映画作家・想田和弘の観察する日々

『選挙』『精神』などの「観察映画シリーズ」で知られる映画作家、
想田和弘さんによるコラム連載です。
ニューヨーク在住の想田さんが日々「観察」する、
社会のこと、日本のこと、そして映画や芸術のこと…。
月1回の連載でお届けします。

第11回

北京で思う秘密保護法のこと

 秘密保護法案が衆参両院で強行採決され、12月6日に成立した。その直前、僕は中国の首都・北京にいて、本欄の原稿を書いていた———。

 12月2日。いま僕は北京のホテルでこの原稿を書いている。

 僕の映画を5本一挙に上映する特集上映が、昨日無事に終わった。今日はこれから、あの張芸謀や陳凱歌を輩出した北京電影学院へ赴き、『選挙』の上映と観察映画のレクチャーをする。

 「この数日、風が強くて天気もいいから、空気が綺麗なんですよ」

 現地に住む人からは、そう言われた。たしかに、報道を見て恐れていたよりも空気の状態はいい。マスクをしている人もほとんどみかけない。

 とはいえ、やはりそれでも空気は汚れている。息をするたびに、鼻腔や喉が何らかの化学物質によって刺激されるのを感じる。そしてだんだんヒリヒリしてくる。皮膚もなんとなく荒れてくる。絶対に我慢できないほどではない。実際、だいたいはそのことを忘れている。しかし、それは確実にそこにある。そして少しずつだが健康を蝕んでいく。

 中国にいても忘れられないのは、いままさに祖国・日本の国会で成立しようとしている秘密保護法案のことである。
 法案を批判する側は、「日本を中国のような国にしたいのか」と問う。逆に法案を推進する側は、「中国の脅威など、日本の安全保障を巡る環境は厳しさを増しているから秘密法制が必要だ」と主張する。どちらの側からも中国は引き合いに出される。だから中国にいると、何かを見聞きするたびに、秘密保護法案のことを考えてしまう。

 この原稿を書きながらも、ときおり日本のニュース・サイトをチェックする。が、しばしサイトがロードされない…。

 レストランや観光名所などのサイトはすぐに表示されるが、日本のニュース・サイトの表示にはやたらと時間がかかる。おそらく検閲用のフィルターがかけられているのだろう。ニューヨーク・タイムズなどは、そもそも完全にブロックされて読めない。

 おっと、やっと表示された。

 自民党の石破幹事長が、法案に反対するデモについて「絶叫戦術はテロとあまり変わらない」とブログに書いたことが問題になっている。デモをテロと同一視する人たちが国家権力を握り、危険な法律を通そうとしている。いつもなら僕もツイッターやフェイスブックで論評するところだ。だが、中国ではいずれのサイトもブロックされていて、投稿できない。そこに日本の未来の姿をどうしても重ねてしまう。

 秘密保護法案が成立し施行されたら、日本での生活はどう変わるのか。

 たぶん、僕ら反対派が想像する通り、言論を巡る環境は中国に近い抑圧的なものになるだろう。でも、日常の風景は、おそらく今とほとんど変わらない。だから人々の危機感や不満も募らない。そこが極めてトリッキーなところだ。

 まず、当たり前のことだが、秘密法が施行されて「暗黒時代」が訪れても、朝になれば相変わらず太陽は昇り、世界は明るく照らし出される。そして人々は職場や学校へ出向き、仕事や勉強に勤しむだろう。公共機関もレストランも病院も介護施設も普通に営業するだろうし、表面的には何も変わることはない。

 では、メディアはどうか?

 これもたぶん、表面上は何も変わらない。相変わらずニュース番組は放送されるし、新聞や雑誌は様々な社会問題を論じるだろう。あまりに見た目が変わらないので、みんな拍子抜けするんじゃないだろうか。

 「なんだ、秘密法が施行されても、影響はないんだな」などと。

 しかし、表面的には影響がなくても、その深層では根本的な変化が進行するだろう。つまり、権力者が隠したがっている問題が、ほとんど報じられなくなるということだ。報じられないので、私たちはその問題があることすら知り得ない。

 こんなことをリアルに想像してしまうのは、やはり僕が中国にいるからだ。

 中国にいても、テレビをつければニュース番組が様々な社会問題を報じている。日本の秘密保護法案のことも、自衛隊の空母の映像や安倍首相のコワモテの顔写真などとモンタージュされながら、時々刻々と伝えている。だから、この国のマスメディアも報道・言論機関であるような錯覚を抱く。

