柴田鉄治のメディア時評


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

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 戦後70周年、ということは、第二次世界大戦が終わってから70年が経ったということだ。第一次世界大戦のときから戦争の様相が変わり、軍隊同士が殺し合うのではなく、何の罪もない一般市民を無差別に殺し合うという形になり、第二次世界大戦ではそれがますます拡大して、何千万人という人間が虐殺された。
 そのため第二次大戦が終わったとき、世界中の人々が抱いた思いは、「戦争はそれ自体、悪だ」というものだった。戦争を始めるときには、もっともらしい理由がつけられていても、いったん始まってしまったら、無差別の大量虐殺の応酬となる。やる方はどちらも「正義の戦争だ」と主張しても、「正義の戦争」なんて存在しない。
 どんな戦争でも「戦争は悪だ」と決めつけて、戦争それ自体をなくすことを考えなければダメだ、というのが第二次世界大戦の最大の教訓だった。
 日本国憲法9条もその教訓の具体的な表れの一つであり、国際連合や国連憲章の制定も根底にその思いがあったのだ。また、当時、しきりに言われた言葉に「世界連邦をつくろう!」というのがあった。戦争は国同士がそれぞれ国益を主張して争うものだから、国家をなくして地球全体を一つの国家にすれば、戦争はなくなるという発想である。

「世界連邦」の理想をメディアまで語らなくなったとは!

 ノーベル賞受賞者のアインシュタイン博士なども熱心な提唱者だった。アインシュタイン博士は「ナチス・ドイツに先を越されたら大変だ」との思いから米国政府に原子爆弾の開発を進言し、それがヒロシマ、ナガサキの悲劇を招いたことを深く反省し、世界から戦争をなくすことを熱心に説いたのだ。
 日本のノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士も世界連邦の熱烈な推進者だった。湯川博士を中心に日本の科学者で世界連邦の実現に向かって運動を起こした人たちも少なくなかった。当時のメディアにはそうした動きもしばしば報じられたものである。
 ところが、いまはどうだろう。世界連邦の話題がメディアに報じられることは、まったくと言ってもいいほどなくなった。なぜなくなったのか、と話題にのせても「そんな現実離れした話なんて…」と一笑に付されるのがおちである。
 いや、世界連邦どころか、いまや日本国憲法9条まで危機に直面している。安倍政権の特定秘密保護法に始まって、武器輸出三原則の撤廃、集団的自衛権の行使容認と続く「改憲せずに、日本を戦争のできる国にする」という政策が、着々と進められているのだ。
 安倍首相は「米国の戦争に巻き込まれることは絶対にありえない」と説明しているが、絶対にないのなら、集団的自衛権の行使を容認する必要などなかったのである。米国の戦争に日本が手助けをするということで、米国も安倍政権の安保政策を大歓迎しているのであって、自衛隊が「絶対に」参戦しないのなら、米国が大喜びするはずはないのだ。
 安倍首相は口癖のように、自衛隊があらゆる事態に「切れ目なく対応できるように」するのが目的だと言い続けているが、皮肉な言い方をすれば、戦後70年、日本は一度も戦争をしなかったのに対し、米国はほとんど「切れ目なく戦争を続けてきた」といっていい。
 朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争……と。このうち、ベトナム戦争やイラク戦争はまったく「理のない戦争」であったことを米国のメディアまで認めているもので、ベトナム戦争には日本の代わりに韓国軍が、イラク戦争では日本の自衛隊が名目はともかく米国の要請で派遣されたことは、よく知られている通りである。
 集団的自衛権の行使容認で、日米同盟は強化されるというが、米国の戦争への参戦を要請されて日本が断ったら、同盟関係は危機に陥るから、断るわけにもいかなくなる。これまでのように「憲法9条があるから派遣できない」といえる状況は、日米同盟にとってもより安定感があったのではあるまいか。
 5月15日に閣議決定された自衛隊の活動範囲を広げる一連の安保法制関連11法案に対して、読売・産経新聞は全面的に賛成、日経新聞は条件付き賛成、朝日・毎日・東京新聞は反対と、例によって二極分化しているが、国民はどう見ているのだろうか。

一連の安保法制に、国民は総じて「ノー」だ!

