鈴木邦男の愛国問答

 5月7日(土)、静岡に行ってきた。スナック「バロン」15周年記念だ。でも、ここはただのスナックではない。集まった人たちも、昔、学生運動をしていた人が多い。左翼が主だが、右翼もいる。又、脱原発や人権などの市民運動をしている人が多い。「普通の人」はあまりいない。普通の「酒場の客」はいない。

 このスナック「バロン」のマスターは、実は元・連合赤軍の活動家の植垣康博さんなのだ。『兵士たちの連合赤軍』(彩流社)という名著を書いている。詳しいし、それでいて読みやすい。一般的に連合赤軍を調べ、報道しようとすると、皆、この本を読み、そして植垣さんに会う。連合赤軍事件を知るためのテキストだ。そして植垣さんは連合赤軍事件の〈顔〉だ。テレビで連合赤軍が取り上げられる時も、植垣さんが出ることが多い。植垣さんは「兵士」と言っている。その上に幹部たちは沢山いる。しかし、森恒夫、永田洋子は亡くなり、他の幹部たちも獄中にいたり、海外に行ったりして、いない。いる人でも、語りたがらない。「失敗」体験をいくら言っても仕方ない、と思っているのだろう。だから、どうしても植垣さんの所に取材が集中する。又、静岡でスナックをやっているし、誰でも行って、会うことができる。そこで取材の約束もとれる。あるいは客が少なかったら、そこで取材も出来る。又、そこで時々、トークイベントもやっている。ライターや評論家、元活動家を呼んで、トークをやっている。僕も何度かトークをやった。又、格別、用事がなくてもブラリと行ってみることもある。

 植垣さんは弘前大学に入り、そこで赤軍派に入る。「M作戦」をやらされる。「マネー」(資金獲得作戦)だ。いくつかの銀行を襲い、大金を奪う。それが全て成功する。又、ダイナマイトを工事現場から盗む。武装闘争のためだ。連合赤軍が出来てからも参加。山で武装訓練をやり、下りて権力と全面的な闘いになるはずだった。ところが、連日の会議の中では、参加者への批判・攻撃が中心になる。山の中にいて、権力と闘えないもどかしさ。運動はどんどん小さくなる。活動家の力量も落ちている。立て直し、鍛え直さなくては…と森、永田たち幹部は思ったのだろう。それが「総括」の始まりだ。一人ひとり、総括させる。自分の非力・失敗を認める人間には、なぐる、蹴るの総括が加えられる。初めは自分で自分をなぐらせる。でも、あまり効き目がない。「皆で、援助してやれ」となる。「援助総括」だ。その人間が反省し、再生するための手助けだ。でも実際は、ただなぐる、蹴るの暴行だ。そこで死亡する人も出る。

 「総括」をしきれなくて死んだ。だから革命家としては、これは「敗北死」だ。森たちは断定した。そのうち「化粧してくるのは自覚がない」「寝たまま、他人にティッシュをとってくれと言った」…と批判される。「理屈」はどんどんエスカレートする。だが、植垣さんは主体的にかかわる。初めは嫌だったが、途中から「やるしかない」と思い、積極的に援助総括をする。総括する人間をしばり、皆でなぐり、さらにナイフで刺す。アイスピックで刺す。でも、人間はなかなか死なない。これでは、苦しみを長びかせるだけだ、と思い、首を絞めて殺してやった。

 事件の後、逮捕され、その後、27年間も刑務所にいた。刑務所の中で必死に書き、そして獄中から『兵士たちの連合赤軍』を出した。それまで僕は、この事件にさほど関心がなかった。ともかく酷い話だし、残忍な事件だ。我々の運動とは全く関係がない、と思っていたが、読んで驚いた。左翼の運動ってこんなに楽しいのかと思った。又、銀行強盗にしても、明るく書いている。「終わったことだし、これからやることもない」という割り切りがあるから、明るく書けるのか。ともかく驚き、書評を書き、それを出版社にも送ったら、出版社がそれを東京拘置所にいる植垣さんに送ってくれた。そしてすぐに本人から手紙がきた。それで、本人に会いに行った。〈連合赤軍〉と会ったのは、全く初めてだ。手紙のやりとりが続き、刑務所を出た時、彼は実家のある鳥取に帰った。僕はすぐに鳥取に行き対談し、それが月刊『創』に載った。それから、ロフトや雑誌、新聞などで何回も何回も対談した。何十回かもしれない。

