柴田鉄治のメディア時評


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

shibata

 安倍首相の「悲願」二つのうち、一つの「憲法9条の縛りをなくし、日本を戦争のできる国にしたい」という願いのほうは、もともと米国は大歓迎であり、チェック役を自認していた公明党もさっさと降りてしまったため、どこからもブレーキがかからず、安全保障法制の整備もほぼ終わって、国会に提出する準備が着々と進んでいる。
 それに対して、もう一つの「戦前の日本は悪くなかった」という歴史観を広めたいというほうは、侵略戦争を仕掛けられた中国や植民地として支配された韓国など、被害国から強烈な反発があり、また米国からも不快感が示されているので、そう簡単には進みそうもない。
 3月21日に韓国のソウルで、日・中・韓3国の外相会議が3年ぶりに開かれたが、首脳会談の日程は決まらず、中国や韓国の外相からも歴史認識に関する厳しい発言が相次いだ。安倍首相が8月に戦後70周年の「安倍談話」を出すと宣言しているだけに、中・韓両国だけでなく、米国も気が気ではないようだ。
 ところで、この安倍首相の二つの悲願に対して、日本国民はどう見ているのだろうか。国会議員は、自民・公明の与党が3分の2を占めているのだから、国会でのチェックは期待できそうもないが、国会の勢力図が国民の意向を反映したものでないことは、いうまでもない。
 たとえば、憲法9条の改定には国民の多数は反対なのだ。世論調査で「憲法を改正すべきかどうか」と訊くと、賛成意見のほうが多いのだが、9条に限定して訊くと、どんな世論調査でも反対派のほうが多いのである。
 自民党は改憲を党是に掲げながら、9条の改憲を一度も提起しなかったのは、そのことをよく知っているからであり、「悲願」としている安倍首相まで改憲を提起せずに「解釈改憲」で9条を無力化する手法を選んだのも、そのせいだ。
 一般に世論調査は、実施主体の意向に沿った回答が多くなる傾向があるのだが、9条の改憲をかねてから主張している読売新聞の世論調査でさえ、反対意見のほうが多いのである。読売新聞は世論と社論の違いを気にして2002年以来、9条に対する世論調査の設問を3択方式に換えて目立たないようにしているが、それでも反対意見のほうが多く、この3月23日の紙面で報じた世論調査では、従来の調査結果より反対派が増えていたのだから、国民の危惧の念は強まっているとさえいえよう。
 もう一つの歴史観のほうは、ネットや週刊誌の論調を見ていると、中国や韓国批判の声が渦巻いているようにも見えるが、「戦前の日本は悪くなかった」と思っている国民が多数派であるとはとても思えない。近隣諸国への謝罪と反省の言葉を述べた村山談話や河野談話を支持する人のほうが圧倒的に多いに違いなかろう。
 そうだとすると、安倍首相の『暴走』は、国民の多数意見とは違う方向に向かって突き進んでいるということなのだろうか。そうなら、メディアの出番である。世論と政策の乖離は、安全保障問題だけではなく、原発政策などもそうだが、メディアが世論をバックに政府批判を展開するのは「メディアの本来の使命」ともいうべきものなのだ。
 ところが、そのメディアのチェック機能が極めて弱いのだ。その理由の一つは、メディアが二極分化して、読売新聞と産経新聞が安倍政権の「与党新聞化」していることが大きい。とくに読売新聞は、世論に背を向けることを何とも思っていないようで、社説の見出しに「ポピュリズムを排せ」とまで言うのだから驚く。
 メディアのチェックが働かないもう一つの理由は、安保政策でも原発政策でも安倍政権批判の中心となるべき朝日新聞の批判が極めて弱々しいことだ。ズバリ言わせてもらえば、いまだに「迷走」を繰り返しているといっても過言ではないほどなのである。

従軍慰安婦の検証報道の失敗から判断力が狂った?

