鈴木邦男の愛国問答

 今年の夏は特に暑く感じられる。8月1日(土)付で、僕は一水会顧問を辞任した。8月1日発行の一水会機関紙「レコンキスタ」にそのことを書いている。又、8月2日(日)、阿佐ヶ谷ロフトで僕の「生誕祭」をやったが、その場でも発表した。この日は僕の新刊『新右翼〈最終章〉 民族派の歴史と現在』(彩流社)が発売されたが、その中でも詳しく書いている。8月10日(月)の「一水会フォーラム」では、僕が講師になって、「一水会43年の歴史」について話をする。
 
 実は、僕の顧問辞任は大したことではない。一水会、そして右翼全体が今、大きな激震に襲われている。事情通の人なら知ってるだろうが、一水会は、このところ、右翼全体からもの凄い批判を浴び、攻撃されてきた。何せ「国賊!」とビラが貼られ、右翼の街宣車が押しかけていた。高田馬場の一水会事務局だけでなく、木村三浩氏(一水会代表)の自宅まで黒い街宣車が押しかけて「国賊!」と攻撃していた。その中で話し合いも続けられ「これからは一切、右翼と名乗らない」と木村氏は言い、「脱右翼宣言」をした。その経緯については一水会のHPなどに書いてあるので、関心のある人は読んだらいいだろう。又、今発売中の『宝島』(9月号)に木村氏がその事情を話している。くしくも、『宝島』はこの次の号で休刊になる。この『宝島』のタイトルが凄い。編集部が付けたのだろうが、こうなっている。

〈“右翼落第”と言われて
  「黒幕」と呼ばれた男の自省録
            一水会代表・木村三浩〉

 木村氏や僕などはテレビや新聞に出て喋ることが多い。運動をする者として、「この問題はどう思うのか」と聞かれたら、答える義務があると思っているからだ。又、質問だけでなく、対談や討論番組でも呼ばれたら逃げないで応じてきたつもりだ。そのたびに「これは一水会の考えだが」とか「個人的にはこう思う」と言ってきたが、あたかも「右翼全体」の考えのように発表されることもある。それは僕らも気を付けているのだが、誤解されることも多い。右翼全体としたら「こいつらはもう右翼ではない!」と怒る。特に、木村氏が鳩山由紀夫氏と一緒にクリミア訪問したことが大きい。「ロシアの味方をしている!」「売国的行為だ!」となって、右翼の街宣車に押しかけられた。「右翼が右翼の街宣車に取り囲まれて攻撃される」という奇妙な事態になった。まわりの住民にとってはたまらない。「警察は何とかしろ!」と言う人がいても、警察は一切止めない。やらせている。わざと事を大きくさせているのだ。公安警察はむしろ、たきつけている。右翼団体を回って「一水会はこんなことを言ってますよ。こいつらはもう右翼じゃない。抗議しましょう」と煽っているのだ。
 
 『宝島』はタイトルこそセンセーショナルだが、中身は真面目だし、木村氏も真剣に話している。リードにこう書かれている。

 〈「猪瀬前都知事5000万円授受」「鳩山由紀夫氏のクリミア訪問」で注目された大物右翼が“脱右翼宣言”〉

 さらにこう書かれている。

 〈ふたつの“騒動”でメディアから“黒幕”としてバッシングを受けた“大物右翼”木村三浩一水会代表。新右翼の論客として知られる木村氏だが、この5月、突如「脱右翼」を宣言。その理由、そして騒動の真相を、自省を込めて語り尽くした〉

 ふたつの“騒動”というが、問題とされてるのは「クリミア訪問」だけだ。それに、一水会に対し、「こいつらはもう右翼ではない!」という批判は昔からあった。僕の発言や行動に対して、ずっとあったのだ。一水会を作ったのは1972年で、僕が代表をやってきた。2000年からは木村氏が代表をやっている。この代表交替の時も「こいつらは右翼じゃない!」「鈴木は国賊だ!」という右翼の批判が多く、そのため僕が責任をとって代表を辞めた。そんな経過もあった。それがずっと底流にある。だから僕の責任も大きいと思い、今回は顧問も辞めたのだ。

