柴田鉄治のメディア時評


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

shibata

 安倍政権は、アメリカからノーベル賞受賞の経済学者を招いて勉強会をおこない、「消費税の8%から10%へのアップは先延ばししたほうがいい」との意見をもらって、「そうだ。増税を先送りして、衆・参同時選挙だ」と色めき立っている。
 もちろん安倍首相は「衆・参同時選挙なんて頭の片隅にもない」と全面否定しているが、そんな言葉を信用している人は誰もいない。もともと「原発事故はコントロールされている」などと平気でウソをつく首相だから、というのではなく、首相の解散権の行使についてはウソを言ってもいいという〈暗黙の慣行〉があるからだ。
 「消費税のアップは、リーマンショックのような経済危機でもない限り実施する」というのが政府の公約であり、また、先の衆院選挙から1年余りしか経っていないのだから、衆・参同時選挙はどこからみても無理筋だと思われるのに、あっという間に政局はその方向に走り出した。
 メディアの観測記事もほとんど「その方向だ」と一致しているようにみえる。メディアの政治記者にとって、政局の動向はひときわ関心の高いテーマで、それが揃ってそう言うのだから、政界がその方向に動き出したことは間違いあるまい。
 しかし、本当に衆・参同時選挙になるのかどうか。私は政治記者の経験はなく、政界には疎い人間だが、どうもそうならないような気がしてならないのだ。

安倍首相の悲願は改憲、それにプラスかマイナスか?

 安倍首相の悲願は改憲であり、それも憲法9条の改定である。それがなかなか難しいと知って、戦後一貫して「集団的自衛権の行使は憲法違反だ」としてきた政府の見解を、「閣議決定」という形で引っくり返し、安保法制を強行採決により成立させた。
 しかし、それでは満足せず、やはり改憲を目指そうと7月の参院選の目標を「改憲の発議に必要な3分の2の確保」に置いた。衆院では与党が3分の2を占めているので、参院でも確保できれば、改憲の発議ができるからだ。
 参院選への各党の対応が進むなかで、野党共闘が実現しそうな動きに神経をとがらせたのが政府・与党だった。野党共闘が実現すれば、一人選挙区では野党側が勝つ確率がぐんと高まるからだ。
 この野党共闘をつぶそうとして出てきたのが、衆・参同時選挙だった。小選挙区制の衆院選と同時では、野党共闘は成り立たないとみたのだろう。事実、衆院選で野党が統一候補を立てていたら、政党としての存立基盤が失われてしまうからだ。
 衆・参同時選挙は、戦後2回あったが、首相が同日選を意図して解散したのは、1986年の中曽根内閣の「死んだふり解散」で、自民党が圧勝した。選挙後に「同日選は憲法違反だ」という違憲訴訟が起こされたが、最高裁は憲法判断を示さずに却下している。
 いずれにせよ、衆参両院を置く趣旨からいっても同日選は邪道であり、過去の成功体験から与党にとっては魅力かもしれないが、避けるのが筋であろう。

同日選をやれば、衆院選で与党の「敗退」も

 政府・与党が同日選を狙うのは、衆・参両院とも勝てると見ているからで、その理由は過去の成功体験と野党の乱立ぶりにあり、それに野党側の準備不足を突くのも狙いの一つであろう。しかし、衆院選でいまよりも議席の減る「敗退」の恐れがあれば、やめるだろう。
 私が衆・参同時選挙にはならないのではないかと考えているのは、その「与党敗退」の恐れが極めて大きいと思うからだ。その理由としてはまず、政府・与党が勝利を確信しているのは、安倍政権の内閣支持率が依然として高いからだが、その根拠がはっきりしないうえ、安保法制に対する国民の反発は大きく、いまだに反対デモが全国で行われている状況を真っ先に挙げたい。
 選挙権を18歳まで引き下げたが、若者はみんな保守だという政府・与党の期待とは逆に、「戦争のできる国」にすべきではないという意見が若者たちの間にも静かに広がっているのもそのひとつ。
 また、就職難のうえ、正規社員と派遣社員など非正規社員との格差は広がる一方、保育所不足などに対する若いママさんたちの怒りも爆発寸前だ。

