柴田鉄治のメディア時評


その月に書かれた新聞やテレビ、雑誌などから、ジャーナリスト柴田さんが気になったいくつかの事柄を取り上げて、論評していきます。

shibata

 今月のニュースでは、フランスのパリで13日夜(現地時間)に起こった同時多発テロを真っ先に取り上げたい。劇場やレストランやサッカー場で週末の夜を楽しんでいた、何の罪もない市民たち219人が死亡し、300人以上の人たちが重軽傷を負った。
 オランド大統領は、非常事態宣言を発すると同時に、この犯行はIS(イスラム国)による犯行だと断定した。ISも犯行声明を出した。
 何とも痛ましい惨事で、テロの実行犯に対して激しい憤りを覚えると同時に、犠牲者に心からの哀悼の意を表したい。その気持ちはパリの市民たちと同じだと思うのだが、パリのメディアが「これは戦争だ!」と報じ、オランド大統領もそう叫んだという報道に、「その反応は間違いではないか」と私は思うのだ。
 というのは、2001年の9・11米同時多発テロのとき、当時のG・W・ブッシュ大統領が「これは戦争だ!」と叫び、その報復だとしてすぐアフガニスタンへの空爆に踏み切った。それを日本政府が支持しただけでなく、朝日新聞の社説まで「限定ならやむを得ない」と許容したことに当時、私は仰天したのである。
 私は、テロは犯罪であって戦争ではない、テロに対する報復として何の罪もないアフガニスタンの住民に対して空から爆弾を落とすなんて許されない、と考えたのだ。私はその数年前まで朝日新聞の社説を書いていた人間として、その疑問を後輩たちにぶつけたら、後輩から「だから『限定なら』と条件を付けているでしょ」と言い返された。一般市民は避けてテロ集団に限定した空爆なら、という趣旨だというのである。
 その言葉にまた仰天した。私は東京大空襲でわが家が焼けた空襲の実体験者なので、空爆に一般市民を避ける『限定』などありえないと思っているからだ。

イラク戦争が生んだIS、仏はイラク戦争に反対したのに

 ブッシュ大統領の怒りは、アフガン戦争からさらに「大量破壊兵器を持っている」という誤った情報をもとにイラク戦争へと拡大させ、フセイン政権は倒したが、その結果として、いま問題のテロ集団ISを生んでしまった。ISは、イラク戦争が生んだ『鬼っ子』だといわれている。
 フランスは、そのイラク戦争には反対し、国連安保理の決議もなしに米・英軍だけで突入したのに、いまはISと対峙する有志連合には加わり、ISに対する空爆をおこなっている。今回のパリの同時多発テロは、「空爆に対する報復だ」とISの犯行声明にもはっきりとうたわれているのだ。
 ISのテロといえば、今月初めロシアの旅客機が機内に仕掛けられた爆発物によって墜落し、224人が犠牲になった痛ましい事件があった。ロシアは有志連合とは別に最近、シリアへの空爆を始めており、これに対する報復だろうとロシアも認めている。
 そう見てくると、米・英・仏軍など有志連合やロシア軍による空爆によって、ISとは関係のない一般市民がどれほど殺されているのか、その報道がないので分からないが、恐らくISのテロによって死亡した人の何倍もの一般市民が空爆によって死亡しているに違いない。
 シリアから海外に逃れた難民だけでも400万人におよぶのだから、内戦に対する恐怖だけでなく、空爆に対する恐怖も相当なものなのだろう。ISの支配する地区の住民から見れば、空爆はテロそのものだといっても過言ではない。
 パリの同時多発テロに対して「これは戦争だ」というのは間違っている、と私が考える理由は、チャップリンの映画のなかの有名な言葉「人を殺せば殺人犯だが、戦争で大勢の人を殺せば英雄になる」を示せば分かるだろう。つまり、テロの犯罪性が薄れてしまい、戦争ならしかたがない、となってしまうからだ。
 ブッシュ大統領が「テロとの戦い」の名のもとにアフガン戦争、イラク戦争を起こし、米同時多発テロで死亡した人の何十倍もの米兵が死亡し、何百倍ものイラク、アフガン国民が死亡している。「正義の戦争なんてない。戦争はすべて巨大な犯罪なのだ」とするべきではないのか。