 朝日新聞が5月19日の紙面で報じた世論調査によると、「集団的自衛権を使えるようにする法案に賛成か、反対か」という質問には、賛成33%、反対43%、「安倍首相は日本がアメリカの戦争に巻き込まれることは『絶対にありえない』と説明しているが、この説明に納得できるか、納得できないか」は、納得できる19%、納得できない68%、今国会で成立させる必要があると思うか、必要はないと思うか」は、必要がある23%、必要はない60%、などといった結果が出ている。
 もちろん世論調査は実施主体が違っても、あるいは、質問の言葉が違っても、結果が変わってくることはよくあることなので、一概には言えないが、総じて国民の意見は「ノー」のほうが多いようである。
 しかし、安倍政権は、原発再稼働反対の世論を無視して再稼働を進めていることでも分かるように、国会での圧倒的多数の与党を頼みに、世論などは気にしていないのかもしれない。とはいえ、選挙で選ばれる国会議員一人ひとりは世論の動向を気にしていないはずはない。今後の国会審議で国民世論がどう動いていくか、注目して見守りたい。
 ところで、この安保法制を手土産に安倍首相は4月末、米国議会で演説し、拍手喝さいを受けた。祖父の岸信介氏と同じ舞台に立って、安倍首相もひときわ高揚していたように見えたし、日本のメディアの評価も総じて甘かった。
 こんなところで異を唱えてもおとなげないが、私は演説を聞いながら「日本はますます米国の属国のようになってきたな」という印象を持った。沖縄の民意を無視して米国のほうを向いている辺野古基地の新設問題もそうだし、集団的自衛権の行使容認も、米国への忠誠心のさらなる表明だと考えればわかりやすい。

「イラク戦争は日本のせい」という、うがった見方も!

 戦後の日本はすべてアメリカ一辺倒で、日本独自の外交政策はまったくといっていいほど、「ない」といわれて久しい。米国の意向に沿って、対人地雷禁止条約にも、クラスター爆弾禁止条約にも最初は署名しなかったほどなのである。さらにいえば、国際司法裁判所から「核兵器の使用は国際法違反かどうか」と問われて、日本の外務省は「国際法違反とまでは言えない」という見解を出したことまであったのだ。
 話は飛ぶが、米国が国連安保理の反対を無視してイラクに攻め込んだイラク戦争は、「日本のせいだ」といううがった見方があることを思い出した。第二次世界大戦で米国はヒロシマ、ナガサキ、東京大空襲など、日本国民の大量虐殺を繰り返したのに、日本の国民は米国を恨まず、戦後は最も忠実な米国の同盟国になった。その「成功体験」から米国はイラクを占領して中東に「第二の日本」を創り出そうとしたのだ、と。
 それはともかく、イラク戦争の結果は大失敗で「第二の日本」どころか「鬼っ子」ともいうべき「イスラム国」を産み出してしまった。その「イスラム国」に対する日本の対応も米国追随で、後藤健二さんら2人の日本人が「イスラム国」に囚われ、身代金などを要求された事件にも、「テロ集団は相手にするな」という米国の意向に従って一切交渉さえしなかった。フランスなどは独自に交渉して、人質の命を救っているのに…である。
 5月21日に発表された、この人質事件に対する政府の検証委員会の見解は「政府の対応に誤りはなかった」というあっけらかんとしたものだった。安倍首相の中東歴訪とそこでの演説やイスラエルとの急接近が「イスラム国」を敵に回した安倍外交の大失敗だった(この連載の第74回参照)というのに、これでは今後に何の教訓も残らない。
 この検証結果に対しても、日本のメディアは厳しい「政府批判の砲列」が敷けないのだから、情けないなというほかない。

NPT会議が決裂、核保有国の横暴?

