鈴木邦男の愛国問答

 6月21日(土)、大阪の書店でトークをした。何から何まで、「初めての体験」だった。「何、言ってるんだ。書店トークはよくやってるだろう」と言われるかもしれない。その通りだ。よくやっている。何十回とやっている。全国いろんな書店にも行っている。でも違うのだ、ここは。それに、書店の人たちと、じっくり話し合った。これは全く初めての体験だった。書店のことは随分と知ってるつもりだったが、実は何も知らなかったのだと痛感した。
 普通、書店トークというと、書店の中の一つの部屋でやる。または、いつもは喫茶店になってる所でやる。書店の人はポスターを貼ったり、机や椅子やマイクを準備してくれる。そこまでだ。後は「トークをお願いします」となる。本の著者が一人で喋るか、あるいは誰かゲストを呼んで喋る。そういうケースが多い。いや、多分、全部がそうだ。
 僕も、そんな気持ちで大阪に行った。6月21日(土)午後3時から、ジュンク堂書店難波店だ。行って驚いた。広い。広すぎる。「日本一の広さです」と店の人は胸を張る。普通、1階、2階、3階とあるだろう。その全体の床面積で広い書店は他にもある。でもここは、ワンフロアーだ。ビルの3階だが、そこだけだ。でも、ともかく広い。通路も広い。直線で150メートル位ある。一周したら1500メートルあるそうだ。じゃ、ジョギングだって出来る。ジョギングして、つかれたら椅子に腰をおろして傍の本を手に取って読む、これもいいだろう。
 しかし、店員さんも大変だ。かなりの距離を歩く。急ぐときは走る。「ローラースケートで走ることも考えたんです」と店長は本気で言う。面白い。書店員全員がローラースケートで走り回る。大評判を呼ぶ。でも、お客さんにぶつかるかもしれない。本を探す人はそのことに没頭してるし、ボーッとし、フラフラと歩く。ローラースケートに、跳ねとばされるかもしれない。そんな危険性があったら書店に来ない。それでローラースケートの話は、なしになった。
 この書店、通路は広いから、ベビーカー、車椅子も安心して通れる。それに、「区分け」がキチンとしている。僕の本は社会科学書のコーナーにあった。沢山あった。嬉しかった。書店によっては、「事件・事故」のコーナーに置かれている。まあ、どこだって、置いてくれるだけありがたい。でも、「僕は事故なのかな」と思ってしまう。僕に会ったら、「事故にあった」と言うのかな。
 さて、書店トークだ。ここは別にトーク用の部屋はない。書店の通路の、ちょっと空いている所に椅子を並べて、急遽つくった「トークスペース」だ。書店の通路だから、皆、歩いて通る。関心があったら立ち止まって聞く。この日のテーマだが、僕の新しい本に関してだ。『歴史に学ぶな』(株式会社dZERO)の出版記念トークなのだ。この出版社の人が4人も来てくれた。東京からだ。力の入れ方が違う。この本の担当だった土肥さんが司会をする。この本を書こうと思った意図、何を訴えたかったのかを聞く。そのまま行ったら、普通の書店トークだ。
 隣に、店長さんが立って聞いている。社会科学書の担当者もいる。ついでだから、話をふった。というよりも僕の関心・興味があることを聞いた。こんなに広いと大変でしょう。本の好きな人だけが勤めるんですか。書店員はどの位、本を読んでるんですか。電子書籍への対抗策は? 書店はこれからどうなるんですか…等々だ。
 「その話は終わってからにしましょう」「今は鈴木さんの本について喋ってください」「自分の仕事をまずやって下さい」と言われるかと思った。しかし、店長さんは自分の書店論を堂々と語る。さらに僕に質問する。驚いた。それで急遽、〈書店論〉になった。さらに「何のために本を読むか」「本を読む楽しみとは何か」…といった〈読書論〉になった。聞いている人も思わぬ展開にビックリしていた。でも皆、目を輝かせて聞き入っている。僕も書店の店長とのトークなんて初めてだ。日本一広い書店で、日本一「本を愛する」店長との熱い熱いトークになった。こんな体験は初めてだ。
 そうか、こういうふうにして我々は「体験」から学ぶんですよ、という話もした。ドイツの首相だったビスマルクは、こんな格言を残している。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」。うん、その通りだと思うだろう。しかし、最近、この格言に疑問を感じてきた。「歴史に学ぶ」なんて本当に出来るのか? 都合のいい点だけを取って、「ほら、歴史に学ぶとこうなるぞ」と強弁してる人が多い。嫌韓、嫌中の本がやたらと出ているし、そんな人たちも「歴史に学んでる」のだろう。しかし、今のほうが問題だ。多くの人の経験に学び、それから、再び歴史を見るべきだ。
 僕は自分のやってきた運動から学んでる。いい点も悪い点も。又、自分がやってこなかったこと、出来なかったことをやった人から学んでいる。左翼の運動をした人、文学、芸術、スポーツの関係の人たちだ。その経験から学び、それで歴史も考える。初めから「歴史に学ぶ」ことは出来ないし、危険だ。
 〈読書論〉だって、多くの人たちから話を聞いている。特にこの日、書店の店長から聞いた話は貴重だった。それに、店長も持論を喋りたくてウズウズしていたのだ。こんな店長も珍しい。だって、「実は、こういう本を出してるんです」と言って、自分の本をくれた。驚いた。店長でありながら、本の著者でもある。店長の名前は福嶋聡さん。この日、もらったのは2冊。『希望の書店論』(人文書院)と『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書)だ。それに、「出版界唯一の専門紙」という、『新文化』ももらった。その一面には、この福嶋さんが「紙の優位性、意義とは?」を書いている。「書店の存亡は帰するところスタッフが握る」と言う。
