鈴木邦男の愛国問答

 僕らが小学校や中学校で習った「偉い人」は、皆、外国人だった。ワシントン、リンカーン、シュヴァイツァー、ナイチンゲール…と。これが戦後教育の典型かもしれない。当時は全く気付かなかったが。自分たちの周りにはそんなに偉い人はいないけど、遠い世界には凄い人がいるんだ、と思った。でも、戦中・戦前だったら、こんなことは教えない。外国人なんか出てこない。「偉い人」は日本の政治家であり、軍人だったりする。
 そして今、「日本を取り戻そう」ということなのか、歴史や道徳の教科書に、偉い日本人を大量に登場させようとしている。二宮金次郎、野口英世…。さらに、イチロー、高橋尚子までいる。今、生きているスポーツ選手までが「道徳」の教科書に載るなんて、本人たちだって複雑な思いだろう。
 「偉い日本人」を無理に探し出してきて、「これこそ代表的日本人だ」「この人たちに続け」と、愛国心を鼓舞するつもりなのか。どうも、やってることが内向きだ。日本の偉人を沢山知り、「日本人の自覚」を深める。日本に生まれたことを幸せに思い、日本人に誇りを持たせる。そういうことだろう。小さいうちから、それを教える。
 〈小学3・4年生用の教材では、「伝とう文化を大切に」というテーマで、和服、和食、和室、風呂敷などについて写真付きで説明〉(「産経新聞」2月15日)
 日本のよさを発見し、日本の歴史を見直すのだろう。
 〈「他にどのような日本の伝とうや文化がありますか」と問いかけている〉
 子供たちにも、どんどん「発見」させようとする。でも、日本のいい面だけを教えていっていいのだろうかと不安になった。日本は素晴らしい、日本の自然も、食べ物も、着物も、美術品も素晴らしい…と。それだけを教えていいのだろうか。知らず知らずのうちに、日本の歴史に間違いはない、いい国だ…と思ってしまう。こんな素晴らしい国に生まれて幸せだ。それに比べて、まわりの国は何だ、と批判もするだろう。ちょっと心配だ。
 日本はいい国だ。しかし、失敗だってしたし、反省する所もある。日本の伝統・文化だって素晴らしいものもあるが、「野蛮だ」といって捨てられたものもある。おはぐろ、チョンマゲ、切腹、あだ討ち…などは、長い間、日本に続いたものだ。文化・伝統だろう。しかし、明治になって西欧化の中で、消えた。外国人の進言もあったのだろう。「こんなことをしていたら世界から野蛮国と思われますよ」「世界の流れについていけませんよ」と。それで、これらの文化・伝統を捨てた。この時、「外国からとやかく言われることではない」「圧力には屈しない」といって頑固に伝統・文化を守っていたら、その後の日本はない。
 歴史だってそうだ。失敗は沢山する。それはキチンと向き合い反省したらいい。戦争も従軍慰安婦も、南京大虐殺も。強制連行も。「いや、そんなことはやってない」「少しはやったとしても、他国も皆やってることだ」と強弁するのは見苦しい。日本のよさばかりを「道徳」で教えていたら、そんな傲慢な人間になるのではないか。
 それに「偉人」だけを教えるのも、いいのかなと思う。「偉人」は遠くにいていいのではないか。僕たちが戦後教育の中で習ったように、ガンジー、シュヴァイツァー・・・のように。はるか遠い外国に、そんな偉い人がいた、と教えるだけでいいだろう。今、生きているスポーツ選手などが教科書に載り、でも、いつかスキャンダル報道など出たら、どうするのか。それは十分ありえる話だ。
 「亡くなった人は、もうスキャンダルを起こせないし、安心だ」という人もいるだろう。でも、亡くなった人でもスキャンダルを起こせる。「実はこんな人だった」「こんなひどい側面があった」と、書かれることがある。
 小学校5・6年用の「私たちの道徳」にはイチロー、野口英世、坂本龍馬が入るそうだ。僕らのちょっと下の世代の人には「龍」の名前の入った人が多い。龍馬、龍二、龍…と。坂本龍馬は「偉人」だったのだ。今年の初めだったか新聞を見て驚いた。「坂本龍馬容疑者」と出ていた。同姓同名の人物だが、女性にふられて、腹いせに女性の裸の写真をネットに流したという。「リベンジ・ポルノ」というらしい。それで逮捕された。本人も悪いが、親が悪い、と思った。両親は「龍馬のような男になれ」という思いを込めて付けたのだろう。しかし、同姓同名だったら誇らしいと思うよりもむしろ、プレッシャーになるし、嫌だったろう。友人や学校の先生に、ひやかされたことも多かっただろう。道徳の教科書に載せたら、さらに「龍馬」は増えるだろう。そして、プレッシャーゆえの不幸も増えるだろう。
 もう1人、野口英世だ。この人も、文句なしの偉い人だと思った。僕らの時代は、別に「道徳」の時間はないが、歴史に出てくる、こんな偉い人がいるのか、と思った。
 それから何十年か経って、本屋で野口英世の本を見つけて、衝動的に買った。渡辺淳一の『遠き落日』(角川文庫)だった。平成4年で18版だから、かなり売れている。学校の授業で、「日本の偉人」として習った。それが懐かしいし、もっと詳しく知りたいと思って買うのだろう。上下2巻ある。上巻の本の帯には、こんな文章がある。
 〈人間・野口英世の破天荒な魅力と生命力にあふれる半生を赤裸に描く力作〉
 言葉はきれいだが、本当の野口英世はどうだったか。キチンと書いてやる、という覚悟を感じる。神のような「偉人」ではなく、「人間」として書く。「破天荒」「赤裸」…とくると、我々の習った野口英世とは違っているのかなと思う。
 作者の渡辺淳一は作家であり医者だ。実によく調べて書いている。それに医者だから、医者の野口に対してはかなり厳しい。凄い人だったんだ、偉い人だったんだと僕らはただ崇めているが、「果たして、言われるほどの凄いことなのか」と渡辺は言う。又、小さい時に大怪我をして手が不自由だった。それにもめげず、頑張って勉強した。アメリカに留学し、苦労して研究を続け…と僕らは習った。ところが、この本では、「人間」野口英世のことが赤裸に描かれている。借金の天才であり、自らの大怪我も、その口実に使った。借金をして、女遊びに使った。又、留学する時でも、「帰ってきたら結婚する」と約束して、女性の家から大金を出させ、そのあと破談にしている。極端にいうと結婚詐欺のようだ。読んでいて、いやな気分になった。
 身近な人たちは皆、知っていたのだろう。しかし、マスコミも週刊誌もネットもなかったから、一般的には「偉人」として伝えられた。今ならば、スキャンダルだけでつぶされただろう。偉人「野口英世」は生まれなかっただろう。だから、わざわざ近くの日本人の中に無理に「偉人」を見つけて、「それに習え」「続け」という必要はないだろう。坂本龍馬だって、土佐の郷土史家や司馬遼太郎によって「作られた」という人もいる。その部分も大きいだろう。それらの人々を教え、「日本人の自覚」をわざわざ教えることもないだろう。歴史は謙虚に坦々と教えたらいい。

