柴田鉄治のメディア時評


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

shibata

 4月14日、熊本県益城町を襲った震度7の地震(マグニチュード6.5)から、日本のメディアは熊本地震一色に塗りつぶされたといっても過言ではない。それから半月の間に九州の中央部、熊本、大分両県にかけて、震度4以上の地震が90回以上、震度1以上の地震が1000回以上に達するという異常な状態が続いているのだ。
 震度7といえば、阪神・淡路大震災や3・11東日本大震災などと同じ大地震で、これが本震かと思ったら、なんと、これは前震で、本震は2日後にやってきたマグニチュード7.3の地震だというのである。
 震度7という揺れ方は、1923年の関東大震災のときには存在さえしなかった数字で、これ以上はない激震だが、それが益城町では2度も震度7に見舞われるという、とんでもないことまで起こってきたのだ。
 ことほど左様に、熊本地震はこれまでの地震についての「常識」をことごとく覆した異常な地震だったといえよう。

直下型地震の怖さ、まざまざと

 地震には、3・11のような海溝型地震と、阪神・淡路大震災のような直下型地震があることは、よく知られている。海溝型は、地球を覆う巨大なプレートがぶつかり合うところでエネルギーがたまり、それがはじけて地震となるので、100年~150年といった周期性がある。
 一方の直下型は、陸地の地下の活断層が壊れて起こる地震で、周期性もなければ、前ぶれもない。もちろん、海溝型も直下型も予知は出来ないのだが、今回の熊本地震で、直下型の地震は、何が起こるかまったく分からない状況であることが、はっきりと浮かび上がったといえよう。
 日本列島は活断層のぎっしり詰まったうえに乗っているようなものだから、私たちは「活断層列島」に住んでいることをあらためて自覚しなおす必要がある。
 海溝型地震の研究が進み、東海地震が安政の地震以来、百数十年も起こっていないことから、世界でも初めての地震の予知を組み込んだ「大規模地震対策特別措置法」(大震法)が生まれたが、地震対策が「予知」に頼ってはならないことは、一連の経過がはっきりと示している。
 地震対策は、いつ起こってもいいように、「地震に強い街づくり」を進めていくほかないのだ。
 もう一つ、熊本地震の教訓は、「九州には大地震は起こらない」といった「迷信」が広がっていたことの危うさである。阪神・淡路大震災が起こる前には、同じように「関西には東京と違って地震は来ない」といった「迷信」が広まっていた。日本という「地震列島」に住む以上、「どこそこには地震は来ない」といった風評は絶対に信じてはいけないのだ。そのことを熊本地震があらためて示したといえようか。
 熊本地震に対する政府の対応は、極めて遅かった。「特定非常災害」に指定したのは2週間後である。それに対するメディアの批判も弱かった。何もかも「常識はずれ」の地震だったから、やむを得ないところもあるが、メディアの使命は被害状況の報道だけでなく、対応に対する批判も大事な役割なのである。

原子力規制委は、変身したのか?

 熊本地震の地震発生地域から北東に伸びる「中央構造帯」に伊方原発があり、南西に伸びる活断層帯の近くに川内原発がある。なかでも川内原発は、現在、動いている唯一の原発であり、周辺住民に不安が広がったことはいうまでもない。ところが、原子力規制委員会は、わざわざ「止めることはない」という見解を表明した。
 何が起こるかまったく分からない地震の連鎖が起こっているのだから、「止めて様子を見る」という選択肢もあったはずなのに、そうしなかった。それだけではない。熊本地震の連鎖の最中に、規制委が自ら決めた「原発の寿命40年」という原則を破って、高浜原発1、2号機の運転継続を認めたのである。
 原子力規制委は変身したのだろうか。というのは、福島での事故が起こった時の政府の監督官庁は原子力安全・保安院で、まったく機能しなかった。省庁再編のどさくさにまぎれて、原発推進側の経済産業省の傘下に置いたことが間違いだったとの気づきから、独立性の強い規制委が生まれ、その誕生直後の活躍には目を見張るものがあったからだ。
 たとえば、敦賀原発や志賀原発の活断層をめぐって電力会社と真っ向から対立し、原発推進派から「規制委はゼロリスクを求めるのか」と論難されたことさえあったほどだ。
 何が規制委の姿勢を変えたのか。原因は分からないが、外から見ていると、電力会社から最も煙たがられていた副委員長の地震学者、島崎邦彦委員が、任期がきたからと交代させられたあたりから変わってきたような気がする。
 原発の規制官庁は本来、推進派から煙たがられる存在でなければならないはずなのだが、大丈夫か。メディアはしっかりと監視していてもらいたい。