 2000年に木村氏が新しい代表になったが、1999年は「国旗国歌法」が法制化された年だ。僕は法制化には疑問だったし、「法の強制」がないと国旗、国歌と認められないのか、と反対した。僕は「日の丸」「君が代」は好きだ。ただ、学校などで強制されることには反対だった。この法律が出来たあと「起立しているか」「本当に声を出しているか」をチェックしていた。こんなことまでして「君が代」を強制されるのでは「君が代」がかわいそうだ。又、「日の丸」だって利用される。もっと大事にしていいのではないか、と思った。そんなことをいろんなところで言った。これは僕だけでなく、他の人も言っていた。
 このかなり前だが、愛国党の赤尾敏さんは、「日の丸、君が代は大人が大事にして見せたら、子どもはそれを見て、ならう」と言っていた。大事だと思う大人が、たとえば国会議員が国会で毎日、日の丸の前で「君が代」を歌えばいい。起立しないからといって共産党や社民党の議員を処分できない。国民に選ばれた代議員だからだ。だから、弱い立場の学校に押しつけている。これはおかしい! と言っていた。僕はそれには大賛成だった。そして「朝日新聞」にこう書いた。問題をはっきりさせるために、国民投票をしたらどうだ。それで国旗・国歌を決めようと。「その結果、国旗が赤旗になったら従う。国歌がインターになったら歌う」と言った。絶対にそんなことはないと思ったから、安心して言ったのだが、右翼の多くはこれにカチンときた。一水会の若者が街宣していても、他の右翼の人に取り囲まれ、「お前のところの代表は、国旗は赤旗でいいって言ってるぞ」「インターが国歌でもいいと言ってるぞ!」って言われる。これには僕もまいった。後輩たちに迷惑をかけられないと思い、代表を辞めた。そして2000年からは木村氏が代表になった。僕は顧問になった。それから15年。今度は顧問も辞めたのだ。

 「右翼」という言葉は別に僕らが自分から名乗ったことはない。でも、マスコミや一般の人からは「右翼」と呼ばれることが多い。そのたびに訂正するのも面倒だし、「まあ、何とでも呼んでくれ」という感じだった。いわば「あだ名」のようなものだと思っている。ところが右翼の大部分の人たちは、「右翼」という言葉に誇りを持っている。そして、変な人間が勝手なことを言うことに怒っている。「こんな奴らと一緒だと思われたくない」「こんな奴等は右翼じゃない!」と思っているのだ。だから、「右翼をやめろ!」と言うわけだ。やめるも何も自分から名乗っていないのだが、まあこの気持ちも分かる。それで木村氏は、「自分からは一切、右翼という言葉は使わない」と言った。抗議されて、そう言ったようだが、かえってこれはよかったかもしれない。「これからは右翼と呼ばないで下さい」と言えるし。一つの思想運動、一つの変革運動として、やるだろう。一水会も僕もかえって自由な世界で、発言や行動の幅も拡がると思う。
 この暑い夏、多くの人に心配をかけたが、木村氏も僕も元気です。これからも新しい挑戦をしていこうと思っています。今後ともよろしくお願いします。

 

  

※コメントは承認制です。
第181回一水会「脱右翼宣言」と、これからのこと」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    ショックな発表でしたが、これからもさらに活動を拡げていくという言葉に安心です。肩書きや言葉は変わっても、目指していることや活動の本質はずっと変えずにいらしたのだと思います。これからも、マガジン9でもどうぞよろしくお願いいたします。

  2. ロシアつながりで、新国立の問題で森元首相がバッシングされてる件。あれ森さんがロシアから天然ガスをパイプラインで引いて、アメリカからエネルギー的に独立しようと画策してたことがからんでる気がするんだけど、鈴木さんはどう思います??

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鈴木邦男

すずき くにお:1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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