 この店長、情熱家だ。そして理論家だ。他にも何冊も出している。著者略歴を見たら、京都大学出身だ。1982年にジュンク堂書店に入社し、神戸店、京都店、仙台点、池袋本店、大阪本店を経て、今は難波店店長だ。不思議なのは、こんな経歴も併せて書かれている。
 〈1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を務める。日本出版学会会員〉
 こんな事もしてた人なのか。でも、若い時に演劇をやっていて、それをやめてジュンク堂に勤めたわけではない。同時にやってる時期がある。それも長い。どうやって「両立」させたのだろうか。今度、会ったら聞いてみたい。それと、演劇の経験は書店の仕事に生きているのだろうか。僕とトークの時も実に堂々としているし、自信を持って語る。それは演劇をやっていたからか。店長を務め、多くの店員をまとめ、ひっぱり、さらにお客さんに対応する。これも、「その役」をうまく演じているかもしれない。この人は、僕にくれた2冊以外にも多くの本を出している。『希望の書店論』の「著者略歴」には、今までの本の代表作を3冊ほど書いていた。こんな本だ。『書店員のしごと』(三一書房)。『書店員のこころ』(三一書房)。『劇場としての書店』(新評論)。
 あ、そうかと思った。最後の本だ。『劇場としての書店』、これなのか。これを目指しているのか。演劇人だった自分と書店店長としての自分。それを融合しているのだ。これも是非、読んでみなくてはと思った。
 ここは日本一広いフロアーの書店だ。そして区分けが実に見事だ。又、店員さんも、お客さんに何を聞かれても答えられる。そうしないと、これだけ広い所で、店員も客もウロウロ探し回ってたら大変だ。区分けは、一目で分かるようになっている。「でも、区分け出来ない本をむしろ望んでいるんです」と店長は言う。哲学的なことを言う人だ。全てをキチンを区分けできるからこそ、書店の良さではないか。と思ったら、「いや、ジャンルを超えるものこそ、面白い本です」という。「鈴木さんのこの『歴史に学ぶな』は、どこのコーナーに入れますか。歴史コーナーですか。でも、「学ぶな」ですから、違うようだ。では右翼のコーナーか。今は鈴木さんは右翼と一言では言えない。といって、左翼に入れるのもおかしい」と言う。なるほど、有り難い話だ。最近は『連合赤軍は新選組だ!』(彩流社)という本も出した。これも「左翼」なのか「事件」なのか、「歴史」のコーナーに入れるのか困るという。
 そうか、この店長だって、ジャンル分け出来ない人だ。書店店長でありながら、多くの本を出している著者・作家だ。それに演劇人でもある。書店の改革者でもある。この日の書店トークは、だから、全く初めての経験ばかりだった。こういう人がいるかぎり、書店はつぶれないし、紙媒体は残る。自分が知っている本を探す分にはネットも役立つ。ただ全く知らない世界に出会い、自分の知らなかった本に出会うのは書店だ。又、それらの本との出会いにより、自分の「思いこんできたこと」が破壊される。それは実に快い瞬間だし、快い体験だ。又、視野も広がる。
 ネットで本を買うと、「この本を買った人は、こういう本も買ってますよ」と類似の本をすすめる。そして、同じ傾向の本ばかりを読んで、「そうだ、そうだ」と思う。人間関係も読書関係も、どんどん狭くなり、「お仲間」だけになる。これではダメだろう。むしろ、こうアドバイスすべきだ。「この本を読んでいる人は、今度はこんな本を読んでみたらどうですか」と、反対意見の本をすすめる。それで、その人間の視野も広くなる。考え方にも幅が生まれる。ネットでは無理でも、書店では出来る。「それは大賛成ですね」と店長も言っていた。じゃ、今度は〈新しい書店論〉〈新しい読書論〉をテーマにしたトークイベントをやったらいい。「ぜひ、やりたいです」と言っていた。トークが終わってからも近くの居酒屋で店長、店員さんたちと飲みながら話し込んだ。実に楽しい、そして型破りの書店トークだった。

 

  

※コメントは承認制です。
第153回 日本一広い書店の店長と〈書店論〉を戦わせた」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    〈 全く知らない世界に出会い、自分の知らなかった本に出会うのは書店だ〉−−まさにこれが、ネット書店や電子書籍にはない、リアル書店の魅力だと思います。ついついネットの手軽さに流れてしまうことも多いこのごろですが、自分の知らなかったいろんな視点に出会うために、ときには意識的に、書店に足を運んでみることも重要なのかも。

  2. 多賀恭一 より:

    私の場合、
    今現在の情報はテレビから、短期間保存する情報はネットから、長期保存する情報は書籍から入手するようにしている。テレビが登場してラジオが無くなると言われたが、現在も存続している。手紙、電話、電子メールの関係もそうだ。主役を降りることはある。しかし、無くなることは無いだろう。

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鈴木邦男

すずき くにお:1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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