鈴木邦男の愛国問答

 「ねじれ国会」という言葉があった。衆議院と参議院で政党の力関係がねじれていた。しかし今は、国民と国会の間がねじれている。どこの世論調査を見ても、安保法案に反対の人が圧倒的に多い。60%とか70%だ。「この法案に不安を感じる人」はさらに多いし、「国会の審議は十分だと思うか」の問いには、ほとんどの人が「不十分」だと答えている。しかし、その国民の声は国会には届かない。政府自民党は、数の力にものを言わせて強引に通してしまった。「政治をやるのは我々国会議員だ」という思い上がりがある。世論調査がどうであれ、憲法学者が何と言おうと、国会議員が決めるのだ、と思い込んでいる。
 
 国民は選挙の時に投票する。それが国民の(唯一の)政治参加だ。これでは「主権者」でも何でもない。その投票で選ばれた国会議員が「国民の代表」だ。あとは、この「代表」が政治をする。これが民主主義だと思っている。だから、デモなどは認めない。首相官邸前に集まったデモ隊を見て、「テロリストだ」と叫んだ自民党議員がいた。国民は投票して、国会議員を選ぶ。それ(だけ)が、国民の政治参加のはずなのに、デモに参加して政治批判をする。これは「ルール違反だ」と思っているのだろう。愚かな認識だ。又、デモに出た学生を見て「そんなことをしたら就職に不利になるぞ」と言った地方議員がいた。これもひどい話だ。学生に対する恫喝だ。
 
 デモにどれだけの人が集まろうと、世論調査でどれだけ反対があろうと、憲法学者が皆反対しようと、「でも、政治は我々国会議員が決めるのだ」と思っている。あとは外部の声であり、参考にするかどうかは我々の自由だ。と思っているようだ。「じゃ、解散・総選挙だ。国民の声を聞け!」と野党は言うところだが、今、そんな勇ましいことは言えない。一強多弱の政治だし、野党は分裂ばかりだ。政権交代ももうない。そんな「野党なし」の状況の中で、自民はやりたい放題だ。

 安保法案が強行採決され、あとは国民の無力感・絶望感だけが残った。安倍政権は「日本を取り戻す」「もはや戦後ではない」と言っている。戦後ではなく、近づく戦争の「戦前」なのかもしれない。安保法案通過後の虚脱感の中、近づく〈戦争〉を考える三つの集会に出た。前々から決まっていた集会だし、まさか、こんなタイミングでやるとは思ってもいなかっただろう。運命的な日にやったのだ。今までと違い、〈戦争〉がよりリアルに身近に感じられた。三つの集会とは以下だ。

 1)9月19日(土)、戦争の不条理を描いた大西巨人の『神聖喜劇』を通して、戦後70年を考える。午後7時から武蔵野公会堂大ホールだ。第1部はラジオドラマ『神聖喜劇』を聴き、第2部はトークセッション。パネラーは大西巨人さんの息子で、小説家の大西赤人さん。川光俊哉さん(脚本家)、斉藤秀昭さん(大正大学講師)。そして僕だ。この『神聖喜劇』は、戦争文学の金字塔だ。大西巨人が25年の歳月を費やして執筆した。原稿用紙にして、4700枚だ。昔、僕は少し読んで挫折した。漫画では読んだ。この機会にちゃんと読もうと思い、光文社文庫の全5巻を買って、ひたすら読んだ。1冊が600ページ近い。それが5冊だ。戦争の悲惨さを描き、軍隊内の暴力を告発する戦争小説かと思っていたが、違っていた。主人公は上官に口応えするし、やけに論理的だ。時には言い負かす。そんな論争シーンが長く続く。又、兵隊一人ひとりの悩みや、心配事がえんえんと語られる。その中には万葉集や中世文学、あるいはドフトエフスキー、チェーホフなども出てくる。その文学作品の引用も多いし、長い。第5巻で「解説」を書いている坪内祐三さんは言っている。

