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2013-07-10up

雨宮処凛がゆく!

第267回

被曝労働〜事故後の福島第一原発で働くということ。の巻
(その1)

 参院選を前にして自民党が発表した公約は、原発再稼働に随分前のめりな内容だ。

 しかし、再稼働どころか、事故を起こした福島第一原発からは今も放射能がばらまかれているという現実がある。

 最近、あるデモの動画を見ていて、改めて愕然とした。それは福島第一原発から排出される放射能が、今も1日あたり2億4000万ベクレルというスピーチの動画。こうして改めて数字で聞かされると、トンデモないことが現在進行形で続いていることがわかる。が、わざわざそういうことをネットで調べたりしないと、たちまち世間の「収束ムード」に飲み込まれそうになってしまう。そんな中、自民党が公約に堂々と原発再稼働への前のめりな姿勢を打ち出せること。そのこと自体が、「どうせあいつらもう忘れているだろう」という形で、人々をナメまくり、こちらがナメられまくっていることの証拠なのだと思う。「忘れっぽい有権者」は、どこまでもナメられる。だから決して忘れてはいけないのだと、自分を戒めている。

 もうひとつ、決して忘れてはならないことがある。それは今この瞬間も、福島第一原発では、多くの作業員が被曝しながら収束作業にあたっているということだ。

 ということで、今回はあの原発事故のあと、福島第一原発に働きに行ったごぼうさん(仮名)に話を聞いた。

 ごぼうさんは東京在住の30代前半の男性。事故の翌年の2012年1月から約10ヶ月間、福島第一原発で働いた。

 働くきっかけは、失業。11年の中頃、それまでしていた新聞配達の仕事を失い、失業給付を貰いながら仕事を探していたものの、なかなか見つからない。そんなとき、知り合いに紹介されたのが、福島第一原発の仕事だった。

 「原発で働くって、怖くなかったですか?」。まずは聞いてみると、「怖かったですね」と言いながらも、彼は続けた。

 「でも、仕事なかったら原発に働きに行く確率って高いと思うんですよ。遅かれ早かれ。仕事が安定してる人たちは違うかもしれませんが。今、日本全国、仕事ないじゃないですか。特に地方は最低賃金も低いし地元に仕事がない。そうなると、ピンハネされるってわかってても、原発や除染の仕事についた方がよっぽど高いって現実があるんです」

 そうして12年1月、ごぼうさんは面接のため、東京から福島の営業所を訪れる。その数日後には、もう働き始めていたそうだ。

 ちなみに事故後の福島第一原発で働くにあたって、被曝についての説明や安全教育などはどのように行なわれているのだろうか?

 「まず初日に、AB講習っていう放射線管理の講習を受けました。Jヴィレッジで、他の会社とも合同でした。それは管理区域で働く人用の講習で、講義受けたりビデオ見たり、です。それで最後にテストがあって、それに通らないと働けないんですが、すごい簡単で、結局だいたいみんな通る試験です」

 ちなみにテストは問題用紙も答案用紙も使い回し。ごぼうさんの場合、使い回しの答案用紙にあらかじめ○がついていたので(前の人の回答)、それをそのまま写したら全問正解だったという。更に机の上に答えが書いてあったりということもあったそうだ。講義については真面目に受けている人もいたものの、ゲームをしたり寝たり喋ったりする人も多かったという。「福島第一原発で働く」。その言葉からはものすごい緊張の現場を連想するわけだが、ごぼうさんの目の前にあったのは、それとはかけ離れた現実だった。

 ちなみに働くにあたって雇用契約書などは交わしていない。働き始めてから半年以上経って、やっと「雇用通知書」が渡されたという。それも他の人が「雇用契約書などはどうなっているのだ」、と東電の労使センターに電話をして、初めて「事務所に置きっぱなしで渡し忘れてました」という言い訳とともに渡されたのだという。

 また、被曝に関しては、「内部被曝はそのうち出ていくから、下がるから」という説明・・・。

 労働条件はというと、日給は一万円で残業代は出るという内容。いわき湯本の宿に泊まり、宿泊費と1日2食は会社持ちとなっていた。事故後の福島第一原発で働くというハードすぎる状況に比して、決して「いい待遇」とは言えないだろう。しかし、働き始めて半年ほど経った頃、会社は宿代や食費を自己負担にする、と急に言い出したのであった・・・。

 ということで、次回からはその顛末と原発内部の労働、そして原発労働の下請け構造に迫りたい。

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まるで原発事故は「終わったこと」でもあるかのように、
再稼働や海外輸出に突き進む現政権。
その一方には、こんな現実があります。
あまりにもずさんな管理体制が、なぜ見逃されたままなのか。
疑問と怒りが膨らみます。

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雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

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