「憎悪の連鎖」を断ち切るには、空爆を戦争犯罪に

 パリの同時多発テロに対する報復として、フランスは直ちに空母まで出してシリアのIS支配地への空爆を強化した。続いて米国やロシアも空爆を再開。とくにロシアの出撃回数がすさまじい。恐らくISとは関係のない一般市民も大勢死に、パリと同じような地獄絵が再現されていることだろう。
 その報復にまたどこかでテロが起こるかもしれない。この「憎悪の連鎖」を断ち切るにはどうすればよいのか。「これは戦争だ」と見るのではなく、テロも空爆も無実の人を殺すのは「重大な犯罪だ」と見るところへ、一旦戻る必要があるのではないか。
 「空爆は犯罪だ」といえば、「そんなバカな」という反応が世界中の軍事関係者からあがるに違いない。空爆が犯罪になったら「戦争ができなくなってしまう」と。
 「そんな現実離れしたことを言ったって」と揶揄されそうだが、ちょっと待ってもらいたい。10万人の一般市民が死んだ東京大空襲を指揮した米国の司令官が戦後に「もし米国が敗けていたら、間違いなく私は戦争犯罪人になっていただろう」と述懐した話は、よく知られている。ヒロシマ・ナガサキが戦争犯罪であることは明らかで、米国がいつか日本に謝る日がくると私は信じている。
 最近のことでいえば、昨年のパレスチナ紛争で、イスラエル軍の空爆によって500人以上の子どもを含む2000人以上のガザの住民が殺されたが、正規軍の行為なのでテロとも犯罪とも呼ばれなかった。実体は無差別テロと同じなのではないか。
 また、先月初め、アフガニスタンで「国境なき医師団」が治療にあたっていた病院が米軍機に爆撃され、子ども3人を含む10人の患者と医療スタッフ12人が死亡した。米軍の誤爆ということで、オバマ大統領が謝ったが、謝れば済む話ではあるまい。
 空から爆弾を落とすという行為には、必ず無差別殺人という側面がつきまとうのだから、化学兵器や生物兵器が禁じられたように、戦争犯罪として禁じてもおかしくない要素を持っている。対人地雷やクラスター爆弾が禁止されていったと同じように、空爆を戦争犯罪として禁止することも決して夢物語ではないと私は思っている。

TBSの「サンデーモーニング」に産経新聞が噛みつく

 ところで、このパリ同時多発テロを日本のメディアはどう報じたか。テレビも新聞も連日連夜、このニュース一色といっていいほど大々的に報じられた。とくにテレビが熱心で、ワイドショーなどもほとんどこの事件を取り上げていた。
 そのすべてを見たわけではないが、メディアの二極分化がいわれるなかで、この事件に対する扱いや論調には、安保法案に対するような大きな違いはないように感じた。テロに対する激しい憤りと、その広がりを防ぐためには国際協力が必要なことなどを、ほとんどすべてのメディアが強調していたようだ。私のように「空爆も戦争犯罪に」というような『過激な主張』はどこにも見当たらなかった。
 事件の翌日がたまたま日曜日だったため、テレビはこのニュース一色になった感があったが、そのなかでNHKの国会討論会がこの事件を取り上げなかったことに、ちょっとがっかりした。各党がこの事件をどう見ているか、知りたかったからだ。
 恐らく、NHKは前から準備していたテーマにこだわったのだろうが、報道機関ならそのくらいの臨機応変はほしいところだ。そのため私はTBSの「サンデーモーニング」を見ていたが、憎しみの連鎖という言葉が出てきたり、イラク戦争に賛成した日本にも責任の一端はある、といった解説があったり、共感を持って聴いた。
 ところが、このサンデーモーニングに、翌日の産経新聞の一面コラム「産経抄」が激しく噛みついた。「テロ対策について識者が意見を交わすものと期待していたら当てが外れた」として、安保法制によって日本が米・仏による空爆の後方支援に踏み切れば標的になってしまう、等の発言を紹介したあと、「つまり『テロとの戦い』から脱落せよというのだ。相変わらずの『一国平和論』、フランス国民が知ったら何を思うだろう」と断じている。
 一国平和論とは、1991年の湾岸戦争の際、読売・産経が「一国だけ平和であればよいというのでは、世界の孤児になる」と、改憲して参戦せよと主張したもので、新聞の二極分化を際立させたときの論理である。イラク戦争にも賛成した産経新聞としては、米・仏の空爆の後方支援をやれと言いたいのだろう。
 日本がいまやるべきことは「テロとの戦い」への参戦ではなく、憎悪の連鎖を断ち切ることへの貢献ではあるまいか。たとえば、自らも難民を受け入れると同時に、各国にも呼びかけ、また難民救済のために多額の支援もすることだ。
 安倍首相が「ISと戦う国に2億ドルの支援をする」とエジプトで演説したことで、後藤健二さんら2人の日本人が殺されたことを考えても、憎悪の連鎖を煽る方向ではなく、逆方向の行動が大事だろう。
 当のフランスでも、テロで妻を亡くしたジャーナリストが「憎しみという贈り物はあげない」というテロリストにあてた手紙が大きな反響を呼び、空爆の強化に反対する声もあがりはじめたと報じられている。
 9・11で米国のメディアも世論も一色になった「あやまち」を、フランスも日本も繰り返してはならないだろう。