 初めは鳥取にいた植垣さんだが、昔の仲間たちが静岡に呼んでくれ、店も用意してくれた。あの植垣さんがマスターだということで、初めの頃は大盛況だった。でも、女の子がいるわけでもないし、客は固定化する。コアな客だけになると、一般の人は入りにくい。それで店の経営も大変だ。でも、大変なのに15年も続いた。たいしたものだ。それで、植垣さんの努力と忍耐をたたえるパーティになった。この日はなんと、植垣さん自らが司会をやる。それもすごい。昔の仲間や反対の右翼の人、作家、マンガ家などを紹介し、挨拶してもらう。作家の山平重樹、マンガ家の山本直樹、元兵庫県警の飛松五男…などが紹介される。皆、「よくがんばった。これからも10年、20年とやってくれ。死ぬまでやってくれ」と激励する。

 でもなー、と僕は思った。いつまでもスナックのマスターでは勿体ない。いい本を書いているんだし、もっともっといろんな場で話してほしい。活躍してほしい。連合赤軍の失敗や教訓についても一番語れる人だ。本当なら作家一本でやってもらうとか、あるいは大学の先生になってほしい。静岡の酔っ払い相手に酒を飲んでいるだけじゃ、勿体ない。「国家の損失だ!」と思ったから、そう言った。「15周年で終わりにしたらいい」「20周年はいらない、30周年もいらない。植垣康博をスナックという、この小さな檻から解放しろ!」と言った。でも、不評だった。僕こそが一番、植垣さんのことを考えていると思ってたのに。

 しばらく本が出てなかったが、今年の夏には久しぶりに本が出るという。出所してから考える連合赤軍事件について書くという。これは楽しみだ。今、連合赤軍はないが、日本社会はむしろ全体的に「連合赤軍化」しているのではないか。小さなアラを見つけて批判し、罵倒する、つぶす。テレビ討論でも、出版される本でも、他人を批判し、他国を罵倒するものばかりだ。それでいて自分のことを「愛国者」だと錯覚している。とんでもない。「愛国者」に愛はない。

 失敗したとはいえ、昔の学生運動家のほうが愛があり、夢や理想があった。そんなことを僕も植垣さんに聞いてみたい。又、〈極限状況〉を見て、耐えてきた人だ。そこから学んだこと。又、地獄をくぐり抜けた先から見た、この日本。そうしたことを具体的に聞いてみたい。そんな本を出したい。スナックはもういいだろう。誰にも出来ない体験をした人だ。それを基に、広く言論活動をやってほしいと思う。

 

  

※コメントは承認制です。
第198回スナック「バロン」の15周年」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    「愛国問答」に度々登場されている植垣康博さん。夢や理想をもって始めたはずの活動がどうして「失敗」に終わってしまったのか、いま日本全体が「連合赤軍化」しているというのはどういうことなのか――日本は歴史から学ぶことが下手だという声もありますが、過去の経験を基に考えるべきことがたくさんあるはずです。

  2. 多賀恭一 より:

    「良い本を書いているから良い人だ。」
    もし、そう思うのなら人を見る目が無い。良い本を書いたということは、都合の悪いことを、その本に書かなかったということだ。第二次世界大戦で復員してきた人たちの多くが口をつぐんでいるのは、「自分に」都合の悪いことを話したくないからだ。
    鈴木邦男は人を信じすぎる。もっともその緩さが魅力なのだろう。

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鈴木邦男

すずき くにお:1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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