柴田鉄治のメディア時評


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

shibata

 いまから20年前、戦後50年を迎えたとき、日本が半世紀の間、平和だった理由をめぐって朝日新聞と読売新聞との間で論争があった。朝日新聞が「憲法9条のおかげだ」と主張したのに対して、読売新聞は「憲法ではない。日米安保のおかげだ」というのである。
 ちょうど読売新聞が1994年11月3日に「読売の憲法改正試案」を発表し、朝日新聞が95年5月3日に「護憲大社説」を発表して、「朝・読の憲法対決」といわれた直後だっただけに、この論争は当時、話題を呼んだ。
 それから20年、その間に米同時多発テロがあり、アフガン戦争、イラク戦争があり、イラク戦争では米国の要請を断りきれず、「戦後復興の支援に」ということで自衛隊を派遣。駐屯地に何度か砲弾が撃ち込まれたが、幸運にも死傷者は出さずに済んだ。国連安保理の決議もない「理のない戦争」でさえ、米国の要請を断りきれなかったことで、「もし憲法9条の歯止めがなかったら、ベトナム戦争や湾岸戦争への派兵も日本政府は断りきれなかったに違いない」と分かって、冒頭の「朝・読論争」の勝者は自ずと明らかになった。
 それに、イラク戦争は、あとで分かったことだが、大義名分とされていた大量破壊兵器も存在せず、また、戦争の結果も「民主国家を建設する」どころか、いまだに混乱が収まらず、鬼っこの「イスラム国」まで生み出してしまったのだ。「憲法9条のおかげで、かろうじて戦争に巻き込まれずに済んでよかった」というのが大方の日本人の気持ちだった。
 ところが、安倍政権になって憲法9条の解釈を変え、歴代政権が「集団的自衛権の行使は憲法違反だ」としてきたことを突然、閣議決定で集団的自衛権の行使を容認すると決め、それに伴う安保関連11法案を国会に提出したのである。それには驚いたが、私がもっと驚いたのは、読売新聞の姿勢だった。20年前の朝・読論争にも多少かかわりを持った私の目から見ると、読売新聞は安倍政権に対して「そんな姑息なことはやるな。正々堂々と憲法を改正して集団的自衛権を行使できるようにせよ」と主張するだろうと思っていたからだ。それが、安倍政権の姑息なやり方に同調するとは、安倍政権にもがっかりしたが、読売新聞の姿勢にはもっとがっかりさせられた。

「国民の理解は進んでいない」と
認めながらの強行採決とは!

 7月15日、安保法案は衆院特別委員会で強行採決、翌16日の衆院本会議で可決された。9月27日まで国会会期を延長して、参院での審議が紛糾しても「60日ルール」を適応して、何がなんでも成立させようというのが政府・与党の姿勢である。しかも安倍首相は強行採決のあと、国民の理解は進んでいないことを自ら認める発言もしているのだ。やはり、米議会で「夏までに成立させる」と約束してしまったための強行なのか、あるいは、国民世論など最初から眼中にないのか、いずれにせよ、国民も憲法も無視した暴挙であることは間違いない。
 いや、国民の理解は進んでいないのではなく、「安保法案はだめだ」という国民の理解はどんどん進んでいたのだ。国会審議が始まり、とくに与党の推薦者を含む3人の憲法学者がそろって「憲法違反だ」との見解を発表したあたりから、各社の世論調査でも反対意見が増加の一途をたどっているのである。読売新聞社の多少誘導的な質問に対するものでさえ、6月調査で賛否が逆転し、7月調査でさらに賛成が減り、反対が増えているのである。
 全国のほとんどの憲法学者をはじめ、物理学や天文学、さらには医学や生命科学の学者まで1万人近い「学者の会」が反対声明を出したり、女性弁護士160人が街頭に立ったり、と反対の輪が広がる一方、国会を取り巻くデモの人波もどんどん増えて、特別委での強行採決と衆院可決の夜は何万人という人たちが手製のビラを掲げて行進した。しかも、近年めっきり姿を消したといわれていた若者たち、学生たちの姿が目立ったのだ。
 岸内閣を倒した「60年安保騒動」を思い起こさせるものがある。もちろん60年安保のような激しさはないが、組織による動員ではなく、一般市民が自らの意志で参加している強さを感じさせるものがある。地方議会での反対決議や、地方都市への集会やデモの広がりも、最近にない盛り上がりを見せている。

