柴田鉄治のメディア時評


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

shibata

 「ジャーナリズムの使命は権力の監視にある」という言葉がある。権力の監視で最も大事なことは戦争を起こさせないことだ。戦後71年、今年も終わるにあたって、2016年という年を振り返ってみると、日本は平和ではあったが、キナ臭さが一段と増した年だといえよう。それに対してメディアのチェック機能が極めて弱かった年だと総括してもいいのではなかろうか。
 具体的な事例について触れる前に、戦争とメディアについて大雑把に歴史を振り返ってみると、戦前・戦中のメディアは政府のお先棒を担いで戦意の高揚を図ったが、その反省から戦後の50~60年代はなんとか野党精神も健在で、ベトナム戦争にはメディアはこぞって反戦を貫いた。
 ところが、80年代になると、読売・産経新聞が政府・与党寄りに論調を転換、湾岸戦争を経て、イラク戦争でははっきり賛成の主張を打ち出して、自衛隊がイラクにまで派遣される事態を招いた。幸い、憲法9条のおかげで戦闘に巻き込まれることはなかったが、一歩間違えば危ういところだった。
 あれから10余年、中東は依然として戦争状態が続き、イラク戦争から産まれた鬼っ子だといわれる「イスラム国」によるテロ事件も絶えない。そんななかで日本は、「戦後レジームからの脱却」を標榜する安倍政権が誕生してから4年目、悲願の「憲法9条体制からの脱却」に向かって大きな一歩を踏み出した年だといえようか。

北朝鮮の挑発に過剰反応、「敵基地攻撃論」まで登場

 今年は年明け早々、北朝鮮が4回目の核実験を行い、「水爆実験に成功した」と発表した。9月には5回目の核実験を強行し、その間にもミサイル発射を繰り返して「核弾頭の小型化にも成功した」と宣言した。
 国民の飢えを放置したうえでのこうした挑発にはあきれるほかないが、それに対する日本の反応もまた、驚くほど過剰だった。北朝鮮に対しては韓国や米国が対峙しており、国連による厳しい制裁措置もとられるのに、日本はその前に独自の制裁に乗り出し、ミサイルに対しては自衛隊に撃墜命令まで出しているのだ。
 しかも、北朝鮮が国際機関に事前通告までしていた人工衛星の発射にまで撃墜命令を出していたのだから驚く。
 こうした過剰反応に対してメディアの批判は極めて弱く、逆に北朝鮮の脅威を煽るような報道が少なくなかった。なかでも、9月15日の読売新聞の社説「北ミサイル対策――敵基地攻撃能力も」には仰天した。ミサイルが発射されたあとでの撃墜は難しいので敵基地の先制攻撃も考えておくべきだというのだから、まるで日本から戦争を仕掛けるような話ではないか。
 これには当然、メディアによる厳しい批判、いわゆるメディアチェックが働くだろうと期待していたが、残念ながら見当たらなかった。
 北朝鮮の相次ぐ挑発は、安倍政権の「軍拡路線」を後押しするかのような作用をもたらしている。少なくとも安倍政権の、来年度予算も含めて5年続きの防衛費の増額も、北朝鮮の脅威を理由の一つにしていることは間違いない。

「駆けつけ警護」つき自衛隊の派遣にもチェック働かず

 日本が戦後一貫して「憲法違反」としてきた集団的自衛権の行使を閣議決定で引っくり返して容認し、強行採決で成立させた安保法制が今年から施行されたが、安保法制に反対するデモや集会は、今年も全国各地で続けられてきた。
 その安保法制の具体的な実施例として、「駆けつけ警護」という新任務を付与した自衛隊の南スーダンへの派遣があり、すでに現地に着いている。
 南スーダンでは大統領派と反大統領派の武力対立が続いており、7月には270人が死亡するという戦闘まであった。それを安倍首相や稲田防衛相は「戦闘ではなく衝突だ」と言いつくろって、自衛隊の派遣を強行したわけだが、自衛隊のPKОとしての派遣は当然「PKО5原則」に則ったものであるべきで、南スーダンの状況は明らかにPKО5原則に反する状況だというのに、メディアの批判は極めて弱かった。
 そのうえ、年末になって国連安全保障理事会で南スーダンへの武器の禁輸を求める決議案が米国、欧州、国連などから提案されたが、日本やロシアなど8カ国が棄権して廃案となった。日本が米国の提案に同調しなかったことは極めて珍しい。
 日本の言い分は、南スーダン政府に武器禁輸の制裁を科すことは、派遣した自衛隊の安全にもかかわるというものだが、現地からの特派員報告によると、南スーダンには武器輸入のルートが多々あり、近くルワンダのような大虐殺が起こるかもしれないという危険な状況であると報じられている。
 どちらの見通しが正しいのか判断はできないが、いずれにせよ自衛隊が戦闘に巻き込まれないことを祈るばかりだ。