BPOの政府・与党批判を『無視』した読売新聞

 今月のニュースでもう一つ、NHKの「クローズアップ現代」の「出家詐欺」番組についての放送倫理・番組向上機構(BPO)の意見書が6日に発表され、翌日の新聞各紙が大きく報じた問題を論じたい。
 BPOの意見書の焦点は二つあって、一つはNHKの番組に重大な倫理違反があったという指摘、もう一つは、総務省が厳重注意したことは放送法が保障する「自律」を侵害する行為であり、自民党がNHKの幹部を呼びつけて説明させたのは圧力そのものだと、政府・与党を厳しく批判したこと。しかもBPOの政府・与党批判は初めてのことだという。
 この意見書に対する各紙の扱いは、例によって二極分化し、読売・産経・日経は、NHKに対する批判に重点を、朝日・毎日・東京は政府・与党に対する批判に重点を置いて報じていたが、なかでも読売新聞の扱いは極端に偏っていた。
 読売は、このニュースを1面、3面、社会面と大々的に報じていたのに、政府・与党に対する批判についての見出しは1本もなく、さらに「BPO検討委の意見書要旨」と題する80行近い別稿にも、政府・与党批判のことは1行も触れていないのだ。
 各紙の記事の見出しがどうなっているか、ある人が①NHK批判②政府・与党批判に分けて調べたところ、朝日は「①1本②6本」、毎日は「2対5」東京は「0対5」に対して、読売「7対0」産経「3対1」日経「2対1」だったという。
 読売新聞の「与党化」はいつものことではあるが、ここまで来ると異常としか言いようがない。恐らく読者からの抗議も殺到したのだろう、読売新聞は1週間後にBPO検証委員会の川端和治委員長のインタビュー記事を載せて、お茶を濁した。

沖縄県と政府が法廷闘争へ

 もう一つ、沖縄の普天間基地の移転先として辺野古に基地を新設する問題で、沖縄県と政府が鋭く対立している問題は、翁長知事が認可を取り消したのに対し、政府が同じ政府の国交省に不服を申し立てて「取り消しは無効」との決定を得るという「茶番劇」を経て、今度は沖縄県が「政府の決定は無効だ」と裁判所に訴え出て、法廷闘争へと発展した。
 沖縄県民の民意を無視して進める政府の「暴走」に、司法が待ったをかけられるかどうか、と闘いの舞台は裁判所に移った形だが、政府はどうせ敗訴はあるまいと工事をどんどん進めているのだから、ますます日本は民主国家でも、三権分立の国でもなくなってきたような感じである。
 そのうえ、県民による反対運動を力で抑え込もうと、警視庁の機動隊を沖縄に派遣したことにも驚いた。
 ただ、沖縄に冷たかった本土のメディアが、少しずつ沖縄県民の気持ちを理解し、「沖縄の民意を尊重せよ」という論調が増えてきたことと、自民党の若手勉強会で「沖縄の2紙をつぶせ」と言われたことが逆に作用して、本土で沖縄紙をとる人が増えているという事実には、ホッとさせるものがある。
 「沖縄に海兵隊の基地はいらないのだ。どうしても要るというなら嘉手納基地と併合を」といった論調に、本土メディアが一致できれば、事態は大きく変わるだろうと思うのだが…。

大阪ダブル選挙、自民推薦候補が敗けて官邸が喜ぶ不思議

 最後にもう一つ、22日に投票がおこなわれた大阪府知事選と大阪市長選のダブル選挙で、いずれも橋下徹・大阪市長が率いる大阪維新の会の候補者が勝ち、自民党推薦の候補者は敗れた。
 この結果に、安倍首相や菅官房長官ら官邸が秘かに大喜びしているというのだから、政界というところは何とも摩訶不思議な世界だ。橋下氏が改憲派で安倍氏や菅氏と意気が通じ合い、大阪維新の会が強くなれば、分裂した維新の党の力も弱まり、野党の再編も進まなくなるだろうとの思惑からだ、というのだから驚く。
 これでは、自民党の推薦候補の応援に何度も大阪入りした谷垣幹事長ら自民党の幹部たちは浮かばれまい。この状況を谷垣幹事長らはどうみているのか、訊いてみたいものである。

 

  

※コメントは承認制です。
第84回 パリ同時多発テロ、「これは戦争だ」との反応でいいのか!」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

    先週の想田和弘さんのコラムにもあったように、9・11に端を発した「テロとの戦い」はさらに多くの犠牲を生み出しこそすれ、テロを防ぐことにはなりませんでした。「憎しみの連鎖」に与しないことは、決して「一国平和主義」ではない。むしろ今こそ、「平和国家」としての役割を、もっと積極的に担っていくべきときなのではないでしょうか。

  2. ピースメーカー より:

    柴田鉄治さんにひとつだけ問いますが、あなたは日本の外交努力だけで国連から拒否権と言う制度を抹殺する事が可能だと思いますか?
    あなたの『過激な主張』を現実化するには、それが前提条件です。
    何故なら、常任理事国は空爆を前提とした軍備を確立しており、その制度の破棄を要求するならば、即座に拒否権を発動され、「空爆の戦争犯罪化」は塵芥と化します。
    要するに、そういった現実を見据えたうえでなお、「俺達がなんとかしてやる」という政治家が出ない限り、安倍政権の辣腕を座視する以外に術が無いのです。
    あなたが求める「自らも難民を受け入れると同時に、各国にも呼びかけ、また難民救済のために多額の支援もする」という事は、日本国民に相応の負担を要求する事になります。
    その要求に見合うだけの才覚を示さなければ、ただの他力本願です。
    そしてその他力本願ゆえに、安倍政権の跳梁をあなたがたは実質的に容認し続けているのではないでしょうか?

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柴田鉄治

しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。

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