映画作家・想田和弘の観察する日々

『選挙』『精神』などの「観察映画シリーズ」で知られる映画作家、
想田和弘さんによるコラム連載です。
ニューヨーク在住の想田さんが日々「観察」する、
社会のこと、日本のこと、そして映画や芸術のこと…。
月1回の連載でお届けします。

第39回

「原発」と「報道の自由」——「外」とズレていくニッポンの常識

 拙作『牡蠣工場』のプロモーションや講演活動などのため、珍しく日本に約4ヶ月間滞在した。

 ある社会の内側に長くいると、その中での常識や感覚に次第に慣らされて、社会の外側の感覚から大きくズレていくことがある。

 そのことを最近改めて実感したのは、熊本地震が起きた直後である。

 僕はあのとき、『牡蠣工場』の上映に出席するため、スイスのチューリッヒにいた。震度7という強い地震が起きたと知ったとき、その直接的被害と同時に気になったのは、川内原発の状況だ。とりあえず原発に異常がないことを確認し、不幸中の幸いとホッとした。そして原発が地震発生後も稼働し続けていることに、強い違和感と不安を覚えながらも、日本国内での「空気」を考えれば、さして驚くこともなかった。

 だが、チューリッヒで出会ったスイス人たちは違った。

 スイスは福島原発事故を受けて、段階的脱原発を宣言したお国柄である。九州で大きな地震が起きているのに、原発が稼働し続けていることに、みんな目を丸くして驚いていた。その驚く様を眺めながら、「そりゃ、普通はそう反応するよな」と、4ヶ月の滞在で自分に半ば染み付きかけていた「日本の感覚」をおかしく感じたのである。

 そもそも原発は、地震や津波がなくても破滅的な大事故を起こす危険性を抱えている。それはスリーマイルやチェルノブイリで、すでに明らかになったことだ。もともと大きな地震が少なく、津波などほとんど起きようもないスイスが脱原発を宣言したのも、そういう認識があってのことであろう。原発とは、地震や津波の有る無しを問わず、相当に大きなリスク要因なのである。

 なのに、我が祖国・日本ではどうだ。

 すぐ近くで震度7の地震が起きても、原発敷地内では震度2だったから大丈夫だなどと、原発を厳しく規制し監視する立場であるはずの規制委員会がうそぶいている。

 たしかに、敷地内が震度2にとどまるのなら、その揺れが事故を起こす可能性は低いのであろう。だが、今回の地震は気象庁が「経験したことのない地震」と呼ぶほど、専門家にも先の読めない地震である。原発敷地内で強い地震が起きる可能性は、決して低くない。というより、今回強い地震が原発内で起きていないことは、偶然としか言いようがない。また、今後も原発付近で津波が起きないと、誰が断言できよう。

 加えて、たとえ敷地内がそれほど揺れなくても、周辺で送電線が倒れるなどして外部電源が失われれば、原発は冷却を非常用電源に頼らざるをえなくなり、一気に危機的状況に陥る。それは福島事故で痛いほど思い知らされたことではなかったか。

 百歩譲って、原発を今止めると大規模な停電が避けられないから、事故のリスクがあっても稼働し続けざるをえないのだというのなら、まだ理解のしようもある。だが、九州電力は川内原発が再稼働するまで、約2年間も原発ゼロで電気を賄っていた。それには大変な努力と工夫が伴ったのであろうが、原発なしで電力を供給することが不可能ではないことは、すでに証明されているのである。ならば、未曾有の地震の中、破滅のリスクを冒してまで、原発を稼働し続ける合理的理由はないのではないだろうか。ましてや、審査基準を通ったからといって、この夏、伊方原発まで再稼働させる理由がどこにあろう。

 そんなことを考えていたら、またも外側の目を意識させられるニュースに目がとまった。「表現の自由」に関する国連の特別報告者デビッド・ケイ氏が日本を訪れ、「日本の報道の独立性は重大な脅威に直面している」と警鐘を鳴らしたのである。

 ケイ氏は4月19日の記者会見で、秘密保護法やメディアの自己検閲、放送法を根拠にした政府による恫喝、記者クラブ制度などに懸念を表明した。それらは僕らが常々批判してきたことであり、内容に目新しさがあるわけではない。