 だけど、彼らが報じる「社会問題」に政府批判は決して含まれない。政府が隠したい「秘密」も報じられない。現地でお世話になった中国人のA君は、1989年に起きた「天安門事件」の存在を最近まで知らなかったという。世界的には超有名なあの事件のことを、報道統制のために当の中国人がなかなか知り得ない。

 では、ネットはどうか。中国版ツイッター「微博」等のサービスが充実しているので、みんな不自由を感じていないように見える。事実、若者の大半は路上でもレストランでも美術館でもスマホを片時も離さず、指をシャカシャカ動かしている。表面的には、「自由を謳歌」しているのだ。ユーチューブやツイッターやフェイスブックにアクセスできないという「不自由」のことは忘れて。

 秘密保護法が施行された後の日本の生活も、たぶんそんな感じだ。いや、考えたくもないことだが、自民党のあの醜悪な改憲案が通った後ですら、たぶんそんな感じだ。見た目には、生活は何も変わらない。少なくともしばらくは。時の権力者の意志に反することをしない限りは。

 そしてときどき、秘密法違反で誰かが逮捕されたことが報じられる。その人の呼称は、マスコミのルールにのっとって機械的に「容疑者」とされる可能性が高い。よって、多くの日本人は「何か悪いことをした人が逮捕された」と認識するのではないだろうか。秘密法そのものの不当性は忘れてしまって。コンプライアンス=法令遵守という美名のもとに。

 秘密保護法は、おそらく北京の大気中を漂う化学物質のような存在になる。普通に生活をする分には、我慢できないほどではない。だいたいはそのことを忘れている。しかし、それは確実にそこにある。そして人々に見えないところで、国や生活や民主主義を少しずつ腐食させていく。

 僕がいまから危惧しているのは、日本人の大半が、その存在に慣れてしまうのではないかということだ。

 「反対派は危機を煽ってたけど、やっぱり大丈夫じゃん」

 そういう雰囲気が形成されていくような気がしてならない。

 福島第一原発から出た放射能の存在にも、だいたいの人は慣れてしまった。少なくとも意識だけは。

 しかし、人間の身体がいきなり放射能に「慣れる」ことはない。放射能に晒されれば、僕らのDNAは破壊される。破壊されても、すぐにはそれを五感で感知することができないだけだ。逆に言えば、感知できるほど破壊されたときには、手遅れかもしれないのだ。

 それと同様に、秘密保護法は民主主義を確実に破壊していく。しかし僕ら主権者はそれを感知できない。国家の情報は僕らの知らないところで秘密に指定され、何が秘密に指定されたかも「秘密」だからだ。感知されたら意味がないのが、秘密保護法の「効力」なのである。

 そして破壊が秘密裏に粛々と進み、本当に手遅れになったとき、わたしたちはそれを痛いほど感知しツケを払わされるのであろう。それが「戦争」なのか、「国家の破産」なのか、「第2の福島原発事故」なのか、あるいは予想もつかない「何か」なのか。

 それは誰にも分からないのだ。 

 

  

※コメントは承認制です。
第11回 北京で思う秘密保護法のこと」 に5件のコメント

  1. magazine9 より:

    かつての戦争のときも、もしかしたら最初はこんなふうだったのかもしれない。最近、ふとそんなことを思って怖くなることがあります。表面上は何も変わらないように見えて、けれど実は本質的な何かが、気づかないうちに確実に変わってしまっていた…。「本当に手遅れ」になる前に、「ツケを払わされる」前にストップをかけるには、まずは「忘れない」こと。しつこく気にし続けて、そして「黙らない」こと。それしかないのかもしれません。

  2. スメルジャコフ より:

    中島みゆきの「吹雪」という曲に「恐ろしいものの形をノートに描いてみなさい そこに描けないものが君たちを殺すだろう 間引かれる子どもの目印 気付かれる場所にはない」という歌詞がありますが、以前からもそして最近の社会のあり方からもこの言葉がいつもちらつきます。

  3. 鳴井勝敏 より:

    秘密保護法が施行されても,「日常の風景は、おそらく今とほとんど変わらない。」「メディアもたぶん表面上は変わらない。」そのことに慣れてしまうのではないか、との指摘。日本列島をく覆う伝統的な社会風土がその風景を醸し出す。つまり、「皆さんがそうしています」と言われ思考停止に陥る体質。「赤信号みんなで渡れば怖くない」という風潮。これは、私達が子どもの頃から人と同じように生きることのメリットを叩き込まれた結果だと考えている。                                                                    日本国憲法も民主主義も究極の目的は「個人の尊重」。だから、「受験学力」ではなく、「思考学力」を高め、お互いの違いを認め合う教育システムの構築を急がなければならない。                            批判精神の鈍化は民主主義の脅威。権力は批判の対象だからだ。だから、「善良な人々の沈黙」は民主主義の脅威なのだ。 この脅威が、早晩日本国憲法及び民主主義を破壊しても何ら不思議ではない。

  4. 想田さん 中国からのコメントありがとうございます。
    すごく勉強になります。

    <秘密保護法についての私の考え>

    1 秘密保護法は憲法無効化・廃憲法

     秘密保護法ですが、違憲であり、国会議員が自分で自分の首を絞め、国会を機能不全に陥れている。にもかかわらず採決を強行して「特定秘密保護法」を成立させて有頂天になっている安倍や麻生、石破、町村、高村、山口、太田らの気がしれません。

     秘密保護法は憲法無効化・廃憲法だと思います。次に続く廃憲法第二弾たる共謀罪、国家安全保障法の制定は狂気の沙汰(他に言葉を見出せません)としか言いようがありません。

     秘密保護法制定にあたり、自由や人権や報道の自由を侵害するものではない旨を謳いこんでいますが、国民主権や自由・人権を侵す法律は日本国憲法憲法98条に該当し、無効です。それをあえて謳いこむところにもこの悪法の危険性が潜んでいることを「法」自らが認めていると言えます。

    2 安倍政権が抑圧し潰したい目的は、市民メディア圧殺

     「3.11」を体験し、多くの人が、このままでは自分の命はもとより未来の命を守れないと気づき、人類は核と共存できないとし、観客民主主義から主体的民主主義へと脱却し、行動する市民に進化し続けていると思います。主権者の多くが、座標軸の中心に「命」を据え、価値観を転換しました。それに動かされ二政党が脱原発あるいは原発ゼロへと等の原発基本方針を転換させました。
     気づいた市民は、自分の思いを風刺画、合成写真、キャッチコピーとしてボードや布に描き、集会やデモ行進に持参したり、駅頭などでのスタンディング行動として意思表示し始めました。それを市民メディアがインターネットを駆使して世界に同時発信する。NHKなどを籠絡させた安倍政権といえども。市民メディアを籠絡させることはできない。そこで「特定秘密保護法」を制定し、弾圧する。
     しかし 「市民ボード」は、日本列島全体に燎原の火のごとく燃え広がり始めていると思います。それは新しい市民文化であり、多くの人に気づきを与え、連帯感を生み出しています。日本改革の大きな力になると確信します。

    3 秘密保護法廃止の闘いは続く

     2012年4月27日に決定し28日に公表した「自民党憲法改正草案」は、憲法「改正」に名を借りた立憲主義転覆の無血・壊憲クーデターです。
     日本国憲法96条を「改正」して、「自民党憲法草案」を制定するのが当面困難になったので安倍晋三首相は、個別法の具体化で憲法無効化を図り、その手始めとして「特定秘密保護法」を制定しました。12月6日、廃案を求める5万余の人と一緒に行動しました。安倍晋三首相は「嵐がすぎ去った」と表現したが、嵐は過ぎ去るどころか、明け方まで「安倍晋三よ恥を知れ、自民党よ恥を知れ、公明党よ恥を知れ!」「特定秘密保護法廃止・廃止・廃止…」のコールは続きました。そして来年1月の通常国会初日に国会周辺で秘密保護法廃止要求一大行動(10万人規模)が取り組まれる予定です。

    4 「3年間国政選挙はない」と報道するメディアにひとこと

     あちこちで国会議員の定数配分は違憲判決が出されています。にもかかわらずメディアは「3年間国政選挙はない」ということを報道している。国民に政治変革をあきらめさせようという意図があるのではないかと疑いたくなります。報道すべきは違憲状態の国会議員数で、解散総選挙で信を問うべしとすることだと思います。

    2013年12月21日 しまざき英治
     
     

  5. osakabemitsuko より:

    北京の空気と秘密保護、とてもリアルです。昨日から私はツイッター凍結されていて、金曜日やマガジン9条
    をよんでみて、腑に落ちる事がわかりました。都知事選に向けて誰かれ構わずコメントぶつけて来たのですが、
    支流と思っていたら大河の流れになっているのですね。それこそ「未熟な河童の川流れ」でした。

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想田和弘

想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。
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