柴田鉄治のメディア時評


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

shibata

 公共放送のNHKが大きく揺れている。いや、正確にいうと、自ら揺れているのではなく、安倍政権によって揺さぶられている、というべきであろう。
 それはいまに始まったことではないのだが、今回の騒ぎは昨年11月に安倍首相によってNHKの経営委員に新たな5人が任命され、国会の承認を得たことが発端だった。安倍首相の学生時代の家庭教師だった人や安倍首相を礼賛する作家の百田尚樹氏、安倍首相と同じような国家観、歴史観を持つ埼玉大学名誉教授、長谷川三千子氏…。
 そのときから安倍色が強すぎるという声が出ていたが、国会はあっさりと同意してしまった。自民党の一強多弱時代だから異議を申し立ててもしょうがないとでも考えたのだろうか。
 この新たな経営委員会によって任命されたNHK会長、籾井勝人氏が最初の記者会見で、「従軍慰安婦のような問題はどこにでもあった」と、こともあろうにオランダの飾り窓まで持ち出す暴論を述べ、記者団から追及されて「発言をすべて取り消す」という大失態を演じたのが第一幕だった。
 これらの発言は、国会でも追及され、籾井会長は陳謝に次ぐ陳謝を繰り返したが、その答弁もしばしば後ろから手渡されるメモに助けられ「会長よりメモ出す人の顔必死」と時事川柳に揶揄される始末。なぜこのような人が公共放送の会長に選ばれたのか不思議でならない。
 籾井会長の発言のなかで、歴史認識もさることながら、私が最も問題だと思ったのは「政府が右というものを左とはいえない」「特定秘密保護法は通ってしまったのだからいまさら何か言っても…」という点だ。これらの発言はメディアの使命をまったく理解していないことを示しているからだ。
 さらに第二幕として、今月になってNHKの新経営委員が、公共放送の経営に関わる資格要件にふさわしくないのではないか、と問われる事例が相次いで報じられた。まず作家の百田尚樹氏について、東京都知事選で田母神俊雄氏を応援して「他の候補者は人間のくずだ」とおとしめ、「南京大虐殺はなかった」という歴史観を披露した、と2月4日付けの朝日新聞が報じた。
 次いで埼玉大学名誉教授の長谷川三千子氏について、新聞社に乗り込んで短銃自殺した右翼団体の幹部を礼賛するような追悼文を書いていると、6日付けの毎日新聞が報じた。その追悼文には「『すめらみこと いやさか』と彼が三回唱えたとき(中略)今上陛下は(「人間宣言」が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神となられた」と記しているというのである。
 この長谷川三千子氏が作家の野上弥生子さんの孫と知って仰天した。というのは、44年前、私が担当した「70年代の予測」という朝日新聞の企画記事で「野上家三代の座談会」に学生時代の三千子氏に出てもらったことがあるからだ。
 そのときの記事を引っ張り出してみると、三千子氏は「70年代に皇居が公園に開放されるだろう」と予想するリベラルな思想の持ち主だったという印象なのだが、いつから変わってしまったのか。
 国会でNHK経営委員の任命責任を問われた安倍首相は、「個人的な発言には答えられない」と逃げてしまったが、内閣法制局の長官に「集団的自衛権の行使を容認する人」を任命したり、集団的自衛権を検討する有識者会議に同じ考えの人たちをそろえたり、節度のない安倍首相の情実人事には何らかの歯止めが必要なのではないか。
 とくにNHKの会長が首相の任命する経営委員によって決められるという方式は、この際、改める必要があろう。
 とにかくNHKによると、2月10日までに会長発言に対して視聴者から寄せられた意見は15000件を超え、そのうち籾井会長の辞任を求める意見が3300件もあったという。なお、経営委員の百田氏にも1200件、長谷川氏にも800件の意見が寄せられ、大半が厳しい内容だったそうだ。
 事態を重視したNHK経営委員会は、2月12日、今後は「一定の節度をもって行動していく」という異例の見解を発表した。こんな見解を出さねばならないなんて恥ずかしくないのか。

