柴田鉄治のメディア時評


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

shibata

 日本を「戦争のできる国」に変えようとしている安倍政権の安保法案は、先月から国会審議が始まったが、この僅か1カ月間で、憲法違反の疑いが極めて濃いことが浮かび上がり、国民もはっきり反対の方向に動き出して、日本社会の受け止め方は様変わりした。
 空気を一変させた最初のきっかけは、6月4日の衆院憲法審査会で各党推薦により参考人として国会に呼ばれた憲法学者3人が、そろって「安保法案は憲法違反だ」と断言したことだった。
 自民・公明両党推薦の長谷部恭男・早稲田大学教授は「集団的自衛権の行使は、個別的自衛権のみ許されるという憲法9条に違反する」、民主党推薦の小林節・慶応大学名誉教授は「憲法は海外で軍事活動をする法的資格を与えていない」、維新の党推薦の笹田栄司・早稲田大学教授は「これまでの定義を踏み越えてしまっており違憲だ」とそれぞれ明白に違憲論を展開した。
 なかでも与党推薦の学者から憲法違反だと断定されたことに、政府・与党は衝撃を受け、「人選のミスだ」「責任者は誰だ」と大騒ぎとなった。菅官房長官は記者会見で「違憲ではないという憲法学者もいっぱいいる」と語ったが、国会で「いっぱいいるなら名を挙げよ」と迫られて3人の名前しか挙がらず、「問題は数ではない」と弁明する一幕も。
 小林節教授によると、日本に憲法学者は何百人といるが、違憲ではないという学者は2、3人で、「違憲とみるのが学説上の常識だ」と語っている。
 大慌ての政府・与党は「違憲かどうか判断するのは学者ではない。最高裁だ」とか、「国民の平和と安全を守るのは政治家の役割で、学者ではない」といった反撃に転じ、6月9日、「憲法違反ではない」という政府の見解を発表した。
 それによると、その理論的な根拠として、1959年の最高裁の砂川判決と1972年の自衛権をめぐる政府見解を挙げている。ところが、最高裁の砂川判決では、個別的自衛権を認めただけで集団的自衛権についてはひと言も触れていないし、72年の政府見解にいたっては、「集団的自衛権の行使は憲法違反だ」と明確に指摘しているものなのである。
 それに、最高裁の砂川判決は、当時の田中耕太郎・最高裁長官が事前に駐日米大使と会って「全員一致で逆転判決を出しますから」と約束したという事実が、米国の公文書から明らかになっており、本来なら無効だと言ってもいいような経緯のある代物なのだ。
 当然、それらの点は国会でも追及され、安倍首相も中谷防衛相も「集団的自衛権でも限定的なら違憲ではないのだ」と同じ釈明を何回も繰り返しているが、いかにも苦しそうだ。
 それも当然だろう。戦後の日本政府は、そのほとんどは自民党政権だったが、終始一貫、「集団的自衛権の行使は憲法違反だ」という見解をとってきて、それに異を唱える憲法学者はいなかったのだから。
 それを昨年7月、安倍内閣は突如、憲法解釈を変え、「集団的自衛権の行使を認める」と閣議決定をして、それを具体的な形にまとめたのが今回の安保法案なのだ。これまで終始「憲法違反だ」と理論的な論拠を示してきた「法律の番人」内閣法制局まで突如見解を変えたのである。
 今度の国会審議のなかで横畠祐介・内閣法制局長官が「安保法案はフグのようなもの」との比喩を用いて「毒キノコは煮ても焼いても一部をかじってもあたるが、フグは肝を外せば食べられる」と答弁した。
 この比喩を逆手にとれば、今回の安保法案では、自衛隊が海外で武力行使できる条件が極めてあいまいで、いわば「肝を除去したかどうかもあいまいなまま、フグを国民に食べさせようとしているものだ」ともいえよう。
 ところで、社会の空気を一変させたこの憲法学者の国会での証言に対するメディアの感度は極めて鈍かった。6月4日の午前中の発言だったのに、夕刊で報じたのは東京新聞だけで、他の新聞はみんな朝刊回しにした。
 しかも新聞は例によって二極分化し、読売、産経、日経は政治面などに小さく報じただけ。毎日新聞や東京新聞は一面トップだったが、朝日新聞は朝刊でも感度が鈍く、一面トップにはしなかった。朝日新聞は、いまだに委縮しているのだろうか。
 ただし、朝日新聞は5、6日と2日連続で社説に取り上げ、昨年の閣議決定以来、集団的自衛権の行使容認に対して批判しながらも煮え切らないところもあった姿勢を排して、はっきり「安保法案は違憲だ」と社論を明確にした。「憲法違反ではない」と主張する読売新聞の社説と、またまた朝・読対決が鮮明に浮かび上がったのである。

