鈴木邦男の愛国問答

 1月12日(月・祝)、名古屋に行ってきた。今年初の地方講演会だ。名古屋市教育館で午後2時から行われた。「現代日本を考えるシンポジウム」だ。前は「鈴木邦男ゼミ in 名古屋」だったが、ちょっと恥ずかしいし、自分の名前を付けるのは傲慢な感じがするので変えてもらった。それに毎回、ゲストの先生方を呼んでいるし。今回のゲストは三上元さん(湖西市市長)、樫村愛子さん(愛知大学教授)のお二人だ。脱原発とヘイトスピーチをテーマに「現代日本」を考えた。

 この集まりのことは、『週刊金曜日』にも告知され、おかげで100人ほどの人が集まった。ゲストの三上元さんは「脱原発」を堂々と宣言している市長さんだ。元市長や元知事で脱原発を言っている人はいるが、現職では極めて少ない。勇気ある市長さんだ。樫村先生は専攻が社会学だ。差別・貧困・格差などに取り組んでいる。ヘイトスピーチの問題にも発言している。それで脱原発とヘイトスピーチを通して現代日本を考えてみたいと思ったのだ。
 第1部は3人が20分ずつ基調講演。それを受けて第2部では3人で討論。そして会場からの質問を受ける。5時過ぎまで活発な討論が続いた。第1部が始まる前に、地元の市民運動家や議員の人にも活動報告をしてもらった。東京からわざわざ聞きに来た人もいたので挨拶してもらった。皓星社(こうせいしゃ)の白井基夫さんだ。ここは『黒旗水滸伝』(竹中労・著/かわぐちかいじ・画)など実にいい本を出版している。白井さんは三上市長と知り合いで、又、話を聞きたいということで、わざわざ東京から来たのだ。それに、僕の原稿を取りに来たのだ。

 皓星社から僕は本を出す予定で、原稿をせかされている。〆切りは過ぎている。白井さんから電話が来て、「名古屋まで取りに行きますから、それまでに書いて下さい」という。すごいプレッシャーだ。昔、出した本が絶版になっている。今度、皓星社から「新装・増補版」が出ることになった。昔の本を読み直して校正し、「まえがき」「あとがき」と「解説」を書く。そんなに時間もかからず出来るだろう、と思っていた。ところが、うまくいかない。延び延びになってしまった。
 「名古屋まで取りに来るんじゃ申し訳ないな」と思い、前の晩、徹夜でやった。新幹線の中でもずーっと書いていた。三分の二は出来た。しかし、最後の10枚が出来ない。教育館で白井さんに会って「ともかく三分の二は書きました」と渡した。「あとは、3人で討論をしてる途中で書きますから」と言った。「それじゃ、両方ともダメになりますから。残りは東京に帰ってからメールで送って下さい」と言われた。
 
 ところで、皓星社から出る本だが、『証言・昭和維新運動』だ。40年前に島津書房から出た本だ。血盟団事件、5・15事件、2・26事件など、昭和維新運動に参加し闘った人を訪ねて話を聞いたのだ。この取材は僕の人生を変えた。実に衝撃的な話ばかりだった。本や資料を読んでるだけでは分からない「生の体験」「迫力」が伝わってきた。この時は、感動し、同意していただけではない。疑問に思ったり、反撥したこともあった。いや、その方が多かったかもしれない。そして、これは今でも考え続けている。その意味で、この本は僕のスタートであり、原点だ。
 
 血盟団事件で井上準之助(元蔵相)を射殺した小沼正さんの話を聞いた。「自分達は右翼ではない。革命家だ」と言う。又、「革命とは“もののあはれ”だ」と言う。さらに、「日本精神は左なんだ」と言う。貧しい人、恵まれない人のことを思いやり、〈平等〉を考えるのが日本精神だ。天皇のみ心もそうだ。だから、日本精神は左翼的なのだと言う。
 又、2・26事件に参加した末松太平さんの発言も衝撃的なものだった。僕が「右翼・民族派の運動をずっとやって来ました」と言ったら、いきなりピシャリと言われた。「自分にレッテルを貼って、自分の世界を狭くしてどうするんだ。死んだ後に『民族派の墓』とでも書いてもらったらいい。自分から言う必要はない。でも、それがないとさびしいですか?」と言う。ちょっと、ムッとした。ただ、今になって考えると、この皮肉屋の2・26決起者の話は正論だ。「これは2・26事件の末松さんが言っていたが・・・」と、末松さんの言葉を引用し、僕はよく書いている。それだけ影響を受けているのだ。
 
