鈴木邦男の愛国問答

 「鈴木さんの思想は、合気道が基になっているんですか?」と質問された。思いがけない質問だったので、ウーンと考え込んだ。僕は学生時代から合気道をやっていた。いろんなことを教わった。でも肉体的なことが中心だし、生活面での影響もあった。3段をとった。じゃ、それが自分の思想を作ったのか。と言われたら、ないような気がする。大体、僕に思想なんかないだろう。いろんな人たちが書いた本を読んで感動したところを書きとめている。又、いろんな運動や体験をした人から話を聞き、それを書いたり紹介したりしている。「他人の紹介」ばかりで、「自分」がない。
 それに、この日は、それがメインの集会だった。つまり、「他人の紹介」「他人の運動、体験から学ぶ」。そのための集まりだった。8月2日(土)、阿佐ヶ谷ロフトで行われた〈第5回鈴木邦男生誕100年祭〉だ。「お誕生日会」なのだが、年を言われるのは恥ずかしいので、「えーい、面倒くさい、四捨五入して100歳だろう」として、「生誕100年祭」をやってきた。いい年をした人間の誕生日なんかに人が来るだろうか、と思ったが、今年は100人以上の人が集まり、超満員だった。午後1時から4時半まで。第1部は「オウム事件」。第2部は「連合赤軍事件」だった。〈関係者〉が集まり、体験を聞き、質問をし、時には激論にもなった。
 第1部では、上祐史浩さん、地下鉄サリン事件の被害者の人、オウムの幹部を刺殺した徐裕行さん。それに月刊『創』の篠田博之さん、元刑事の飛松五男さんらが出てくれた。第2部は、植垣康博さん、塩見孝也さん、金廣志さん…たちだった。
 「オウム」コーナーと、「連赤」コーナーだけだ。どうして「右翼」コーナーはないの? と聞く人もいる。右翼の運動は僕自身が40年以上もやってきた。だから分かっていることが多い、その点、オウムや連合赤軍は、自分が体験しなかった事件だし、興味がある。もっともっと聞いてみたい。この人たちの「体験」から学びたい。そう思って、やっている。
 「他人の体験から学ぶのはいいけど、鈴木さん自身の考えが出てないね。主賓なのに。会場の人も、鈴木さんに対してどんどん質問したら」と、『創』の篠田編集長が言う。「主賓」じゃなくて、僕をダシにして皆が集まり、ワーワーと騒ごうという集まりだ。僕は別に、いなくてもいいんだ。
 でも、篠田さんの発言に応えたのか、1人質問した人がいた。それが初めに紹介した質問だ。僕は合気道は3段だけど、もうやめて20年になる。今は、柔道を主にやっている。50歳で講道館に入門し、今は3段だ。だから今は、体も思考も柔道的になってると思う。生誕祭の2週間前も痛感した。「もう合気道の体じゃないな」と。7月18日(金)、内田樹さんと対談した。神戸のご自宅を訪ねて、3時間対談した。そのあと、内田さんから合気道の稽古をつけてもらったのだ。内田さんは自宅の隣に、広い道場を建てている。合気道7段だし、そこの館長だ。毎日、お弟子さんが来て、それを指導する。内田さんがいない時は高弟が指導する。対談を企画した鹿砦社が、提案したのだ。「鈴木さんも合気道をやってたんでしょう。だったら、内田さんに稽古をつけてもらって下さいよ」と。本を作るときに、合気道をやってる写真が何枚かあればいい。そんな軽い気持ちで、出版社は言ったのだろう。でも、こっちにとっては大変だった。内田さんには関節を極められ、投げ捨てられる。こっちは、どこから攻めていっても、極められるし、投げ捨てられる。その後、道場生と一緒に合同練習にも参加したが、全くついていけない。もう合気道の体じゃないな、と思った。