 しかしそれでも、改めて「外」から指摘されるとハッとさせられるものがある。同時に、報道の独立性が毀損されていることに、半ば慣れつつあった自分を発見するのである。

 くしくも毎日新聞によれば、NHKの籾井勝人会長は局内の災害対策本部会議で、「原発については、住民の不安をいたずらにかき立てないよう、公式発表をベースに伝えてほしい」と発言したらしい。かつて「政府が右ということを左というわけにはいかない」と述べた人物の発言なので、僕には「またか」という思いしか起きず、驚きもしなかったのだが、やはりそれではまずいのではないか。

 思えば人間とは、こうして悪い状況に少しずつ慣らされていくことによって、更に状況がズルズルと悪化しても受け入れることになり、いつの間にかとんでもない地点にまで流されていくのではないか。

 そういう意味では、国際NGOである「国境なき記者団」が4月20日に発表した「報道の自由度ランキング」は、私たちがすでに「とんでもない地点」に漂流しつつあることを突きつけてくる。ランキングによれば、2010年には報道の自由度世界第11位だった日本は、たった6年で72位にまで急落したのである。

 日本の内側の常識に浸っているむきには、「こんなに自由な国なのに、何かの間違いでは?」と意外に思われるかもしれない。実際、報道ステーションでジャーナリストの後藤謙次氏は「ちょっとこの数字については、われわれにはあまり実感がないんですけどね、でも世界はそういう目で見ているということだと思うんですね」と、どこか他人事のように述べていた。

 だがその感覚は、あまりにも鈍感すぎるし、能天気すぎると思う。これは、後藤氏がしきりと気にしていたように「世界からどう見られているか」が問題なのではない。そうではなくて、日本で報道の自由が実際に日々失われ、その現場のど真ん中にいるはずの後藤氏にまでそうした自覚がないことこそが、真に問題なのである。

 

  

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第39回 「原発」と「報道の自由」——「外」とズレていくニッポンの常識」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    福島第一原発の事故から5年。汚染水や汚染土に関する報道など、ある時期までなら大騒ぎになっていただろうニュースを耳にしても、「ああ、またか」と思ってしまっている自分に気づいてはっとすることがあります。表現の自由についてもそうですが、私たちは知らず知らずのうちに、いろんなことに「「慣らされて」しまっていないか。寓話にある「ゆでガエル」になってしまってからでは、遅いのです。

  2. Upwake4 より:

    原発停止しても核燃料棒集合体の核反応を弱める制御だけで核燃料棒の核反応は止められない。内部・外部電力を失って核燃料棒を冷やせなくなってメルトダウンしたのが福島の事故。メルトダウン原子炉を5年間水で冷してるのは原子炉壁が溶けないようにしてるだけ。水では核反応は止まらない。水冷止めて放置してればメルトスルーでチェルノブイリ級事故。外部電源に頼る原発停止より外部電源喪失しても自立できる原発稼働が安全。福島では全基自動で緊急停止したのが間違い。1基手動停止にしとけば全電源喪失を防げた。原発停止を叫ぶのは茹でる前から頭がゆだったゆでガエル。核燃料の最終処分にも触れず廃炉を叫ぶのも無責任な魔女狩り集団。

  3. ぼんやりしていては より:

    ああ、慣らされてしまっていると感じます。いったいぼくたちは賢くなれるんでしょうか、原発は事故処理とテロ対策と廃炉の費用でコストが高いのは厳然としている。そもそも事故の金を出す保険会社もいないから国が出す仕組み。廃炉の保険会社もいない。福島のデブリをどうするか未定であり費用も莫大、処理年数も。福島の所長のコメントからも破滅的でありえたことも知っている。原発事故は破滅的。アメリカで当初平和利用と言って核兵器の恐怖をぼやかしたことも知っているのに。その目的を核抑止であることを隠そうともしないのに。鈍感になっている。だけど原発は僕たちだと思って、廃炉を背負って、核廃棄物も、福島の事故処理も、自覚が薄れないようにしないと。チェルノブイリでは30年たったいまでも出口は見えない。はっきり言う原発事故はとうてい許容できない。報道の自由も脅かされている実感がある。権力闘争のみの政治論も経済力のみの経済論も人権も主権も下にしているから許容できない。

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想田和弘

想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。
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