違憲の安保法案に「国民も反対だ」と明確に

 この安保法案を国民はどう見ているのか。各社の世論調査では総じて反対の意見が多かった(たとえば朝日新聞の5月の世論調査では賛成33%、反対43%)が、安保法案を支持する読売新聞社の5月初めの世論調査では、賛成意見のほうが多かったのだ。世論調査は実施主体によっても、あるいは、質問の言葉をちょっと変えただけでも結果は違ってくるので、気を付けて見ないといけない。
 ところが、その読売新聞の6月の世論調査結果が8日の紙面に発表されたところによると、賛否が逆転したのだ。読売の質問は「現在、国会で審議されている集団的自衛権の限定的な行使を含む安全保障関連法案についてお聞きします。安全保障関連法案は、日本の平和と安全を確保し、国際社会への貢献を強化するために、自衛隊の活動を拡大するものです。こうした法律の整備に、賛成ですか、反対ですか」というものだ。
 この質問自体、かなり誘導的でルール違反の疑いが濃いものなのに、なんと結果は賛成40%、反対48%と反対のほうが多くなったのである。5月初旬の調査では、賛成46%、反対41%と、賛成のほうが多かったのだから、まさにこの1カ月で逆転したのだ。
 安保法案を全面的に支持している読売新聞の、しかも多少誘導的な質問に対しても反対意見が多かったのだから、国民の多数意見は「反対なのだ」と明確になったといっていいだろう。
 安倍首相は4月末の米議会での演説で、夏までに国会を通すと米国に約束したのだが、それどころではなくなったと9月下旬まで会期を大幅に延長する方針を打ち出した。かつてない大幅な延長である。

自民党の重鎮たちからも反対の声、続々

 社会の空気が完全に逆転したせいか、安倍政権がやろうとしていることに対して反対する声は、あちこちからあがりはじめた。たとえば、8月に予定されている戦後70年の「安倍首相談話」について、戦後50年の談話を出した村山富市・元首相や従軍慰安婦についての談話を出した河野洋平・元官房長官が記者会見して、「全体として引き継ぐ」と言いながら本音のところでは継承したくない安倍首相に強い牽制球を投げた。
 また、元自民党副総裁の山崎拓氏、元自民党政調会長の亀井静香氏、元新党さきがけ代表の武村正義氏、元民主党幹事長の藤井裕久氏の4氏もそろって記者会見し、「戦争を知っているわれわれは、黙ってみておれない」と安保法案にはっきりと反対を表明した。
 さらに、「法の番人」といわれる内閣法制局の元長官2人が、国会に呼ばれて「今度の安保法案は憲法の許容限度を超えている」と証言したり、憲法学者を含め各界の学者ら何百人もが反対を表明したり、高知県で開かれた公聴会でも反対意見が多かったり、と反対の声がどんどん広がりを見せている。国会周辺のデモにも、若者たちの姿がぐんと増えた。
 こうした反対意見の広がりに対して、安倍首相は「60年の安保改定も、92年のPKO法案のときも反対は多かったが、その後、国民の意見は変わっている」という例を挙げて、60年安保の祖父を見習って強行採決をやってでも成立させようとしているようにみえるが、果たしてどうか。
 野党共闘がうまくいくかどうかが、その一つのカギとなるだろうが、維新の党が微妙な動きを見せているだけに、政府・与党に抱き込まれてしまうのではないかと、ちょっと心配だ。