日本の「報道の自由」は世界のなかで72位に転落

 「国境なき記者団」が発表する報道の自由度で、日本は世界のなかで72位に転落した。かつては11位だったこともあり、大変な没落ぶりである。安倍政権になってメディアへの介入が著しく、メディアのほうも自粛・萎縮して、確かに元気がない。
 そこへさらに、高市総務相が「一つの番組でも政治的公平さを欠けば、電波を止めることもあり得る」と放送局を恫喝する発言をして、それに安倍首相も追随するなど、事態は悪化の一途をたどっている。
 4月中旬、「表現の自由」に関する国連特別報告者としてデービッド・ケイ氏(米カリフォルニア大教授)が来日し、調査を終えての記者会見での報告も厳しいものだった。
 ケイ氏は、特定秘密保護法や「公平・中立」を求める政府の圧力が報道の独立性に対する脅威となっており、内部告発者の保護体制も弱いと指摘し、秘密法の改正や記者クラブ制度の廃止などを提言した。
 ケイ氏の報告のなかで驚いたのは、多くのジャーナリストが匿名を条件に面会に応じたということと、高市総務相から「国会会期中なので」と面談を断わられたということだった。なぜ、記者も政治家も、もっと堂々と意見を発表できないのか。
 メディアの萎縮、それも政府から恫喝されている放送局の萎縮が著しい。NHKが熊本地震の報道で、地図の中に原発の所在地を明示していたのを途中から消してしまったこと、さらに籾井NHK会長が「国民の不安をあおらないよう、政府の公式発表を中心に報道するように」と語ったことなど、論外というほかない。
 一方、政府の恫喝に沈黙を守っていたテレビ局のなかからも、ようやく声もあがりはじめた。新聞の1ページ大広告で「私たちは放送法違反を見逃しません」とTBSを名指しで攻撃した「放送法遵守を求める視聴者の会」に対して、TBSが「弊社スポンサーへの圧力を公言した団体の声明について」と題するコメントを発表した。
 それによると、「多様な意見を紹介し、権力をチェックするという報道機関の使命を認識し、自律的に公平・公正な番組作りをしている。スポンサーに圧力をかけるなどと公言していることは、表現の自由、ひいては民主主義に対する重大な挑戦である」というのである。
 高市総務相の発言に対してもこんな声明を出してほしかったが、政府と一体になった形の市民団体に対してでも、反論したことはよかった。戦前、政府と一体になった市民運動の形で新聞の不買運動を煽動し、批判的な新聞を黙らせた歴史を再び繰り返させてはならないからである。
 この変な市民運動に対抗して、「報道の自由を守ろう」という市民運動が立ち上がってくるといいな、と思うのだが、どうだろうか。民主主義を守ろうという市民運動は、たくさんあると言われるかもしれないが……。

北朝鮮の報じ方が、ちょっぴり変わった?