憲法9条に対する国民の支持は変わらない

 「与党敗退」と予測する第2の理由は、依然として憲法9条に対する国民の支持は変わっていないことだ。世論調査は、実施主体の意向に沿った結果が出る傾向があるため、憲法についての世論調査は、改憲を主張している読売新聞の調査に最も注目しているのだが、3月17日に発表された読売新聞の世論調査にそれがはっきり表れた。
 1994年に読売改憲案を発表して以来、憲法9条の改定について賛否を問うと、必ず反対が多いことに困った読売新聞は、2004年から世論調査の設問を3択方式に改めた。①現行通り解釈と運用で対応する②解釈と運用では限界なので改憲する③9条を厳密に守る、の3択で、最初は読売の期待通り②が一番多かったが、安倍政権の登場から9条の改定が話題に上るにつれ、②より①のほうが多くなった。
 17日に発表された結果は、①38%②35%③23%で、①が②よりも多く、①と③を足すと6割以上が改定に反対なのである。しかも、③がこれまでの20%前後から23%に増えている。「9条を厳密に守る」とは、自衛隊を軍隊でなく災害救助隊にするといった意見であり、安倍政権が9条の改定に熱心になればなるほど、国民は逆に「9条を守れ」という方向に動いているのだ。
 改憲については、9条だけでなく、安倍首相が真っ先にやりたいと挙げたのは「緊急事態条項」を盛り込みたいということだった。各国の憲法にはあるのに、日本の憲法にはないからというのだ。
 それに対して民主党の岡田克也代表や社民党の福島瑞穂氏が「ナチスのヒットラーがやったことと同じだ」と批判したが、安倍首相はその批判に答弁さえしなかった。ところが、3月18日のテレビ朝日の「報道ステーション」で古舘伊知郎キャスターが見事な解説で「ヒットラーがやったことと同じである」ことを示した。こういう解説こそメディアの使命だといえよう。
 自民党の緊急事態への対応として首相に全権を委ねることは、ナチスが全権委任法によってやりたい放題にやったことと同じ危険があることを示したもので、かつて麻生副首相が「ナチスに学べ」と言ったことを思い出させる内容だった。
 そのほか、自民党の改憲案については、前にも本欄で論じたように、国家と国民の関係をまたまた戦前のように「国民は国家に奉仕するもの」に変えようとする企みが随所に挿入されている。詳しく知りたい人は、梓澤和幸ら3人の共著『前夜』(現代書館)か、樋口陽一・小林節の共著『「憲法改正」の真実』(集英社新書)を読んでほしい。
 たとえば、現憲法の13条「すべて国民は、個人として尊重される」とあるのを自民党案では「すべて国民は、人として尊重される」と、個人を人と直した意味について、その狙いがはっきりと浮かび上がってくるからだ。

国民は反対なのに原発の再稼働に動く政府・電力会社

 「与党敗退」の可能性の第3の理由は、福島原発事故以来、国民の大多数は原発の再稼働に反対しているのに、政府や電力会社はそれを無視して再稼働に突っ走っていることだ。それに対して、やっと司法のチェックが働きだした。
 福井県の高浜原発の再稼働に隣の滋賀県の住民から差し止め請求の訴えが出ていたのに対して、大津地裁が運転を差し止める仮処分を決定した。原発についての住民訴訟は、伊方原発訴訟の最高裁判決で「原発の安全性は専門家の意見を踏まえた行政の判断に委ねるべきだ」となって、ほとんどすべて住民側の敗訴に終わってきたのが、福島事故を経てようやく司法も目を覚ましたようだ。
 前に再稼働を認めない仮処分が福井地裁であったが、今度の大津地裁の仮処分は、運転中の原発を止めるものであり、しかも、隣県の住民からの訴えに応じたところが新鮮だった。隣県といっても30キロ圏内だから福島事故でいえば避難地域内であり、住民の不安に応えたものであることはいうまでもない。
 この仮処分の決定に対して、関西経済連合会の角和夫副会長が記者会見で「なぜ一地裁の裁判官によって国のエネルギー政策に支障をきたすことが起こるのか」と憤懣をぶちまけたというから驚く。経済連合会の幹部が三権分立の原則さえ知らないのであろうか。
 また、それに加えて、関西電力の八木誠社長は「上級審で逆転勝訴すれば、原発を止めた損害賠償を住民側に請求することも考えうる」と語ったというから、これも驚きだ。
 司法のチェックを謙虚に受け止めようともしない行政や電力会社の傲慢さをあらためて露呈した事例であろう。司法がここまでなめられていることに、司法界もこれまでの姿勢を反省する必要があるのではないか。