 ニューヨークの国連本部で開かれていた核不拡散条約(NPT)再検討会議が最終文書の採択ができずに決裂した。5年ごとに開かれている再検討会議が最終文書の採択に失敗したのは2005年に次いで10年ぶり。核保有国の横暴さが招いた結果で、なんとも腹立たしいことである。
 核不拡散条約はもともと理不尽な不平等条約で、米、英、仏、露、中の5か国は核兵器を持っていい、他の国は持ってはいけないという変な条約なのだ。とはいえ、核兵器がどんどん拡散していったら核戦争の危険が増えるので、次善の策としてやむを得ないとまとまったものだ。
 しかし、条約に加盟せずに核保有国になったイスラエル、インド、パキスタンなどは、いまやなんの制裁も課されず、厳しい制裁が課されているのは、条約を脱退して核保有国になった北朝鮮だけだといっても過言ではない奇妙な状況になっているのだ。
 今回の会議が決裂した理由は、5年前の再検討会議で、イスラエルを含む全中東諸国が参加する国際会議を開くことで合意したが、いまだに開かれていないため、今回の最終文書案に「全中東諸国を招く国際会議を国連事務総長が2016年3月1日までに開く」とあったのに、米国などが反対してまとまらなかったのだ。
 これで、また5年間は核軍縮や核不拡散への取り組みが停滞することは必至だろう。

各国指導者の被爆地訪問の勧め、に中国が反対するとは!

 このNPT再検討会議で、日本が提案した「世界の指導者や若者にヒロシマ、ナガサキの被爆地訪問を呼びかける」という部分が、米国の反対ならともかく、中国の反対で削られたのには驚いた。
 中国も核保有国として、いつのまにか「大国意識」を丸出しにし始めたようだ。もっとも、外交は互いに反応し合うもので、日本が中国を「仮想敵国」にして軍備の拡張を図っていることに対抗心を燃やしているのかもしれない。
 それにもう一つ、今回の被爆地訪問の提案は日本の「ヒット」だと思うが、かつてオバマ米大統領の最初の訪日の際、ヒロシマ訪問の希望を「時期尚早だ」と反対したのは日本の外務省だったということも忘れてはならないだろう。

 

  

※コメントは承認制です。
第78回 第二次世界大戦の教訓「戦争は悪だ」はどこへ行った?」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    「戦争は悪」という、当たり前であったはずの言葉さえ、どこか揺らいで見える最近。25日には菅官房長官が記者会見で、「他国によるミサイル発射を防ぐための敵基地攻撃もあり得る」と発言したと伝えられました。「世界連邦」はたしかにすぐには現実味のない「理想論」かもしれないけれど、目の前の状況を分析するだけではなく、ときに理想を描き、語ることもまた、メディアの役割なのではないでしょうか?

  2. 森口竜太郎 より:

    NPTが、元々理不尽な条約という当たり前の事実についてほとんど語られないという事が、大分部のメディアが対価を支払う価値のない存在にすぎないという事を示したいる。そのメディアの異常さに気づかない人々も情報の受け手たりえていないと思う。世界最大の軍事大国のアメリカ合衆国が、自らが保有している核兵器よりもはるかに貧弱な北朝鮮やイランの核開発を批判するという事の奇妙さをマスコミは全く指摘しない。

  3. Shunichi Ueno より:

    想像できるものは実現できます。「世界連邦」も21世紀のテーマと考えています。
    そもそも国家の軍隊は中世的な主権国家体制の名残であって、国際社会のコンセンサスができれば本来必要のないものです。その代わりとして強力な捜査権と逮捕権を持つボーダレスな治安サービスシステムがあればよい。それでも必要という国は、おそらく武力によってしか自らの体制維持を図れない独裁国家か、もしくは軍事力を背景として国際社会に優越的地位と影響力を維持しようとする一部の大国くらいでしょう。核兵器というジェノサイドシステムを手放そうとしないのもこれらの国々です。
    ICC、国際連帯税、国連議会会議など国家主権主義を克服しようとする動きは世界にあります。超党派の世界連邦国会委員会も政争を避けてかダンマリのままですが、せめて自由なメディアは真剣に理想を語って欲しいです。

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柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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