「マスコミを懲らしめよ」「沖縄の2紙をつぶせ」と自民党の若手議員の会で

 ここまで書いてきたところで、とんでもない「事件」が起こった。自民党の若手議員の勉強会で「批判的なマスコミを懲らしめよ」とか「沖縄の2紙はつぶせ」とかいった発言が飛び交ったというのである。
 いま自民党には若手議員の会が二つあって、一つは安倍首相とは違うリベラル派中心の「過去を学び『分厚い保守政治』を目指す若手議員の会」で、もう一つは安倍首相に近い若手の議員が立ち上げた「文化芸術懇談会」である。
 どちらも勉強会を企画していたが、批判派のほうには「安保法案の審議に影響する」と勉強会を中止させ、安倍応援団のほうには開催を認めて、その勉強会が25日に開かれたのである。
 その席上で、若手議員から「マスコミを懲らしめるには、広告収入がなくなるのが一番。経団連などに働きかけてほしい」「悪影響を与えている番組を発表し、そのスポンサーを列挙すればいい」といった発言があり、講師として招かれた作家の百田尚樹氏が議員らの質問に答えて、次のような要旨の発言をしたというのだ。
 「沖縄の2つの新聞社は絶対につぶさなければいかん。沖縄のどこかの島が中国にとられてしまえば、沖縄県人も目を覚ますはずだ」「普天間基地は田んぼの中にあった。基地の周りが商売になると、みんなが住みだして今や街の真ん中に基地があるのだ」「沖縄の米兵が犯したレイプ犯罪よりも、沖縄人自身が起こしたレイプ犯罪のほうが、はるかに率が高いのだ」
 百田氏は、安倍首相とも考え方が近く、共著の書物もあり、安倍首相の推薦でNHKの経営委員にも送り込まれた人物である。そんな人物の発言だから、翌日の国会でも野党から厳しく追及され、大騒ぎとなった。
 怒ったのは沖縄の人たちだ。普天間基地の辺野古への移転に県民の意思はそろって「ノー」なのに、政府はその民意を無視して辺野古基地の新設を「粛々と」進めているときに、この発言だ。しかも、事実に反することまで挙げて、沖縄県民を愚弄しているのだ。
 沖縄の2紙、琉球新報と沖縄タイムスは、共同で抗議声明を出し、沖縄選出の国会議員からも抗議声明が出た。さすがに、自民党も大慌てで、文化芸術懇話会の責任者、木原稔・党青年局長を更迭し、問題発言をした議員らを厳重注意処分とした。
 しかし、そんなことで沖縄の怒りがおさまるはずはない。太平洋戦争で県民の4人に1人が亡くなり、戦後も米国の占領が続き、本土復帰後も米軍基地が一向に減らないうえに、さらに新しい基地をつくろうというのである。今回の若手議員らの勉強会は、沖縄の怒りの火に油を注ぐものとなったのだ。

メディアの追及は? 朝日新聞の委縮ぶりに驚く

 ところで、この大事件に対するメディアの報道はどうだったか。「マスコミを懲らしめよ」というメディア自身に対する問題発言だったのにメディアの感度は鈍く、いつもながらの二極分化で、読売、産経新聞は問題発言があったことさえ報じなかった。報じたのは、国会で取り上げられ、大騒ぎになってからである。
 ただ、読売新聞は1日遅れとはいえ、「看過できない『報道規制』発言」という社説を掲げ、「自民党の驕りの表れだ」と断じたのはよかった。しかし、そこまで分かっているなら、なぜ勉強会での発言内容をすぐに報じなかったのか。まさか、安倍政権のマイナスになるようなことは報じるな、というような社是があるはずもなかろう。
 朝日新聞の報道にも、私は違和感があった。朝日新聞は感度よく、自民党内での2つの若手議員の勉強会のうち、批判派の会を中止させ、応援団のほうだけの開催を認めたことを、「安保、異論封じ」と大きく報じたところまではよかった。
 ところが、肝心の文化芸術懇話会での発言内容について、若手議員から出た「マスコミを懲らしめるには広告収入がなくなるのが一番、経団連に働きかけを」といった発言は報じているのに、百田氏の発言は、ひと言も報じていないのだ。
 首相にも近く、NHKの経営委員も務めた百田氏が、勉強会の講師に招かれていたことまでは報じているのだから、百田氏が何をしゃべったか取材をしなかったはずはない。そうならば、発言内容を記事から削ってしまったのはなぜなのか。
 朝日新聞の、そういう委縮というか、自粛というか、そんなためらいがどこから出てくるのか。まさか、前夜の安倍首相とメディアとの会食に朝日新聞の政治担当編集委員が出席していたと報じられていたが、それと関係があるのか、ないのか。
 いずれにせよ、メディアが二極分化するなかで、朝日新聞の報道がしっかりしなくては、安倍政権の思うがままに進んでいってしまうだろう。しっかりせよ朝日新聞! と声を大にして叫びたい。