 「今は同胞愛がなくなった」と言う。「今」は40年前だ。その頃は、日本人は皆で助け合い温かかったのではないか。そう思ったら、違うという。末松さんが若い頃は、子どもの面倒を近所の人たちで見るし、他人を思いやる気持ちが、皆、強かった。八甲田山で軍隊が訓練中に遭難して、多くの軍人が亡くなった。国民は、わが家族のことのように悲しみ、歌まで作られた、琵琶湖で生徒が事故で死んだ事件でも、歌が作られている。「同胞感」があったのだ。それなのに、今はない。・・・と言う。それから40年たって今はどうだろう。もっとひどい。日本にいる人々を「国賊」と呼んで罵倒する。又、「ヘイトスピーチデモ」が行われ、「韓国人は死ね!」「朝鮮人は首を吊れ!」などと大声で怒鳴っている。末松さんなどから見たら、「もう日本ではない」と思うだろう。
 
 「もう一度、2・26事件をやるとしたら、何をテーマにやりますか」と末松さんに聞いたら、「反公害一本でやります」と言う。これも驚いた。40年たって考えた。そうか、今なら「脱原発」だなと思った。この日本を守るのは「公害」から守る。そして「原発」からも守る。これが本当に日本を守ることだし、愛国心だろう。「右から考える脱原発デモ」は、この末松さんを思い出してやられたものだ。「レッテル貼りをするな」ということだって、今、僕はよく言ってるが、末松さんに教えられたことだ。名古屋では、そんな話を中心にした。

 そうだ。「人に批判される人間になれ!」と末松さんは言っていた。当時は「馬鹿な!」と思った。人に批判されないように生きるのが大切じゃないか。そう思ったら、違うという。皆に「いい人だ」と言われるのは簡単だ。特に同じ考えの人たちと集まっている時は、これは楽だ。「そうだ、そうだ」と同意してくれる。「皆、仲間だ」と思っている。でも、そんなぬるま湯のような状況からは何も生まれない。「自分の頭で考え、自分の言葉で喋ると仲間うちから批判されるだろう」と末松さんは言う。それを恐れて、皆、他人に同調してしまう。「だから、批判されるのは、いいことだ。その人間が自分の頭で考えている証拠だ」と言う。

 40年前、末松さんに言われた時は、全く理解できなかった。しかし、今なら分かる。今、僕は右翼から総スカンを食らい、批判されている。わざわざ批判されようと思ってやっているわけではないが、自分で考えたことを正直に喋って右翼からは猛バッシングを浴びている。「今、憲法を改正する必要はない」と言うと、「裏切り者め!」「売国奴」と言われる。そんな言葉で批判されると、以前は動揺したし、ショックだった。でも、今は余り気にならない。多分、末松さんの言葉が残っていて、自分の心の中で大きくなっているからだろう。40年前に聞いた運動家の人々の言葉は、今の僕の〈原点〉になっているし、その言葉を検証するために、自分も運動をやってきたような気がする。

 

  

※コメントは承認制です。
第167回 40年前に聞いた運動家の人々の言葉」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    名古屋でのシンポジウムで、原点となった40年前の言葉を振り返ったという鈴木邦男さん。貴重な出会いをもたらしてくれたという書籍『証言・昭和維新運動』は、インタビューや対談をまとめて1977年に発刊されました。皓星社からの発刊が楽しみです。時期が分かりましたら、こちらでもお知らせしたいと思います。

  2. 多賀恭一 より:

    「天皇のみ心もそうだ。だから、日本精神は左翼的なのだと言う。」
    一理ある。
    天皇陛下の新年のお言葉も満州事変に言及されていた。
    もっとも、
    極右も極左も、暴力に訴える点では同類なのだが。

  3. tu-ta (@duruta) より:

    批判されたいわけじゃないけど、批判されることもときどきある自分。そうか、それでいいのか、と思いました。

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鈴木邦男

すずき くにお:1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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