 

  

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第149回 「偉い人」は作られたのか?」 に5件のコメント

  1. magazine9 より:

    日本はいい国で、文化も自然も素晴らしい。当たり前にそう思うからこそ、それだけをあえて強調して、押し付けるように教える必要があるんだろうか? と思います(外国人の生徒はどうすればいいんだろう? とも)。初めて鈴木さんにマガ9に登場いただいたときのインタビューで、「愛国とは、押し付けるものじゃない」「愚国、弊国とへりくだるくらいでちょうどいい」とおっしゃっていたのを思い出しました。

  2. ピースメーカー より:

    >歴史は謙虚に坦々と教えたらいい。

    それができるのでしたら、ハナから歴史を巡るいざこざが起こるはずがありません。
    右であれ左であれ、「価値観の違う他者(国)を抑圧するための道具として歴史を利用しようとする欲求」から逃れられないというのが根本的な要因なのであり、それから目をつぶっていては、1000年経っても解決できないでしょう。
    あえて「偉人」を教えるべきでないという意見が正しいのならば、あえて「負の歴史」を教えるべきでないという意見もまた正しいということにはならないでしょうか?
    このように問いかけられると、「いや、『負の歴史』を教えなければ、日本人はまた戦争を起こす!」などと反論をするサヨクや近隣諸国の人は多いでしょうが、それはまた「いや、『偉人』を教えなければ、日本人は自信を失ってダメになる!」という主張とどれほどの差があるといえるのでしょうか?
    ところでサヨクや近隣諸国の人が「見習うべき」というドイツで、『帰ってきたヒトラー』(ティムール・ヴェルメシュ 著)という風刺小説が爆笑必死のベストセラーになっているとのことです。
    http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/1018
    サヨクや近隣諸国の人の口からは反省一辺倒で凝り固まっているように思わされるドイツから、このような作品が登場するというのには大変興味深いものですが、ともかく、歴史を笑い飛ばすような余裕をドイツから「見習うべき」ではないでしょうか?
    とはいえ、ユーモアのセンスが0の、学生運動で青春を謳歌していた世代が引退されないかぎり、歴史認識問題解決のスタートラインに立つことも難しいと思いますが…。

  3. KR より:

    寺山修司の短歌に~身捨つるほどの祖国はありや~というのがあるが、その祖国という言葉は、いまや使う人はほとんどいない。どこか哀しげで、清涼な憂いを感じさせる言葉だ。そして内面の奥底にそっとしまっておきたい言葉でもある。
    政治家が中国や韓国などに対して、この国の相対的な地位低下を糊塗するために、「日本を取り戻そう」だとか、道徳教育で日本人の優位性を教え込もうだとか、個人の内なる祖国を、低俗な政治に引き出そうとしていることは、なんとしても許しがたい。

  4. 多賀恭一 より:

    真の偉人は、無名だ。
    広くその名を知られている段階で、
    「作られた偉人」であろう。

  5. 松蔵 より:

    人間には陽の部分と負の部分が同居するものです。
    相手のことを良く知らない時期には恋が出来るけれど、知り尽くしてしまったら嫌いになるか、愛に移行するしか無くなるものだとなのいうことは自身の経験でも友人・知人の経験談でもほぼ100%そうなので、完璧な偉人などが居るなどとは、歳を取る程に思えなくなるものですね。

    ピースメーカーさんのおっしゃるように、日本でも先の天皇を笑い飛ばすユーモアが受け入れられるようになって初めて右翼・左翼の縛りが無くなり、リベラルで余裕の有る国民性が培われるのかもしれません。
    イギリスの王室の在り方なども参考になりそうです。

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鈴木邦男

すずき くにお:1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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