鈴木邦男の愛国問答

 7月10日(日)、参院選の投票が行われ、即日開票された。自民党の圧勝だった。アベノミクスや経済よりも、「改憲」のことが大きく取り上げられていた。7月11日(月)の新聞は皆、この「改憲」がトップだった。「改憲3分の2 発議可能に」(産経新聞)。「改憲4党 3分の2に迫る」(朝日新聞)。「改憲勢力 3分の2」(東京新聞)…と。
 
〈焦点の憲法改正では、自民、公明両党とおおさか維新の会などの改憲勢力が、国会発議の要件となる3分の2(非改選と合わせて162議席)に必要な74議席以上を確保した〉(産経新聞)

 これで憲法改正は現実のテーマになった。「やっと改憲できる。これで日本も救われる」と狂喜する改憲派。「ダメだったか」と絶望感に襲われる護憲派。安倍首相は喜びをかみしめながらも、改憲は急がないと余裕の発言をしている。「選挙では改憲の是非が問われていたものではない」としながら、こう言う。「(憲法改正の国会発議に向けて)しっかりと橋はかかったんだろう。私の(自民党総裁)任期はあと2年だが、憲法改正は自民党としての目標だから落ち着いて取り組みたい」。

 それに安倍首相は、「改憲は国民が決めることだ」とも言っていた。国会では発議するだけで、あとは国民投票で決まる。つまり、決めるのは国民の皆さんだ。自民党が独裁的・強権的にやれるものではない。そう言ってるのだ。しかし、「改憲だ!」と国会で発議された改憲案を「では、本当に決めるのは国民の皆さんです。冷静に判断し、決めてください」と言われても、冷静に判断できるものではない。

 英国では、6月23日に、国民投票で欧州連合(EU)からの離脱が過半数を占めた。扇動的な「独立」「愛国」のスローガンが勝ったのだ。日本でも、改憲の国民投票になったら、大騒動になるだろう。とても冷静に国防や天皇、人権…などを論じ、判断できる状況ではない。大体「国民に直接問う」という姿勢は正しいようだが、EU離脱や改憲のような国家的テーマを国民の熱狂と喧騒のなかで決めていいのか。時間をかけ、冷静に議論するべきだろう。

 実際、イギリスでは、国民投票後に、世界中の批判や経済的損失などを見て、「だまされた」「こんなことになるとは思わなかった」という声も上がっている。「再投票」を求める声もある。そんなこと、初めから分かっていただろうに…と外国の我々は思う。しかし、マスコミや政治家に煽られ、我を忘れた国民は冷静に見ることは出来ないのだろう。アメリカのトランプ現象もそうだ。敵を認定し、激しく攻撃すれば、それで気分はスッキリするだろう。しかし、問題は解決しない。そんなことも分からないのか。声を荒らげて攻撃すれば、敵は次々と消えてゆく、とでも思っているのか。まるでゲームの世界だ。イギリスやアメリカの失敗を見て、理解できないのは本人たちだけではないか。そんなことを感じた。

 いやいや、そんなことを言う資格はないのかもしれない。日本だって世界中から同じように見られている。まわりの国々と仲良くする努力もしないで、挑発し、わざと批判・攻撃を呼び寄せて、「ほら見ろ、だから防衛だ」「だから改憲だ」と言っている。孤立する国民も「そうだ、そうだ」と思う。国が強くなれば、自分も強くなれるような気がする。改憲したら、我々一人ひとりも強くなれる。賢くなれる。そんな気がするのだろう。
 
 昨日(7月11日)、渡部恒雄さん(東京財団上席研究員)の講演を聞いた。「トランプ現象のアメリカの深層を考える」と題して、アメリカを分析する。詳しい。トランプ現象やイギリスのEU離脱は、決して他人事ではない。日本だって、そういう大問題に直面したら、冷静ではいられない。宣伝・情報・扇動…の中で、理性など吹っ飛ぶ。冷静な判断など出来ない。

 「憲法改正を問う国民投票の時は、そうなるでしょう」という話になった。国会で3分の2をとったのだから、いつでも発議はできる。でも「決めるのは国民の皆さんです」と言う。そして、国民投票にかける。たとえ、一時の熱狂だとしても、過半数の人が自民党の改憲案に賛成することはないだろう。それほど愚かではない。そう思う。いや、そう思いたい。だって「過半数」だよ。5千万人以上の人が扇動に乗り、我を忘れて賛成するなんてないだろう。

 「いや、国民の過半数じゃないんです。国民投票の過半数なんです。だから、どのくらい人数か分かりません。限定もありません」と渡部さんは言う。たとえば、地方の知事、市長などの選挙で、やたらと投票率の低いところがある。3割とか、もっと低いところが。その過半数をとっても、全人口の15%が支持しているだけだ。あとの85%は反対かもしれないし、少なくとも「無関心」だ。でも15%でも、住民の支持を得た、と言う。
 
 さて、改憲の国民投票だ。投票率がいくら以上、なんて規定はない。3割だろうが、2割でも1割でも「成立」する。もし1割しか投票しなかった場合、そこで過半数をとったといっても、全体の5%だ。5%で改憲が決まるかもしれない。

 家に帰って『模範六法』(三省堂)を見てみた。第96条が「憲法改正の手続」だ

〈この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする〉

 国民投票ではなく、選挙の時でもいいんだ。「まあ、○か×をつけるだけだから」。それで、過半数をとる。でも、海外からは猛バッシングだ。「あれは間違った情報を与えられていたからだ」「扇動されたんだ」と言って、弁解するのか。イギリスと同じことが繰り返されるのかもしれない。

 

  

※コメントは承認制です。
第202回国民投票で、冷静に「改憲」を判断できるのか?」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    今回の参院選で、自民党は選挙期間中には改憲にはほとんど触れない代わりに、アベノミクスを全面に押し出して、「争点隠し」と言われました。「国民の投票で決める」というのは、一見公平なようですが、オープンな情報提供やしっかりと時間をかけた議論が市民の間でも行われることが、必須条件になります。しかし、メディアが自己規制するなど、いまの状況ではその前提が整っているとは思えません。
    国民投票法については、「過半数」以外にも、国民投票運動のルールなど、議論を必要とする問題があります。詳しくは「風塵だより 74」や、「立憲政治の道しるべ 第98回」もあわせてご覧ください。

  2. 島 憲治 より:

    国民投票で、冷静に「改憲」を判断できるのか?
    できません。とても危険です。 閉塞感の強まる世相に響き良い勇ましい言葉。一般人はもとより、エリート層や知識人までに響き亘る。
     国のあり方を謳う憲法。そのあり方を改正しようなど、大衆迎合政治(ポピュリズム)の萌芽が色濃く表れてきた状況下でやることではない。独裁政治が実現することを歴史が教えているからだ。
    この状況下に立ち向かうには「思考する」しかない。一人一人が自分の足で立とうするのか否かだ。

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鈴木邦男

すずき くにお:1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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