内閣支持率も急落、
新国立競技場計画の白紙撤回でも戻らず

 国民の反対は、安保法案に対してだけにとどまらず、各社の世論調査でも内閣支持率が急落した。それには政府・与党も大慌てで、もう一つ、国民の圧倒的多数が反対してきた新国立競技場の建設計画を白紙に戻した。安倍首相が「見直しはしない」と言明していたのを、あっさり撤回したのには驚いたが、しかし、政府・与党の思惑通りにはいかなかった。各社の緊急世論調査によると、新国立競技場の見直しは高く評価しながらも、内閣支持率は戻るどころか、落下の一途なのである。毎日新聞の調査では支持35%、不支持51%、朝日新聞調査では支持37%、不支持47%に。国民もよく見ているというべきか。
 それはそうだろう。国立競技場はよくある(あってはならないのだが)税金の無駄遣いという問題なのに対して、安保法案のほうは国民の命と日本の未来がかかっている問題だからだ。同じ撤回するなら安保法案のほうを白紙に戻してほしかった。そうすれば支持率も反転しただろうに。
 ところで、安保法案はこれからどうなるのだろうか。「政界は一寸先が闇」といわれているが、これから9月末までの2カ月余に、「何かが起こる」ような気がしてならない。
 参院での審議が始まって、野党ががんばり、廃案に追い込めれば、それが最もいい変化であろう。来年に参院選挙が控えているだけに、衆院と同じことを繰り返しているだけなら参院無用論に発展しかねないと、参院が本来あるべき「良識の府」ぶりを発揮してくれたら、素晴らしい。とくに60日ルールを適用してしまっては、参院無用論が再燃しかねないと、与党内、とくに公明党内から反対論が出てくる可能性も否定できない。
 もう一つ、9月の自民党総裁選は安倍氏の独走だといわれているが、もし、誰か対立候補が出てくれば、予想外の逆転劇が見られるかもしれない。かつて、党内の圧倒的な予想を覆し、小泉純一郎氏が世論の後押しで総裁選に勝利した例もあったからだ。
 ただ、いずれの場合でも、国民やメディアが安保法制に反対の意志を貫き通していることが大事だろう。政府・与党が「法案を通してしまえば、国民はあきらめるさ」と高をくくっている通りになってしまっては、起こるべき変化も起こらなくなってしまう。その点、市民の反対の意思表示も衰えていないし、メディアも読売、産経新聞を除けば、大半の地方紙を含め市民の動きを丹念に報じている。
 ちょっと心配なのは、そのメディアの中核になるべき朝日新聞の姿勢だ。昨年の慰安婦報道の余波がいまだに収まらないのか、委縮したかのような報道が時々みられることだ。たとえば、読者からの投書欄や識者の声で賛否の両方を無理やり並べて公平さを示そうとしたり、立ち上がった東大生や女性弁護士の動きを報じなかったり、もその一つ。
 メディアのOBたち50人が名を連ねて、首相経験者12人に安保法案をどう思うかを問う質問書を送った記者会見も、毎日新聞や東京新聞は写真入りで報じていたのに、朝日新聞には一行も載っていなかった。100歳の朝日新聞の大OB、むのたけじ氏がわざわざ記者会見に出てきたというのに、である。

イランの核開発をめぐる合意は、
久しぶりの明るいニュースだ

 そのほか、今月のニュースでは、イランの核開発をめぐる6カ国との協議が合意に達したというのは、久しぶりの明るいニュースだった。というのは、5年おきに開かれている核不拡散条約の協議が今年4月に開かれたのに、核心の中東の核問題をめぐるテーマで、イスラエルの意向を忖度した米国などの反対で合意文書の作成ができなかったあとだけに、一歩前進と評価できるからだ。イスラエルの反対の意向を抑え込んだオバマ米大統領の久々のヒットである。
 いつも言うことだが、核不拡散問題は、もともと不公平な条約である。国連の安保理国の5カ国だけは核兵器を持っていい、他の国は持ってはいけない、というダブルスタンダード(二重基準)なのだ。そのうえに、核不拡散条約に加盟せず、秘かに核兵器を所持していると言われるイスラエルに対して、米国などが文句を言わないのはもっとひどい二重基準だ。
 そのため、最初はやめさせようとしていたインド、パキスタンの核兵器所持にも文句が言えなくなり、イランと北朝鮮だけに焦点が当たっていたのである。イスラエルの核に対抗してイランが核開発を秘かに進めているのではないかと言われ、イスラエルが空爆も辞さないと脅していた問題だけに、イランが核開発はしないと6カ国と合意したことは、世界をホッとさせるニュースだった。
 イランとの合意成立で、安倍首相がしきりに例として挙げていたホルムズ海峡での機雷掃海に自衛隊を派兵する問題に、現実味がなくなったことも大きい。とにかく、ナチスに虐殺されたユダヤ民族が、中東ではパレスチナ人を虐殺しているという構図に米国が介入してイスラエルを抑えない限り、中東に平和は来ない。イランと米国との合意にイスラエルが反対を表明しているだけに、この合意が壊れることのないよう、日本も応援していきたいものである。
 もう一つ、今月のニュースで、日本の宇宙飛行士、油井亀美也さんと米国・ロシアの飛行士の3人がロシアのロケット、ソユーズで宇宙に打ち上げられ、国際宇宙ステーションISSで長期間の活動を始めたことも嬉しいニュースだった。ウクライナ問題をめぐって米露の関係がぎくしゃくしているなか、日米露3カ国の宇宙飛行士が仲良く生活をともにし、「国境線なんて見えないよ」といわれる宇宙で科学観測に従事する姿は、未来の地球の縮図を示すものとして、私たちに明るい希望を抱かせてくれるものだ。