沖縄の辺野古基地問題、とりあえず和解のテーブルへ

 このほか今月のニュースでは、沖縄の辺野古基地新設問題で、政府も県も裁判所の和解勧告を受け入れて、工事を中止した件がある。読売新聞などの解説によると、政府側が敗訴になりそうで慌てて和解を受け入れたそうだが、それにしては「辺野古移転は唯一の解決策」という政府の方針がまったく変わっていないというのは、どうしたことか。それでは問題を先延ばしするだけで、解決とはならないだろう。
 現状でも米軍基地だらけの沖縄に、さらに新しい基地を建設するなんて所詮、無理な話なのだ。政府は、普天間基地の国外移転を目指して米国と真剣に話し合いを始めるべきだろう。
 日本の政府なのだから、日本の住民の立場に立って、米国と交渉することは当然のことなのだ。政府と県民が対立した状態のままなんて、恥ずかしくないのか。日本に本当の「政治家」がいないことを示す悲しい現実の姿である。

司馬遼太郎が生きていたら、いまの世を何というか

 もう一つ、今年の3月は、作家の司馬遼太郎が亡くなってから20周年である。「菜の花忌」を迎えてテレビの特別番組なども組まれているが、生前、親しく接した私からも、ひと言、触れたい。
 司馬遼太郎は常々、「最も書きたいことは、昭和の軍人がいかにダメだったかだが、ダメな人間は小説にならないので、代わりに明治の日本人はいかに立派だったかを書いた」と話していた。小説では書けなかったことを随筆『この国のかたち』では、かなり率直に書いている。
 ただ、立派な日本人を描いた小説のほうが圧倒的に読まれており、「歴史的に見て、日本人は立派な国民だ」という見方が「司馬史観」としてまかり通っているわけだが、司馬遼太郎がいま生きていたら、日本を戦前・戦中の日本に戻したいとしている安倍政権に対して、何と言うか訊いてみたい気がする。

 

  

※コメントは承認制です。
第88回 衆・参同時選挙はあり得るのか」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    毎日新聞の報道では、安倍首相は「同日選に踏み切るかどうかを5月に判断する見通し」とのこと。「参院での大幅な議席増が見込めると判断した場合、同日選の可能性が高まる」のだそうですが、そもそもそうした勝手な思惑だけで選挙の時期が決められていくことに、大きな違和感を覚えます。この28・29日には、安保法施行に反対する人たちが国会前などに集い、改めて抗議の声をあげました。国民のほうを見ようともしない政権の暴走を、いつまでも許していていいはずはありません。

  2. より:

    >なぜ、一地裁の裁判官によって国のエネルギー政策に支障をきたすことが起こるのか(関西経済連合会角和夫副会長)。
     憲法は裁判所に違憲立法審査権を認める(憲法81条)。国会議員の数(2014年現在)衆院475名、参院242名。衆参両院で可決した法律を違憲と判断できるのだ。つまり、憲法は多数決的民主主義を採用していないのだ。立憲民主主義を採用しているということである。
                                                                         >上級審で逆転勝訴すれば、原発を止めた損害賠償を住民に請求することも考えうる(関西電力八木誠社長)。
    憲法は「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪われない」と謳う。
                                                                        これらは、憲法を知らないとかのレベルの話ではない。憲法を無視した安保法制の成立が、まず、経済界の重鎮達に影響を及ぼしているということだ。さらには、家庭、学校、社会とあらゆる場面で 「法を無視」することに繋がることだ。これが、憲法が蹂躙されることの怖さだ。

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柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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