柴田鉄治のメディア時評


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

shibata

 安倍政権が誕生してからほぼ1年。2013年は「国家ってなんだろう?」と考えさせられ続けた年だった。その理由はいうまでもなく、安倍首相が「戦後レジームの改革」と称して次々と打ち出している国家主義的な政策によって、日本が大きな転換期を迎えているからだ。
 その極め付きは、12月6日に与党だけの「強行採決」により成立した特定秘密保護法であり、17日に策定された国家安全保障戦略(NSS)と新防衛大綱と中期防衛力整備計画である。NSSに「愛国心」を盛り込み、集団的自衛権の行使を視野に軍事力重視を打ち出したものだ。
 安倍首相はこれらの政策を「積極的平和主義」というわけの分からない言葉で説明しようとしているようだが、ひと言でいえば、個人の人権より国家を上位に置こうとする、いわば戦前の日本に戻そうとする動きだといえよう。
 こうした動きを読売・産経新聞が支持したためメディアがこぞって反対できなかったことは残念だったが、やや遅ればせとはいえ、特定秘密保護法をめぐって朝日・毎日・東京新聞に加え日経新聞まで疑問の声を挙げ、それにほとんどすべての地方紙も反対の論陣を張ったことはよかった。
 やや大げさな表現かもしれないが、久しぶりにメディアの存在価値が示され、各種の世論調査の結果も秘密保護法に反対の声が圧倒的に多く、安倍政権の支持率も大きく減じた。
 世論と政府との綱引きは、これからどうなるか予断は許さないが、社会に対するメディアのチェック機能が働いたケースだとはいえるだろう。
 新聞の投書欄などに戦前を知る人たちからの投稿が増え始めたことも目に付いた。私自身も今年の12月8日は、6歳のときに耳にした「大本営発表、帝国陸海軍は本日未明、西太平洋において…」という臨時ニュースの声がひときわ大きく甦り、悲劇の始まりとも知らずに、ただ「万歳、万歳!」と叫んでいた当時を鮮明に思い出していた。
 その後は、「鬼畜米英」「ほしがりません、勝つまでは」とすべては「お国のために」我慢を強いられる毎日で、学童疎開、栄養失調、東京大空襲と戦争の惨禍をまともに受けて、敗戦と同時に「国家とは誰のためにあるのか」という根本的な疑問が湧いてきた。
 そんな思いを救ってくれたのが新憲法だった。「主権在民」で基本的人権は国家より重く、戦争を放棄した9条がまぶしいほどに輝いていたのである。それをもう一度ひっくり返そうとしているのが安倍政権なのだ。
 安倍首相が最もやりたいことは憲法9条の改定なのだろうが、それには国会議員の三分の二以上の賛成と国民投票という高いハードルを越えなければならず、そのため改憲せずに憲法の解釈を変えて集団的自衛権の行使を認めるようにしようと狙っているようだ。
 戦後の日本は一貫して「集団的自衛権は権利としては保持しているが、憲法9条のもとでは行使はできない」という方針を堅持してきた。法律の番人、内閣法制局が「行使したければ改憲を」と言い続けてきたのである。
 それを安倍首相はまず内閣法制局長官の人事権を使って「容認派」に代えるところから着手し始めているのだ。また、これも戦後一貫して続けてきた「武器輸出禁止」の原則もあっさり放棄しようとしている。
 「平和国家」という戦後の日本の骨格ともいうべきものを、国民の判断も仰がず、一内閣の閣議決定だけで簡単に変えてしまっていいものなのかどうか。

「国家とは何か」北朝鮮を「反面教師」にして考えよう

 それに今年はもう一つ、「国家ってなんだろう?」と強烈に思わせてくれたものに、北朝鮮への旅があった。9月の本欄でその印象記を記したように、北朝鮮は戦前の日本社会とそっくりで、すべては「お国のために」国民が我慢を強いられている国だ。
 もし朝鮮半島が分断されず二つの国家が生まれてなかったら、朝鮮戦争もなかったろうし、いまも軍備にさえカネをかけなかったら豊かな生活を送れているに違いない人たちなのである。
 その国で「ナンバー2」といわれていた張成沢・国防委員会副委員長が国家の転覆を図ったとして処刑されたというニュースには驚いた。軍事法廷での死刑判決から即日処刑というやり方からして、一種の権力闘争の結果なのだろうが、最高指導者の義理の叔父にあたる人だっただけに、その非情さ、残虐さには戦慄を覚えるほどだ。
 金正恩体制になって2年目を迎え、旅行者の目には軍備より経済発展に舵を切り換えたかのようにみえたのに、やはり「国家」体制の維持のほうが何よりも大事だと権力者は考えているのだろう。
 いまの日本もこの国を「反面教師」として、「国家ってなんだろう?」と真剣に考えるべきときなのではあるまいか。
 ついでに私の個人的な感慨を述べさせてもらえば、私が何度も訪れた南極大陸は日本の40倍もの広さがあるのに、南極条約によって「国境もなければ軍事基地もない」いわば人類の理想を先取りした平和の地で、「世界中を南極にしよう!」というのが私の夢なのである。
 各国がそれぞれ「国益、国益!」と叫んでいたら戦争もなくならないし、地球環境も守れない。世界中の人たちが「愛国心」ではなく「愛地球心」でいかなければならないときに、日本がいま進もうとしている方向は、逆なのではあるまいか。