 昨年8月の従軍慰安婦報道の検証記事の出し方の失敗に始まり、池上彰氏の連載記事を没にした判断ミスなどもあって、嵐のような「朝日バッシング」が渦巻き、それによって朝日新聞社の幹部の判断力が狂ってしまったようなのだ。
 従軍慰安婦検証記事への謝罪のついでに、誤報でもない原発「吉田調書」記事を取り消して謝罪するという「大失態」を演じたのをはじめ、そういう「判定」をしたあとに第三者委員会に丸投げをして見解を求めるという奇妙な決定までしたのである。
 原発「吉田調書」の記事を取り消したことがいかに大間違いか、本欄でもたびたび指摘したことなので、ここでは繰り返さないが、鎌田慧・花田達朗・森まゆみ三氏の編集による『いいがかり~原発「吉田調書」記事取り消し事件と朝日新聞の迷走』(七つ森書館)という本が出ているので、興味のある人は読んでみてほしい。いかに多くの人が「おかしい」と思っているかがよく分かる。
 この大失態が尾を引いているのか、朝日新聞の安倍首相の「暴走批判」の舌鋒に鋭さが欠けているのだ。たとえば、3月15日に憲法9条を守る活動をしている市民団体「九条の会」が、全国280団体から450人の代表が参加して「全国討論集会」を東京で開いた。東京新聞は1面から社会面まで、毎日新聞も第二社会面トップに大きく報じていたのに、朝日新聞には1行も載っていないのだ。
 全国集会には「九条の会」の呼びかけ人の一人、大江健三郎氏も出席して、ノーベル平和賞を受賞したフィンランドの元大統領が「日本には九条の会がある。私はそれに希望をかけている」と発言したというエピソードを披露したり、同じく呼びかけ人の澤地久枝氏が「このままでは皆さんの子や孫が戦死する事態が迫っている」と訴えたりしたというのに――。
 「九条の会」は全国に計7500団体あり、集団的自衛権行使容認の閣議決定の撤回を求める署名は9万人を超えたという。この時期に、この集会を報じないなんて、朝日新聞の「判断力」はどうなってしまったのか。

奇妙な訂正記事や謝罪・弁明記事も

 もう一つ、例をあげよう。3月15日の朝日新聞朝刊4面に奇妙な訂正記事が載った。前日の紙面に載った「70年談話有識者懇」の記事で、座長代理の北岡伸一・国際大学長が先の大戦について示した認識が「侵略戦争であった」とある部分は、「歴史的学には侵略だ」の誤りでした、というのである。
 この訂正記事を読んで、私は頭がおかしくなった。北岡氏は「歴史学的には侵略だが、侵略戦争ではない」とでも言いたいのだろうか。もしそうなら、その理由を説明してくれないと訂正の意味が分からない。
 北岡氏は、安倍首相の側近中の側近で、だからこそ侵略と認めたという発言がニュースにもなったわけだが、記事には「私はもちろん侵略だと思っている。学者としては自分の説にいろんな人が従ってほしいと思うのは当然であり、首相にもそう言ってほしい」と記者団に語ったとあったが、それも違うのか。
 こんなわけのわからない訂正記事を載せるなんて、朝日新聞もどうかしている。(これは本件とかかわりのないことだが、安倍首相と歴史観を同じくする長谷川三千子・埼玉大名誉教授が3月17日の産経新聞の「正論」欄で「歴史を見る目歪める『北岡発言』」と題して、北岡氏を激しく批判しており、側近同士の内ゲバか?と話題を呼んでいる)
 このほか、皇太子の談話にあった憲法についての発言部分を朝日新聞は「なぜ省いたのか」と池上彰氏に批判されて、奇妙な釈明・謝罪文を載せたり、チュニジアで観光客が襲われた事件の被害者の手記に「面会を求める記者の大声が聞こえた」あったのに対して、謝罪文を載せたりと、いささか意識過剰、萎縮しすぎと感じるのは、私だけだろうか。
 さらに付け加えれば、自民党の三原議員が「八紘一宇」という言葉を礼賛したことに対する批判も、「イスラム国」を敵に回した安倍外交の大失敗に対しても、沖縄の民意を無視する政府の姿勢に対しても、朝日新聞の批判はなにか弱腰で、遠慮がちに思えてならない。
 朝日新聞は、立て直しの一環としてパブリック・エディター3人を任命した。外部の識者の意見を訊くのもいいが、いま最も大事なことは内部の判断力をしっかりと高め、ジャーナリズムとしての批判精神を存分に発揮することではあるまいか。
 朝日新聞のOBの一人として、一日も早い立ち直りを期待したい。

 

  

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第76回 朝日新聞の『迷走』は、いまだにとどまらず」 に1件のコメント

  1. オジロワシ より:

    柴田哲治氏の投稿で気になる点が2つ。その1つはCOP21に関する部分で、多くのマスメディア同様、氏は地球温暖化=CO2犯人説の立場に立っているが、その論拠が示されていない。地球は寒冷化に向かっていると唱える学者やCO2犯人説を否定する学者も多数いる中で、世論をミスリードする可能性がある。
    2つ目は、軽減税率問題だ。自公による綱引きが連日報道されたことが世論操作の意味合いを含むものであるとの指摘には賛成だが、そもそも「軽減税率」という言葉を大きく報道したのは、「いま」よりもむしろ野田政権時代の朝日・読売を先頭とする新聞協会(業界)だった。「社会保障と税」「財政再建」を前面に押し立て、消費増税に道を開く世論操作をしつつ、新聞にだけは軽減税率をと叫んでいたのは、氏の出身母体である朝日新聞であるという事実から、故意に目をそらそうとしてはいまいか。増税分が社会保障や財政再建と無縁の使われ方をしようとしていることの責任の一端は、こうしたマスメディアにもある。

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柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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