 

  

※コメントは承認制です。
第79回 「安保法案は違憲だ」憲法学者の断言で空気が一変!」 に4件のコメント

  1. magazine9 より:

    6月も終わりになって、とんでもないニュースが飛び込んできました。「メディアへの圧力」が、これほどまでに堂々と語られるとは…。それだけメディアやその受け手である国民が「なめられている」ということなのかもしれません。
    なお、百田氏の沖縄に関する発言の「デタラメ」ぶりについては、「つぶすべき」と名指しされたメディアである沖縄タイムス琉球新報で検証されています。こちらも、何度でも繰り返し、広めていくべき内容だと思います。

  2. 島 憲治 より:

    朝日新聞社様                            安倍首相との会食を止めなさい。「和して同ぜず」などとは日本人の体質には無理がある。他社は他社。それよりも社一丸となって「やせ我慢」の胆力を鍛えることだ。そして、記者たちの誇りを復活させることである。      今、国民が朝日新聞に期待しているのは権力に立ちはだかり民主主義、立憲主義の崩壊を防ぐことだ。経営に苦しいのは何もメディアに限ったことではない。最後に苦しむのは国民である。生き残りを賭け、権力になびくのか。それとも国民と共に立つのか。 歴史の検証に耐えられる役割を果たして欲しい。

  3. 松平又四郎 より:

    俺の言いたいことを的確に言ってくれた。ありがとう。松平又四郎より

  4. 立山たつあき より:

    百田氏の発言も、安保法案の議論についても共通しているのは、立憲主義という概念についての我々の理解の欠如という事だ。(私見では、立憲主義というのも個人の尊厳との関係でいえば、民主主義と同じように目的ではなく、手段に過ぎない。)私も立憲主義という概念の存在を知ったのは立憲主義がないがしろにされていることが指摘され始めたここ数年のことである。立憲主義はとても重要な概念で、いいくに造ろう平安京とか、泣くよ鶯鎌倉幕府などの必修化が検討されている日本史や、教科化が検討されている道徳等よりも、国民にとってずっと価値のある事柄だ。反道徳であっても、他者の基本的人権を侵害しなければ社会生活を送れるが、道徳的であっても、他者のの基本的人権を侵害すれば民事上刑事上の責任を追及され、最悪の場合は収監されることにより社会生活を送れなくなる。この様に、基本的人権や立憲主義は、道徳や歴史よりもはるかに大切なものであるのだから、学校でしっかり教えるべきではないか。個人の尊厳や立憲主義が、しっかりと理解されていれば、安倍氏や百田氏が、社会に影響力を持つという事はあり得なかったはずだ。彼らは私たちの社会を支えるファンダメンタルな原理について全くの無知であり、立憲主義が根付いている社会であれば、本来まともに相手にされえない人た。だから、どうして学校は道徳教育に力を入れるのに、公民的素養を育成するために立憲主義主義や個人の尊厳を、子供に語ろうとしないのかと思い続けてきた。併しよくよく考えてみれば、自民党の一党独裁の日本では、立憲主義や個人の尊厳というのは、彼らを批判する素養に基礎となるのだから、そうしたものを国民化の目から見えないようにしたいというのは当然のことだ。立憲主義の思想は本来学校で教える事が出来ないものなのだ。寧ろ学校は立憲主義を、教えるポーズだけ取り我々が立憲主義思想に近づくことを阻もうとする。この様に考えるとイリイチの近代学校制度批判の重要性が理解される。学校を廃止することは難しいが、権力装置としての学校の干渉をできるだけ小さくしていくことを真剣に検討すべきだ。

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柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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