核兵器禁止条約の制定に日本が反対するとは!

 米国と違う日本独自の判断ができるのなら、今月の国連総会での「核兵器禁止条約の制定に向けて来年3月から交渉を始める」という決議案にこそ、賛成してほしかった。決議案には113カ国が賛成して採択されたが、米露英仏などの核保有国とともに日本も反対票を投じた。反対した国は35カ国、棄権した国は13カ国あった。
 日本が反対に回った理由は、米国の「核の傘」のもとにあることと、核保有国も協力可能な現実的、実践的な取り組みを重ねることが、遠回りのようでも成果に結びつくというものだ。しかし、米国の核の傘のもとにあっても、核兵器禁止条約に賛成しても一向にかまわないだろう。
 核兵器の廃絶は、世界で唯一の被爆国、日本国民の悲願ともいうべきものだ。禁止条約の提案国に名乗り出てもおかしくないところである。米国に遠慮する必要などないはずだ。
 また、現実的にみても核保有国が禁止条約に賛成することはかなり難しく、それに核保有国でもある安全保障常任理事国には拒否権もあるので、保有国まで含めた合意は容易なことではない。
 そう考えると、対人地雷禁止条約やクラスター爆弾禁止条約のように、賛成国だけで制定し、反対国にはあとからの加盟を待つ、という方式も考えられよう。
 いずれにせよ、核兵器は、核戦争が起これば全人類が絶滅するかもしれない「悪魔の兵器」である。禁止条約はぜひとも成立させたい。
 それに反対票を投じた日本政府の姿勢に対して、メディアの批判が何とも弱いのはどうしたことか。

政府も司法も「沖縄いじめ」ますます激しく

 今年のニュースで避けて通れないのは沖縄の米軍基地問題だ。太平洋戦争で本土で唯一の地上戦が行われ、戦後も長らく米国の占領下に置かれ、やっと返還されても日本全体の1%にも満たない面積の土地に米軍基地の74%が集中するという沖縄――。
 差別と言っていい状況が続くなか、今年はさらに、政府や司法まで「沖縄いじめ」に荷担するといってもいいようなひどい状況が繰り広げられた。たとえば、高江のヘリパッド建設現場では、反対する住民たちに対する規制のため、本土から機動隊まで動員して、沖縄県民を「土人」呼ばわりしたり、取材中の記者まで拘束したり……。
 また、普天間基地のオスプレイ機が海岸べりに墜落したのに、米軍の司令官が「人家の上に落とさなかったことをありがたく思え」と言わんばかりの発言をし、そのうえ日本政府まで、住民のオスプレイに対する不安をよそに、安全性の確認もしないまま、事故からわずか6日後に飛行再開を認めてしまう、等々。
 さらに、普天間基地の移転先として辺野古の埋め立て工事をめぐって、前知事の認可を現知事が取り消した問題に、最高裁まで民意を無視して前知事の認可のほうに軍配を上げるなど、沖縄県民から見るとまさに「踏んだり蹴ったり」の状況なのだ。
 こうした状況に対して、本土のメディアがまた、沖縄に対して冷たいのだ。オスプレイの事故を沖縄の新聞は「墜落」と書いているのに、本土のメディアは政府発表通り「不時着」と報じているのもその一つ。
 また、沖縄の新聞は、米国の軍事専門家に取材を重ねて「海兵隊は沖縄にいる必要はないのだ」と繰り返し報じているのに、本土のメディアは「辺野古に基地を新設以外に解決策はない」という政府の説明を信じているような報道ばかりが続いている。

