもしれない。又、くじけそうになった時に、自分を励ましてくれるものだ。それだけでいいのかもしれない。しかし、「自分だけが救われていいのだろうか」と思う。これでは、エゴイストではないのか。この幸せを近くの人に、又、多くの人に分け与えなくてはならない。そう思うのだろう。伝道だ。布教だ…と思う。
 この気持ちは僕も分かる。芹沢の父親ほど激しくはないが、僕の母も、熱心な信徒だった。もっと穏和な「生長の家」という宗教だった。本を読んで、心を清め、神に祈る。おだやかな宗教だ。「神様に全財産を捧げなさい」とは言わない。だから僕も捨てられなくて済んだ。もし親が、全財産を捨て、家族を捨てて伝道の旅に出たら、どうなっただろう。とても芹沢のように強く生きることは出来なかっただろう。だから、大河小説『人間の運命』は、心を奪われ、自分のことのように思われて読んだ。今、完全版『人間の運命』全18巻(勉誠出版)が出ているが、僕がかつて読んだのは新潮社の全14巻だった。
 子供時代の〈宗教体験〉は大きくなってもその人に大きな影響を与え続ける。村上春樹の『1Q84』には、母に手をひかれ、一軒一軒、布教に歩く母子の姿が出てくる。子供を連れて布教すると、相手も警戒しない。話を聞いてくれる。そんな「効果」があるのだろう。しかし、子供にとってはたまったものではない。いい迷惑だ。その体験へのトラウマ、反撥から、反抗して激しい学生運動に入った人もいた。
 その点、僕は幸せだった。そんなトラウマはない。ただ、そんな穏和な宗教でも、1960年代は、「国を救うために立ち上がれ!」と言われた。安保闘争があった時だ。社会党委員長の浅沼稲次郎が右翼少年・山口二矢に殺された時だ。「生長の家」の谷口雅春先生は言っていた。「宗教は本来は個人の精神や肉体を救い、安心な生活を送るためにある。しかし、今は日本が病気だ。危篤だ。この日本を救わなくてはならない!」と。日本に革命を起こそうとする人達と闘え! と言ったのだ。その檄が基になって僕も右派の学生運動をすることになる。僕自身も、「人間の運命」だ。
 イエス・キリストは果たして、今のような教会・教団を中心とした巨大な布教システムを望んだのだろうか。心が心に触れ、そして精神的満足を得る人が増えてゆく。それだけを考えたのではないか。ところが巨大な布教システムが出来ると、もの凄い金がかかる。だから献金システムを考え、布教システムを考えたのではないか。そんなことを言ってる人がいた。多分、当たっているだろう。
 そのシステムは他の宗教にも次々と模倣された。中には「集金システム」を作り、金を得たいためだけに、宗教らしきものを作る人も出る。いや、素晴らしい宗教だとしても、それを多くの人に知らせるには、お金がかかる。その目的と手段は、当初は分かっていたはずだ。それなのに、金が集まりだすと、目的と手段が逆転する。そんな例も随分と見てきた。
 左右の運動でも言える。運動をやり、世の中をよくしようと思っている。心からそう思う。でも、その為には金が必要だ。又、この国をよくしようとして、時には焦燥にかられ、法律を破ることもある。その手段が、何度も何度も続き、エスカレートすると、どちらが目的か手段か分からなくなる。「運動の為に金を集めているのか、あるいは金を集めるのが好きで、その為に運動をしてるふりをしてるのではないか」。乱暴なこと、非合法活動が好きで、そのために運動してるふりをしてるのではないか。そう疑問に思う時もあるはずだ。
 『人間の運命』にも、そんな問いかけが随分と出てくる。ある宗教では、ここでも全財産を捨てなさいと言われる。物質的な物を捨てたら、あとは神さまが助けてくれる、という。しかし、捧げる財産はない。思い余った親は、娘を遊郭に売る。その金を教団に献金する。どんな金でも教団は受けとる。「あとは神様が守ってくれる」と言う。そんな不浄な金をもらって神様は嬉しいのだろうか。売られた娘は不幸なはずなのに…。と思った。他にも、もっともっと多くの話が出てくる。それらに直面し、必死に考え、悩み、そして成長していく。精神史だけではなく、政治、戦争…などの時代を貫く大きな歴史にもなっている。完全版『人間の運命』の案内にはこう書かれている。
 〈明治・大正・昭和の激動の世紀を、日本人はいかに苦難と苦悩の道を歩み、希望をつないできたか。時代の証言として描く近代史〉
 新潮社版の全14巻は読んだが、この完全版も読まなくちゃならないかな。又、大きな目標が出来た。新潮社版を全巻読破した人が、僕の周りに3、4人いる。その人たちだけで、まず座談会をやろう。そう思った。我入道の「芹沢光治良記念館」を見て、そう思った。
 それにしても、珍しい名前だ。我入道なんて。海の近くで入道雲が湧くからか。記念館の人に聞いたら、日蓮と関係のある地名だと言う。新潮日本文学アルバム『芹沢光治良』には、こう出ていた。
 〈昔、竜(たつ)の口の難を逃れた日蓮上人が、漁船に隠れてここに流れ着き、こここそ我が入る道であると言って上陸したところから付けられた名前だという〉
 もともと宗教的な地名なのだ。芹沢が亡くなって今年で20年だ。〈年譜〉にはこう書かれている。
 〈平成5年(1993)3月23日 ふだんどおり原稿執筆の後、自宅で死去。享年96歳〉
 芹沢光治良記念館でこれを見て、アッと思った。今日じゃないか。今日が命日だ。「そうです。午前中に墓前祭が行われました」と記念館の人もいう。午後3時すぎに来たので参列できなかったが、この後、墓地に行き、お参りした。又、96歳で亡くなったのは、我入道ではない。東京に家を建て、そこで執筆していた。何と、東中野だったのだ。今、私が住んでるとこじゃないか。そういえば、林芙美子もこの辺に住んでいた。昔の家が残っていて記念館になっている。又、童話作家の新美南吉も東中野に住んでいた。心やさしく、精神的な執筆活動を続けた人は皆、東中野に住んでいたんでしょう。

 

  

※コメントは承認制です。
第147回 芹沢光治良記念館で考えたこと」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    いつのまにか「目的」と「手段」が入れ替わってしまっていないか−−。いろんな場面で、心に留めておくべきことかもしれません。
    そして芹沢光治良と鈴木さんの運命的? な共通点。鈴木さんも「心やさしく、精神的な執筆活動を続け」る、ということ、でしょうか。

  2. 多賀恭一 より:

    イエスキリストは良いやつだったが、
    その名を利用している宗教団体は、「微妙」だな。

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鈴木邦男

すずき くにお:1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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