鈴木邦男の愛国問答

 「常識」って何だろう。今もずっと考えている。以前は、こんなことを考えたことはなかったのに。俳優の榎木孝明さんに言われたことに衝撃を受けたからだ。榎木さんは30日間、全く食べない生活をした。「不食」だ。不食を完遂した直後、ワインを飲み、食事をとっていた。その映像がテレビで連日流れていた。榎木さんはスマートだし、太っていない。ダイエットなどする必要はない。なぜ不食なのか。なぜそんなことが出来たのか。ぜひ聞いてみたいと思った。
 そのことを武道雑誌『秘伝』の編集者に言った。「じゃ、連絡してみましょう」と言う。そして実現した。不食を終えたばかりで取材も殺到している。俳優の仕事も忙しい。でも受けてくれた。じっくり話を聞いた。テレビ、新聞、週刊誌など多くの取材に応じているが、『秘伝』のインタビューが一番詳しいし、榎木さんの本音、人生哲学が一番出ていると思う。これは自信を持って言える。『秘伝』10月号(BABジャパン)は、9月12日発売だ。もっと知りたい人は読んでほしい。

 不食の1カ月の間、榎木さんは普通に仕事をしていた。パーティにも出る。奥さんが買い物に行くときも付き合う。食料品売り場も通る。僕らなら、たとえ1日か2日でも食べなかったら、大変だ。やっていられない。食料品売り場なら、手当たり次第とってガツガツと食べる。「そんな気は全く起こりませんでした」と榎木さんは言う。「でも食べなかったら死ぬでしょう」と聞いたら、「それは常識に囚われているからです。世界には全く食べないでも生活している人がいるんです」。エッ? 本当ですか。と言っちゃった。「じゃ、何日も寝なくても大丈夫なんですか?」「大丈夫です」と言う。「何カ月も人と話さなくても大丈夫なんですか?」「大丈夫です。若い頃、インドを放浪して、何カ月も人と話さないことがありました」と言う。でも、そんなことをして何の役に立つのだろう。「常識」に従って、常識的な生き方をしてた方がいいだろうと思った。あえて、常識を捨てる必要があるのだろうか。

 「地震などで人が生き埋めになると、“72時間が限度です”と言われるでしょう。でも外国では1週間や10日経っても生きて救出されるケースはあります。それは、72時間が限度という“常識”がないからです」
 それを聞いて、アッと思った。そうか、常識といわれる知識がなかったから助かったのか。常識や知識が「凶器」となり、人を呪縛する。そんなこともあるんだ。そう言われて思い出したことがある。僕らの子ども時代に、自殺する子どもはいなかった。本当はいたのかもしれないが、新聞、ラジオ、テレビで報道されなかった。報道されないことは「ないこと」だ。だから、どんな苦しい時でも自殺しようと思ったことはない。そんな「選択肢」があることを知らなかったのだ。知識がなかった。これはよかったと思う。
 
 自殺のことを知ったのは高校になってからだ。でも、高校はミッションスクールだから、「自殺は悪」だと徹底的に教えられた。そのせいだろう。同窓会で会って聞いてみても(病気で亡くなった人はいても)自殺した人は今まで一人もいない。三浦綾子の小説を読んでいたら、「自殺は傲慢だ」と書かれていた。困り果て、追いつめられ、他に手段がないと思い自殺するのだろう。かわいそうだ。それを「傲慢」とは何だ、と思った。でも、三浦綾子は敬虔なキリスト教の信者だ。「この肉体は自分のものではない。神のものだ。それを勝手に処分するなんて傲慢だ」という考えなんだろう。
 こう考えると、常識や知識に囚われるのは、まるで「依存症」と同じだ。それに頼り切り、そこから逃れられない。そこから解放され、自由になったら、新しい世界が開けてくるのに。ギャンブル依存症、携帯依存症もそうだろう。特に携帯だ。電車の中では座っている9割以上の人が携帯をやっている。メールをしているのか。ゲームをしているのか。そんな人は、一日でも「不携帯」は出来ないだろう。死んじゃうだろう。「不食」よりも難しい。友人、情報、携帯・・・などは必要だ。これがなくては生きていけない。そう思われているのだろう。作られ、強制された知識であり、常識だ。
 
 そうだ、これは政治にも言える。「国を守るには軍備が必要だ。常識じゃないか」「憲法が世の中に合わなくなったんだ。改めるのが常識だ」。そんな常識の世界に僕らは生きている。その呪縛を解き、どうやって自由を得るかだ。昔は、テレビ討論でも「非暴力」「非武装中立」と言う人がいたし、説得力もあった。今はそんなことを言う自由がない。「そんなのは夢物語だ。現実を見ろ!」と言われる。「強力な軍隊を持って国を守る。それが世界の常識だ」と言われる。その常識を疑い、呪縛から解放される必要がある。
「今は、必要のないものを余りに多く持ちすぎたのかもしれない。それを捨てたら、かえって手に入るものがある」と榎木さんは言う。社会運動の世界にも、政治の世界にもいえると思った。考えてみよう。

 

  

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第183回僕らの「常識」について、疑ってみよう」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    「そんなの常識でしょ」と言われることは多くありますが、「一体どこの誰にとっての“常識”なのか」――そう考えてみると、働き方、家族のあり方、ジェンダー、幸せの尺度など、意外と世の中にはさまざまに異なる「常識」が存在していることに気づきます。自分や社会の「常識」をもう一度見直してみると、新しく見えてくるものがありそうです。

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鈴木邦男

すずき くにお:1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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