 北朝鮮は、4月に入ってからも中距離弾道ミサイル「ムスダン」の発射を何回も試みて失敗したり、潜水艦からのミサイルを発射させたり、相変わらずの人騒がせなことである。5月に36年ぶりという党大会を開くのを目指して、相次ぐミサイルの発射は国威発揚のためだろうが、失敗続きでは国威の発揚になっているのかどうか。
 それより国連の発表によると、北朝鮮のコメなどの食糧生産量が前年より落ちているということだから、国民の飢えが心配だ。軍事費を削って食糧に回せばいいのに、思うのだが……。
 北朝鮮についての報道といえば、ロケットなどの軍事パレードと正装の女性アナウンサーの甲高い声の声明発表の画像が思い浮かぶほど、画一化されたものばかりという印象だったが、最近になってやっと、おや? と思わせる報道が出てきた。
 4月24日のフジテレビ「新報道2001」の「金正恩体制で何が…」という現地報告は、なかなか中身のあるものだった。北朝鮮が大嫌いな産経新聞系列のテレビ局とは思えない内容だったと言ったら失礼かもしれないが…。
 また、4月26日の朝日新聞のオピニオンのページ、「北朝鮮と向き合う」での元公安調査庁第2部長、坂井隆氏と関西学院大学教授、平岩俊司氏の対談も、いつもとは違って中身の濃いものだった。国際面の連載「北朝鮮を読む」もよかった。メディアたるもの、これが当然で、いつもワンパターンでは困るのだ。
 ついでに付言すると、拉致被害者家族会の事務局長だった蓮池透氏の著書『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社)は、北朝鮮と日本とのゆがんだ関係や拉致被害者を利用しようとする人たちの姿を描いてなかなか読ませる本だ。この本で批判された中山恭子・元拉致問題担当相(現・日本のこころを大切にする党代表)が、国会で「蓮池透氏は北朝鮮の工作員に利用されているのではないか」と質問したほどだから、かなり気にしているのだろう。
 北朝鮮は5月6日から始まった36年ぶりという党大会を機に世界中から記者団を招き、日本からも大勢出かけたので、一時、北朝鮮報道がメディアにあふれた。ところが、北朝鮮は肝心の党大会を記者団に見せなかったのだ。これでは宣伝効果はないどころか、むしろ逆効果であろう。

水俣病60周年、チェルノブイリ30周年

 4月26日はチェルノブイリ原発事故から30周年、5月1日は水俣病の公式発見から60周年だった。メディアは、それぞれ特集を組んでその後の経過を詳しく報じた。
 水俣病も原発事故も、科学技術の産み出した「負の遺産」だ。そしてどちらも、科学報道の失敗の歴史でもある。
 水俣病は1956年5月1日にチッソ附属病院から奇病患者の多発が保健所に届けられ、熊本大学医学部が総力を挙げて究明した結果、59年、工場排水から魚介類を介しての有機水銀が原因であると発表し、厚生省の食品衛生調査会もそう答申した。そこまでは、やや時間がかかったとはいえ、まずまずの経緯だった。
 ところが、チッソに加担した通産省が、御用学者に「水銀ではない」という論文を書かせ、学界が対立しているのだからと厚生省を抑え込んで、それから9年間、公式発見から12年間も工場排水の垂れ流しを放置したままにしたのである。
 後知恵ではあるが、科学記者が熊本大学の研究結果と御用学者の論文を比較してみれば、すぐ見破れる経過だったのに、科学記者が公害に関心を持たず、メディアのチェックがまったく機能しなかったケースだったのだ。
 チェルノブイリ原発事故のほうも、当時の日本の原子力関係者、いわるる「原子力ムラ」の人たちが「炉型も違うし、日本ではあんな事故は起こらない」と口をそろえて言うのを、科学記者たちもそのまま信じ、同じように受け取ってしまったのである。
 チェルノブイリ事故は、原発がいったん大事故を起こすと、その処理は30年どころか100年も200年も続くことを示しており、福島事故の今後を考える際の例示となっている。
 福島事故から5年、日本のメディアは原発の再稼働をめぐって二極分化しているが、チェルノブイリの教訓をまだ、しっかりと受け止めていないのかもしれない。科学ジャーナリストの役割は、科学者・技術者とは違って、科学技術の負の面を指摘し、警鐘を鳴らしていくことだ。科学報道の発足したころの「科学をやさしく解説する役割」にいまだにこだわっている人もいるようだが、それはほんの一面で、科学ジャーナリズムの使命はやはり社会に対するチェック機能なのである。

