鈴木邦男の愛国問答

 昔はプロレス雑誌や格闘技雑誌にもよく原稿を書いていた。プロレスは好きで、力道山の頃からずっと見ていた。K-1、PRIDEなどの格闘技も見ていた。見るだけではなく、合気道、柔道などは自分でもやってみた。柔道は今でも通っている。柔道に似た格闘技でサンボというものがある。ロシアの国技だ。それを習うために4回もロシアに行った。「自分でも格闘技をやっているんだから、格闘技、プロレスの試合も分かるだろう」と思われて、結構、原稿の依頼もあった。月刊『ゴング格闘技』(イースト・プレス)では連載もやっていた。タイトルは「誰が為に鐘は鳴る」だ。編集部が付けてくれた。「鐘」のところに、「ゴング」と仮名がふってある。『月刊ゴング』の連載だからだ。格闘家・鈴木が政治、社会、歴史問題を斬る。という連載だった。オリンピックや自殺、受験、格闘技の試合観戦記…などを書いていた。
 しかし今はプロレスが下火だし、K-1、PRIDEもない。プロレス雑誌、格闘技雑誌もほとんどがなくなった。連載もなくなったし、単発で書くこともない。柔道は週に一度ほど講道館に通っているが、健康の為にやっている感じだ。

 ところが今年の5月、久しぶりに格闘技の雑誌に出た。月刊『秘伝』6月号(BABジャパン)だ。合気道特集号だ。それも「富木合気道」の特集だ。学生時代から富木合気道をやっていたので、取材されたのだ。合気道は元はひとつで、植芝盛平が元祖だ。メインの流れは本部道場だ。そこから分かれた流派がいろいろある。塩田剛三の養神館などだ。富木合気道は唯一、「試合をやる合気道」だ。早稲田大学、国士舘大学などを中心に学生も多い。植芝盛平の高弟が富木謙治で、その高弟が大庭英雄だ。二人とも早稲田で教えていた。早稲田に入ったら、大庭先生にバッタリ会ったのだ。実は、僕たちが秋田県横手市に住んでいた頃、知り合いだったのだ。大庭先生の息子とは僕は同じ年で、同じ幼稚園に通っていた。
 合気道は社会人になっても続け、3段をもらった。その後、組み討ち格闘技の基本は柔道だ。と思い、講道館に入門した。50歳の時だ。そして3段をとった。その間、ロシアにサンボを習いに行ったり、タイにムエタイの研修に行ったりした。骨法道場の堀辺先生や、サブミッション・アーツの麻生先生、大道塾の東孝先生などにも、多くのことを教えてもらった。右翼運動よりも、格闘技の勉強、研修の方が長かったのかもしれない。又、実際に仕事したり、生きていく上では、格闘技で教わったことが役に立っている。学生時代は左翼の人とよく殴り合いをしていたが、今は、そんなことはない。街で喧嘩もしない。道場でルールのある格闘技をやっているだけだ。
 ただ、肉体の鍛錬を通して、多くのことを学んだ。長い間、思想的な運動を続けられたのも、肉体的な練習があったからだと思う。何かあったら、相手を殴るとか、やっつけるとか…そういう自信ではない。何かあっても、「受け身」を取れるようになったと思う。これは生きていく上で一番大きいと思う。『秘伝』では、そんな話をした。僕の話には、〈大庭英雄と“人生の受け身”〉とタイトルが付けられている。

 僕のところに取材に来たのは、去年出した一冊の本を読んだからだという。『反逆の作法』(河出書房新社)だ。いろんな分野で、僕が習い、師匠としてきた人々について書いたのだ。「生長の家」の谷口雅春先生。「生長の家学生道場」の道場長だった大森先生。そして、合気道の大庭先生…などだ。それを読んで「ぜひ合気道の話を聞きたい」と来たのだ。それともう一冊、今年初めに出た本だ。内田樹さんとの共著で『慨世の遠吠え――強い国になりたい症候群』(鹿砦社)だ。対談だけではなく、内田さんがやっている合気道場まで行き、稽古をつけてもらった。ポンポンと投げ捨てられた。そんな体験も書いている。こう見てくると、僕が右翼運動をやってきたのも、原稿を書く仕事をしてきたのも、あるいは考えの違う人たちと対談してきたのも、基本には合気道があったのだろう。今頃になって、そんなことに気付いた。

 『秘伝』の取材では、思いつくままにいろんな話をしただけだが、編集部のまとめ方がうまい。読んでみて、いかに多くのことを合気道から学んできたか。今さらながら驚いた。〈思想・言論・愛国運動。“反骨”の基にある武道の心得とは〉が、サブタイトルだ。小見出しも面白い。こんなのだ。

 物理の講義を聴いているかのような稽古
 50歳を過ぎて“富木合気道”の基本、「柔道」を学ぶ
 「受け身さえ知っていれば、たとえどんな相手とでも戦えますよ」
 総理大臣は富木合気道
 「鈴木君は吉田松陰のようだ!」
 腑に落ちないことにこそ対峙しろ
 討論番組は“身体”の間合いで
 「友達が多いこと」。それが武道の最終奥義なのではないでしょうか

 何やら自分勝手なことを言ってるようで、富木合気道の先生や先輩方には申しわけない。総理大臣というのは小渕恵三さんだ。富木合気道をやっていたし、もの凄く強かった。まだ若くて、普通の議員の時だったが、僕にゴムの短刀で突かせ、それをかわして合気道の技をかける。そんな練習を何度もやっていた。将来、首相になった時、もし右翼の暴漢に襲われたらどうする。そんなことを想定して練習していたのかもしれない。ビデオを撮ってもらえばよかった。貴重な体験だった。「吉田松陰」というのは、恥ずかしいが、僕がある事件に巻き込まれた時だ。警察に逮捕され、道場にも警察は聞き込みに来た。「迷惑をかけますので練習は休みます」と大庭先生に言ったら、「その必要はない」と言って、皆を集めて話をしてくれた。「社会からはいろいろと誤解されてますが、私は鈴木君を信じています。鈴木君のやってることは、明治維新をやった吉田松陰のようなことです」と。驚いた。そんな立派なことじゃない。でも、そこまで信じて断言してくれた先生の心が嬉しかった。『秘伝』を読み返しながら、そんなことを思い出した。

 

  

※コメントは承認制です。
第176回人生の基本は、合気道から学んだ」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    きちんと受け身をとる、危機を察してかわす――相手をやっつけることではなく、そのほうが本当の強さを表しているのかもしれません。内田樹さんに「思想的・肉体的」に、徹底的に打ちのめされ、叩きつけられた」と鈴木邦男さんがブログにも書いていた対談本『慨世の遠吠え――強い国になりたい症候群』(鹿砦社)には、道着で内田さんと組んでいる写真も掲載されています。また、発売中の月刊『秘伝』6月号は、ウェブサイトでも購入できるようです。

  2. 多賀恭一 より:

    深い。
    経験からくる言葉は、深い。
    「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という言葉を聞いたことがあるが、
    この言葉を考えた者は、薄っぺらな知識人だったのではないか?と感じた。
    ただし、小渕総理は日本の財政を大きく悪化させた人物だった。

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鈴木邦男

すずき くにお:1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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