都知事選は舛添要一氏が大勝したが…

 2月9日が投票日だった東京都知事選挙は、自民・公明両党推薦の舛添要一氏が大勝した。細川護煕・元首相が脱原発を掲げて立候補したときは、私も「これは面白い。舛添氏と一騎打ちになるのかな」と思い、前号にもそう記したが、結果は宇都宮健児氏にも及ばない第3位と大敗に終わった。
 その結果については、各メディアがそれぞれに分析しているが、要は「風が巻き起こらなかった!」ということに尽きよう。脱原発を望む人たちは、宇都宮氏との候補一本化を望んでいたが、細川、宇都宮両氏の票を足しても舛添氏に及ばなかったのだから、諦めもつこうというものだ。
 ところが、選挙のプロによると、もし候補者の一本化ができていたら、結果は違っていたかもしれない、というのだから選挙も分からないものだ。とはいえ、歴史に「もし」はないのだから、言っても仕方のないことだろう。
 もう一つ、都知事選では田母神俊雄氏が61万票も取ったのには驚いた。それも若い人たちの支持が多かったということだから、若い人たちの右傾化が進んでいるのだろう。雪の影響もあって、投票率が46%と戦後3番目に低いといわれたなかでの61万票なのだから、大変なものだ。
 「ネトウヨ(ネット右翼)」といわれる実体が見えた、といった分析がメディアや学者によって報じられていたが、この層が安倍首相の歴史観や国家観にも最も近いだけに、右翼思想は決して安倍首相だけの個人的な「偏向」だとみてはならず、戦争体験もなければ歴史も学んでいない若い人たちが増えている現実を軽視してはならないことを示しているといえよう。
 舛添氏は、都議会自民党の推薦を受け、安倍首相も応援に駆けつけていたが、かつて自民党を飛び出して除名されたこともあって、歴史観や原発政策なども安倍首相とはかなり違いがありそうだ。その違いをどこまで出せるか、メディアはしっかりと見守ってほしいものだ。

集団的自衛権の行使に走る安倍首相!

 ところで、2月20日の衆院予算委員会で、安倍首相は集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更について、従来の政府見解を大きく踏み越えた方針を明らかにした。集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更を閣議決定した上で、自衛隊法などを改正するというのである。
 集団的自衛権は、権利としては保有しているが、行使することは憲法上できない、というのが法律の番人、内閣法制局の一貫した見解であり、政府も戦後ずっとそれを堅持してきた。行使を認めるには憲法を改定する必要がある、とされてきたのである。
 それを一内閣の閣議決定で、改憲もせずに変更できるというのだから、乱暴極まりない話である。安倍首相はすでに内閣法制局の長官を行使容認派の人に代えたり、首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」に容認派の人を集めたりしており、このまま進めば実際にやりかねない状況なのだ。
 集団的自衛権の行使について考えるには、ベトナム戦争やイラク戦争のことを考えると、分かりやすい。ベトナム戦争では、米国は日本の自衛隊にも参戦してもらいたいと思いながらも、憲法の制約からあきらめ、韓国軍に参戦を要請した。韓国はのべ30万人の兵士を送り出し、1万2000人が死傷した。韓国軍が何人のベトナム人を殺傷したかは明らかでない。
 イラク戦争では、当時の小泉首相がブッシュ米大統領の要請に応じて自衛隊を派遣したが、運よく戦火を交えずに済んだ。しかし、自衛隊機が米軍の輸送に使われたことには、憲法違反の判決も出ている。
 いずれにせよ、集団的自衛権の行使を認めるということは、日本の「平和国家」の骨格を変えることだ。それを一内閣の閣議決定で決めるということは、内閣が変わるたびに憲法解釈が変えられるということになってしまう。
 そのことを国会でも追及された安倍首相は、「政府の最高責任者は自分だ。選挙の洗礼を受けるのも内閣法制局長官ではなく自分なのだ」と平然と答えている。憲法は権力を縛るものだ、という立憲主義についても、安倍首相は「それは王様の時代の話だ」という、とんでもない認識を持っているようである。
 当面の政局は、安倍首相の暴走を止められるかどうかが最大の課題だといえよう。

 

  

※コメントは承認制です。
第63回 安倍政権に揺さぶられるNHK」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    安倍政権の「暴走」を止められるか。メディアにとっても、私たちにとっても、ここが正念場です。今週の「この人に聞きたい」「立憲政治の道しるべ」などもあわせてお読みください。

  2. くろとり より:

    筆者がいうほど籾井氏について反対している視聴者は少ないのでは?
    15,000件の意見のうち、辞任を求める意見は22%しかなく残る78%は辞任する必要無しとしており、籾井氏の辞任を求める視聴者が多いという印象操作にしかみえません。
    そもそもNHK自体が公営放送としては考えられないほど偏向しており、そちらの方が大問題でしょう。
    民放各社が政府の主張を悪意で歪めて放送することが当たり前となっており、政府の主張をストレートに聞こうとするとネットに頼らざるを得ない現状ではNHKの国営放送化は必要な事だと思います。
    政府の主張を判断するのは偏向したTV局ではなく国民自体なのですから。

  3. 別に、今週出てない鈴木さんだって野村秋介さんについては、何度も書いてるでしょう。

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柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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