 体の中に、型がなくなっている。「受ける姿勢」がなくなっている。柔道は勝敗がはっきりする。弱かったら投げられるだけだ。これも大変だが、必死に受け身をとってればいい。しかし合気道は、基本的にこうした乱取りがない。型稽古だ。技をかける方、受ける方に別れてやる。20年ぶりにやってみて、技のかけ方、体さばきを全く忘れていた。又、技を受ける時の体の動き、投げられ方も忘れていた。それに、僕が習った流派とは違うから、技の体系も違う。受け身からして違う。大きく畳をバタンと叩いたりはしない。小さく、コロコロと転がる。子猫のようだ。不思議な受け身だ。「この方が怪我をしないんです」と内田さんは言う。そうか、自動車事故に遭い、とっさに受け身をとって助かったという柔道体験者はいる。しかし、思わず道路を大きく叩く受け身をして腕や肩を痛めた、という話も聞く。それでも命が助かったんだからいいだろうと思うが、内田さんの受け身なら、それすらも防げる。
 イザとなったら受け身をとればいいと僕は思ってきた。合気道だけでなく、人生のいろんな場面においてもだ。負けても怪我をしないようにする。ダメージを少なく負ける、ということだ。自分の「思想」というほどではないが、生きる上での覚悟や心構えになってきた。合気道が役に立っているのだろう。だから、どんなに苦しい時でも、もうダメだと思った時でも、無意識のうちに受け身をとってきたように思う。
 だが、内田さんは、もっと凄い。受け身をとるような危ない目に遭わないという。危険を察知できるし、大体そんなところに近寄らないという。「でも、町でいきなり殴りかかられたりとか」「そんなことは全くありません。又、他人と喧嘩する場にも行きません」
 テレビの激論番組も一切出ない。けんか腰で激論しても何も生まれないというし、そんなところで論争し、怨みを買ってもいやだという。「それで襲われたら、合気道で投げ捨てたらいいでしょう。正当防衛なんですから」と言ったら、「そんな争いの場を想定しないんです」という。徹底している。内田さんこそが、合気道を基にした思想だ。僕なんて、まだまだ未熟だし、中途半端だ。
 阿佐ヶ谷ロフトでは、他に、こんなことも言われた。「でも、オウムや連合赤軍を向こうに回して闘えるのは、合気道の精神があるからじゃないですか」と。これは違うな。僕は敵と闘っていない、昔は敵だったが、今は違う。村井秀夫さんを殺した徐裕行さんは、12年刑務所に入って出てきた。赤軍派議長の塩見孝也さんは、20年も刑務所にいた。植垣康博さんなんかは26年も刑務所にいた。そして罪を償って出てきた人たちだ。又、極限状況を体験し、生きのびた人々だ。聞くべきことは多い。昔と違い、もう凶暴な人たちではない。別に合気道を使う必要もない。
 合気道は、殴ることはない。いきなり投げることもない。かなり受動的な格闘技だ。相手が突っかかってきたときに、捌(さば)く。体をかわす。それだけで終わることもある。さらに襲撃されたら、相手の関節をとって、極める。「相手の暴力は制するが、人格は否定しない」。
 そんなことを書いてる人がいた。これも合気道の思想なのだろう。阿佐ヶ谷ロフトでは明確には答えられなかった。しかし、「合気道と思想」は、これからキチンと考え、まとめてみよう。

 

  

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第156回 内田樹さんに合気道の稽古をつけてもらった」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    「内田樹さんに合気道の稽古をつけてもらった」ときの様子は、鈴木さんのブログで見ることができます。一方の内田さんはツイッターで〈鈴木さんの腕の触感が緻密で柔らかくてびっくり〉〈身体が柔らかい人は精神も柔らかい〉とつぶやいておられました。そんな「柔らかい」鈴木さんだから、かつて「敵」だった人たちからもためらいなく話を聞こう、学ぼう、となるのかも?

  2. 多賀恭一 より:

    いつもながらの闇鍋状態な論旨は、いつもながらにかえって愉快だ。

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鈴木邦男

すずき くにお:1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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