オバマ大統領の広島、安倍首相の真珠湾訪問、謝罪なし

 今年はオバマ大統領の広島訪問があり、それに応えるような形で安倍首相の真珠湾訪問も実現した。日米関係にとって長年の懸案の一つであり、その点では一歩前進と高く評価できよう。ただ、両者ともその際、懸案の相手国民に対する謝罪はなく、その点が何とも残念だった。両者とも謝罪していたら、今年は歴史に残る年になったのに――。
 とくに安倍首相は「戦前の日本は悪くなかった」という歴史観の持ち主で、米国からも歴史修正主義者だと警戒心を持たれているだけに、絶好のチャンスを見逃したといえよう。憲法違反の疑いが濃い集団的自衛権の行使まで認めて米国にすり寄った安倍首相としては、その歴史観を改めない限り、当の米国からも、さらにはアジア諸国からも真の信頼感は得られないことを知るべきだ。
 一方のオバマ大統領の広島訪問では、就任直後の「核廃絶を目指すプラハ演説」のあとに広島訪問を希望したのに、日本の外務省が断ったという事実を思い出し、就任直後だったらなおよかったのにと思いを新たにした。
 ただ、離任間近とはいえ、米国民の間に広島訪問への抵抗感が強いなかで、あえて訪問に踏み切ったことは高く評価するが、もう一歩踏み込んで謝罪まですれば、歴史に残る大統領になったのに、と残念に思う。
 両者が謝罪するには、両国のメディアがそれをあと押しする必要があろう。その機運にはまだ至っていないようだ。
 メディアといえば、安倍首相の真珠湾訪問は現職の首相としては初めてと報じられたが、実は4人目だったという。発表が間違っていたのだとしても、メディアとして恥ずかしい話である。

北方領土、期待は空振りに

 年末にロシアのプーチン大統領が来日し、安倍首相の故郷、山口県の温泉に入って首脳会談が行われた。安倍首相とプーチン大統領は、気が合って首脳会談を何回も繰り返してきただけに、北方領土問題にも朗報が、と期待されたが、まったくの空振りに終わった。
 明るい期待を振りまいた安倍首相周辺の責任も重たいが、それに乗せられたメディアの責任も決して軽いものではない。
 それにしても、安倍首相に最も近いといわれている読売新聞と日本テレビのインタビューに応じ、事前に首脳会談の見通しを明らかにしたプーチン大統領周辺の戦略のしたたかさには、舌を巻いた。
 首脳同士が仲良くすることは、どんな国同士でも歓迎すべきことだが、ウクライナやシリアの問題などで、米国や欧州と厳しい関係にあるロシアとの急接近だけに、安倍外交について世界からどう見られるか、ちょっと心配なところでもある。

昭和は遠くなりにけり!

 今年は、昭和を彩った人たちが次々と世を去った。政治家でいえば加藤紘一氏、作家でいえば永六輔氏、ジャーナリストでいえば、むのたけじ氏、等々。「昭和は遠くなりにけり!」とあらためて感じた戦後71年だった。

 

  

※コメントは承認制です。
第97回 「権力の監視」ができなかった今年のメディア」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    「権力監視ができなかったメディア」との、柴田さんの2016年総括。そんなメディアをつくり上げてしまったのは、受け手である私たちでもあるのでしょう。「メディア」とひとくくりに批判するだけでなく、素晴らしい記事、よかったなと思った記事に対しても、きちんと反応を返していきたいと思います。

  2. 鳴井 勝敏 より:

    >憲法違反の疑いが濃い集団的自衛権の行使まで認めて米国にすり寄った安倍首相としては、その歴史観を改めない限り、当の米国からも、さらにはアジア諸国からも真の信頼感は得られないことを知るべきだ。
     アジアでの戦争を検証することを怯える安倍外交。安倍の歴史観はアメリカにはないものだろう。アメリカはミスも犯すが修正も早い。動くことで国民に「一生懸命」をアピールする姿は痛々しい。日本丸の寄港地が不透明だけに不安が募る。

  3. なると より:

    だから、敵基地攻撃論は昭和の昔からあるんですってば!

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柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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