 

  

※コメントは承認制です。
第80回 違憲の安保法案を強行採決したことで、日本は民主国家でも法治国家でもなくなった!」 に4件のコメント

  1. magazine9 より:

    少し前から、これまで安倍政権に好意的な報道を続けていた雑誌などでも、急速に政権批判の記事が目立つようになりました。これも、デモや抗議行動、新聞への投書など、さまざまな形で多くの人が声をあげてきたことの反映なのかもしれません。一昨日、参院での審議がスタートした安保法案。柴田さんがいうように「何かが起こる」のかどうか、それはメディアにしっかり声を伝えていくということも含めて、私たち次第なのです。

  2. いずれにせよ、今までのような法治国家は、スマホで六法全書と判例を検索できるようになって、法律に詳しいヤンキーとか暴走族とか浪速のおばちゃんとかが大量に出て来たら終わるでしょう。「あの裁判の結果はおかしい」と国民が普通に言えるようになったら。ある意味、安倍総理はそんな未来のヤンキーの先駆けw

  3. zumwalt より:

    「朝・読論争」の勝者を朝日新聞だとするのは間違いでは無いでしょうか。
    当時の安全保障の最大の問題はソ連が日本に進行しないようにすること。ベトナム戦争や湾岸戦争に出兵という海外派兵問題と日本本土の防衛は明確に区別して考えるべきです。海外派兵を行っても、ただちに日本国内の平和が犯されることはありませんが、ソ連進行が日本の平和を犯すことは明白です。

    さてソ連の日本進行を行わせなかった原因は何でしょうか。それはやはり日米同盟による抑止力の力が大きいでしょう。冷戦期は米ソ共に抑止力の考えで動いていた時代。相互確証破壊などはその例でしょう。もし日本が東西どちらの陣営にも属していなければ、ソ連とアメリカの代理戦争に巻き込まれたのは必死でしょう。ソ連とってみれば、太平洋へのアクセスが用意になると同時に韓国を挟み撃ちにできる位置にある日本を占領しないわけないでしょうし、アメリカにとってはソ連にそんな大事な土地を占領される訳にはいかない。日米同盟があったからこそ、アメリカは反共の防波堤としての役割のため米軍基地を多く配置し、ソ連に日本に攻め入ればもはや代理戦争ではすまないのだと認識させたのではないでしょうか。抑止力を重視するソ連はこれで日本に攻め入ることを諦めざるを得なくなったと。

    結局のところ、日本本土の防衛に多くの役割を果たしたのは日米同盟で海外派兵の歯止めに大きな役割を果たしたのが憲法九条と考えるべきです。そして日本が平和でいるには前者が不可欠である以上朝日新聞の勝利とは言えないでしょう。
    少なくとも、海外派兵問題のみに言及して朝日新聞が勝利したとするのは大きな間違いだと思います。

  4. 柴田鉄治 より:

    ZUMWALT氏の論旨は明らかに間違っています。冒頭に「海外派兵をおこなっても、ただちに国内の平和がおかされることはありませんが…」とありますが、私は海外の戦争に参加すれば、たとえ国内に侵攻がなくとも平和ではない、と言っているのです。つまり、あの理のないイラク戦争にさえ、米国の要請で派遣(派兵ではなかったが…)したのだから、憲法9条がなかったら、ベトナム戦争や湾岸戦争にも派兵させられていただろう、という趣旨です。

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柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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