 〈『神聖喜劇』はまた読書小説の傑作でもある。本、本屋、そして読書体験に関する具体性に満ちた描写は本好きにはこたえられない〉

 「読書小説」という言葉は初めて聞いたが、その通りだ。「教養小説」よりも、もっと先を行っている。又、戦争の理不尽さを告発した小説と言われ、じゃ「左翼小説か」とも思われがちだが、違う。左翼の偽善説をも糾弾している。軍人も政治家も左翼も権力を握ればこうなるのだということが分かる。当日、会場から発言した人が言っていたが、「サラリーマン社会と同じだ」と。この小説の中のような人たちが、会社でも学校でも、左右でも、市民運動でもいる。その点では、時代を越えて、「今」を問う小説でもある。又、この小説は「喜劇」である。戦争の不条理を描きながら、もうこれは喜劇としか言いようがない。そんな思いがある。今の安保法案だって、後々の人々から見たら「一体、何をやってたのか」とあきれられ、「喜劇」と思われるかもしれない。では次の日だ。

 2)9月20日(日)、午後1時から日比谷公会堂。「あの戦争体験を語り継ぐ集い」。〈戦争〉が再び身近に、リアルに感じられるからなのか、日比谷公会堂は満員だった。第1部は戦争体験者の証言。平均年齢90歳以上の体験者の証言は悲惨だ。悲壮な発言だった。第2部は「今の日本をどう考えるのか」の討論会。小熊英二さん、川村湊さん、栗原俊夫さん。終わって控え室に行って、話を聞いた。

 3)9月21日(月)午後1時半より、市ヶ谷会館。前泊博盛さん(沖縄国際大学教授)の講演を聞く。「戦後70年――日米安保条約と地位協定」。前泊さんは会ったことはなかったが、注目していたし、本は読んでいた。『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(創元社)、『沖縄と米軍基地』(角川oneテーマ21)などだ。講演を聞いていたら、突然、僕の話が出てきた。数年前の政府が主催した「主権回復の日」式典のことだ。「鈴木邦男さんが、テレ朝のニュースバードに出て、『政府はこの日は沖縄を切り捨てた日だったことを失念してたんでしょう。あとで他の人に聞いて慌てた。だからもう来年からはやりません』と言ってた。その通りでしょう。その通りになりました」。講演が終わって挨拶したら「あっ、会いたかったんですよ」と言われた。そして、主催者と一緒に食事に。前泊さんは前に新聞記者をやっていたので、話は詳しいし、面白い。又、必ず調査をして発表する。とても貴重な話だった。「安保法案後の日本」。そして沖縄について、遅くまで話してくれた。

 9月19、20、21日と、〈戦争〉を考え、勉強した3日間だった。安保法案は通ったが、このままではない。まだまだ論争が続くだろう。絶望しないで、発言し、行動していきましょう。

 

  

※コメントは承認制です。
第184回近づく〈戦争〉を考えた3日間」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    安保法案審議中の二転三転する政府発言を集めて客観的に見たら、たしかに「喜劇」と言えるかもしれません。あまりにいい加減すぎて、出来のよくない喜劇ですが。「政治のことは、国会議員にまかせるもの」という意識は、かつては議員だけでなく、多くの市民の側にもあったように思います。けれど、3・11からこの安保法案の審議を経て、市民の意識は大きく変わりました。変化している日本の政治意識に、いちばん鈍感なのが国会議員なのではないでしょうか。

  2. 多賀恭一 より:

    「国民と国会の間がねじれている」
    その理由は、衆議院議員の任期が長すぎるからだ。
    4年から2年に短くすれば、改善できる。

  3. 島 憲治 より:

    私も「市民の意識は大きく変わりました」と思いたい。しかし、私が住んでいる東北最北端ではそんな感じは全くしないのです。又、今特に与党議員に求められている資質は鈍感ではないでしょうか。以下は、伊藤塾長雑感「個人と民主主義」(塾便り通信)より粋です。
    「国会の外では個人が声を上げていました。これに対して、国会内は依然として組織の論理でしか動けない人たち、何かに追従することしかできない人たちばかりでした。米国に追従する総理大臣、党首に追従する議員、自民党に追従する公明党。一人一人の議員が個人としての考えをもつことができなくても議員をやっていける党議拘束という「世界の非常識」が日本ではまかり通っているのです。主体性のない国会議員と主体的に行動する市民という対比が鮮明でした。」
     そして、「今回の国会での議論を通じて、立憲主義を尊重しない非立憲という立場がこの国に存在することがわかったことは収穫でした。」

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鈴木邦男

すずき くにお:1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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