憲法記念日、今年の報道はひときわ多彩に

 5月3日は憲法記念日。69周年と半端な年なのに、安倍首相が「私の任期中に憲法改正をやりたい」と宣言し、夏の参院選で3分の2をとれば、改憲に走り出そうとしているときだけに、今年のメディアは、ひときわ多彩に憲法特集を組んだ。
 よく言われることだが、日本国憲法ほど世界のなかで特異な存在はない。制定以来70年間、一度も改定されたことがなく、ドイツの60回、フランスの24回、米国の18回などと比べても際立っている。
 それほど国民の支持が高いのかというと、そうではなく、国論は真っ二つで、しかも与党が改憲派、野党が護憲派という常識とは逆のねじれ状態なのだ。
 一方、メディアのほうは、91年の湾岸戦争で改憲派の読売・産経新聞と護憲派の朝日・毎日新聞と二極分化し、94年に読売新聞が改憲案を発表し、95年に朝日新聞が護憲大社説を発表して「読売・朝日の憲法対決」の時代に入り、そのままの状況が続いている。
 こうした歴史的な背景を考えながら、5月3日の読売新聞と朝日新聞の社説を比べてみると興味深い。読売は「改正へ立憲主義を体現しよう――『緊急事態』を優先的に論じたい」と題して、本命の9条ではなく、緊急事態に対応するところから改憲していこうと提案している。
 それに対して朝日新聞の社説は「個人と国家と憲法と――歴史の後戻りはさせない」と題して、国家を前面にせり出そうとする自民党の改憲案を厳しく批判し、歴史を後戻りさせてはならないと論じている。
 憲法特集の内容も対照的だ。朝日新聞は世論調査の結果を中心に、憲法を「変える必要はない」が昨年の48%から55%に増え、「変える必要がある」が43%から37%に減ったこと、9条についても「変えない方がよい」が63%から68%へ、「変える方がよい」が29%から27%へ、国民の意識とその動いている方向を報じた。
 それに対して読売の特集には世論調査の結果はなく、各政党の見解や9条の改憲の必要性を論じた解説記事などで2ページを埋めている。
 改憲派の読売は、世論調査で9条の賛否を問うと、反対が多いことに困って、2002年から3択方式に変えた。答えを①現行通り解釈と運用で対応する②解釈と運用では無理があるので改憲する③9条を厳密に守り、解釈や運用では対応しない、の3つから選ばせる方式だ。
 3択方式に変えた当時は、読売の思惑通り②が一番多かったが、その後変わってきて、今年2月の世論調査では①38%②35%③23%となった。9条を厳密に守るというのは自衛隊を災害救助隊にするようなことだが、①と③が増え、足すと61%が9条は変えるなという意見なのである。
 NHKの5月3日の憲法記念日特集「憲法70年 9党代表に問う」の2時間番組もなかなかよかった。その中で紹介された世論調査の結果は、「憲法改正の必要がある」27%、「必要がない」31%、「どちらともいえない」38%で、「必要がない」がこの4年間で急速に増えていったことを紹介した。
 世論調査は実施主体によって結果が違うことも珍しくないが、それにしてもNHKの調査はなぜ「どちらともいえない」が極端に多くなるのだろうか。
 また、4日の紙面で、東京で開かれた護憲派の集会(主催者発表5万人)と改憲派の集会(主催者発表1100人)を、護憲派の朝日新聞がまったく平等に両論併記で扱い、護憲派集会の写真も載せなかったことに驚いた。いまだに「中立、中立」と委縮したままなのである。

 

  

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第89回 地震の「常識」をことごとく覆した熊本地震」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    戦後71年目、「違憲」の声を押し切って安保法制が成立・施行されてから初めての憲法記念日は、各地でさまざまな集会やアピールが開かれました。もちろん、強い危機感を抱かざるを得ない状況ではありますが、立憲主義や民主主義について、そして憲法について、かつてないほど関心が高まり、議論が交わされていること自体は、一つの希望といえるのかもしれません。熊本の地震の直後には、菅官房長官が記者会見で、憲法への緊急事態条項の創設について「きわめて重い課題だ」と述べました。イメージや雰囲気に流されるのでなく、「本当に憲法を変える必要があるのか」、一人ひとりがしっかりと考え、見極められる目を持ちたいと思います。

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柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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