猪瀬・東京都知事の「失格・退場」のニュースも

 このほか今月のニュースでは、猪瀬直樹・東京都知事が、医療法人「徳洲会」から現金5000万円を受け取った事件の責任をとって辞任したことも注目に値する。メディアと都議会の厳しい追及に、猪瀬知事の釈明も二転三転しどろもどろとなったのに、なお「1年分の報酬を返上するから」と粘り続けていたが、ついに辞意を表明した。
 無利子・無担保で5000万円もの現金を受け取り、捜査の手が伸びるやあわてて返金したのだから、その事実だけでも辞任は当然だが、これもメディアのチェック機能が働いたケースの一つに挙げてもいいだろう。
 しかし、辞任ですべてが終わったわけではない。「職務権限」のある相手から巨額のカネを受けとったのだから、贈収賄事件であり、返金したからといって犯罪事実が消えるわけではないのだから、このあとは検察庁の出番だろう。メディアはそこまでしっかり見守ってほしいものだ。
 そして、次の都知事選挙の報道も、これまでのような「人気投票みたいなもの」にならいように、しっかりした選挙報道をメディアに期待したい。

マンデラ・元南ア大統領の弔問に安倍首相も行くべきだった!

 南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領が死去し、その追悼式にオバマ米大統領をはじめ世界中の要人が集まったというのも今月のニュースだった。「安倍首相も行くべきだった」という声がメディアに散見されたが、私もそう思った一人である。
 南アフリカは、強烈なアパルトヘイト(人種差別)政策をとっていて世界中から嫌われ孤立し、一時は核兵器の開発までやろうとしていた国なのだ。
 黒人のマンデラ氏は人種差別撤廃の運動を起こして27年間も獄中にあった人なのである。しかし、改革に成功し権力を握ってからもその恨みを晴らそうとするのではなく、逆に民族の融和に努め、世界中から尊敬される指導者になったのだ。
 安倍首相も出席して世界中の要人たちと「弔問外交」を展開したらよかったというだけではなく、それと同時にマンデラ氏のその融和精神を少しでもいいから学んでほしいと思ったからだ。
 というのは、日本はいま、最も仲良くすべき近隣諸国、中国や韓国との間が冷え込んだままの状況が続いている。領土問題や歴史認識の問題からだ。しかも、それに対応する処置として軍備の増強という「最悪の方法」をとろうとしているのだ。
 マンデラ氏から学ぶべきものは、安倍首相だけではない。特定秘密保護法の反対に立ち上がった人たちにマンデラ氏の言葉を伝えたい。「何もせず、何もいわず、不正に立ち向かわず、抑制に抗議せず、それで自分たちにとってよい社会、よい暮らしを求めることは不可能です」
 秘密保護法は成立してしまったから仕方がない、と無力感に陥るのではなく、抗議を続けることが大事なのだ。日本の民主主義、日本の平和主義を守るために。

 

  

※コメントは承認制です。
第61回 「国家ってなんだろう?」――考えさせられたこの1年」 に4件のコメント

  1. magazine9 より:

    正直なところ、無力感や絶望感に襲われることもしばしばだった2013年。でも、ここで生きていく以上、口をつぐんで立ちすくんでしまうわけにはいきません。1年後、さらに深い後悔に陥らないためにも、いろんなやり方で、それぞれにやれること、やるべきこと、やっていきましょう!

  2. 安倍政権の「積極的平和主義」は、これまで日本のリベラルや左派が近隣諸国の人権弾圧に対して頬かかむりしてきたことのパロディみたいなもんでしょう。先にこっちが世界に平和を積極的にアピールしていれば、あんなキャッチコピー使えないわけでさ。

  3. ピースメーカー より:

    >各国がそれぞれ「国益、国益!」と叫んでいたら戦争もなくならないし、地球環境も守れない。
    >世界中の人たちが「愛国心」ではなく「愛地球心」でいかなければならないときに、
    >日本がいま進もうとしている方向は、逆なのではあるまいか。

    にもかかわらず、なぜ、「日本はいま、最も仲良くすべき近隣諸国、中国や韓国との間が冷え込んだままの状況が続いている。領土問題や歴史認識の問題からだ。」ということになるのでしょうか?
    もちろん、この問題に対応する処置として、日本や日本人のみに一方的に屈服させ、中国や韓国の国益や民族的感情を満足させるという選択肢も、軍備の増強と同様の「最悪の方法」であることは言うまでもないでしょう。
    「妥協に不満を募らせる日本国内の不穏分子を排除する為に弾圧をするのですか?」という事になるからです。
    マンデラ氏がどの様に不満分子となりうる既得権益層を抑え、アパルトヘイト撤廃という結果をもたらしたのかは詳しくは分かりませんが、ある価値観の違う人間を「敵」と定め、戦って打倒したのではないことは分かります。
    日本も中国も韓国も右も左もナショナリストもリベラリストもアナーキストも、マンデラ氏から学ぶことは「『融和』とは何か?」であり、そこから「愛地球心」という発想に発展するのではないでしょうか?

  4. 鳴井勝敏 より:

    ボケは何のボケでも困る。思考停止に陥るからだ。「平和ボケ」「懐古ボケ」。映画「ハンナ・アーレント」を早く観たい。「思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです」「人間であることを拒否したアイヒマンは,人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です」。と、映画の中でアーレントが述べていることを新聞で知った。ユダヤ人の政治哲学者アーレントを主人公にした映画、地方ではしばらく観れないのが残念。

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柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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