映画作家・想田和弘の観察する日々

『選挙』『精神』などの「観察映画シリーズ」で知られる映画作家、
想田和弘さんによるコラム連載です。
ニューヨーク在住の想田さんが日々「観察」する、
社会のこと、日本のこと、そして映画や芸術のこと…。
月1回の連載でお届けします。

第13回

都知事選を終えて:
脱原発派・リベラル派の共闘のために

 都知事選が終わった。

 宇都宮健児氏に加えて、細川護煕氏が立候補したことにより、脱原発派の一本化論の是非が激しく論じられた選挙だった。それを巡る議論や諍いは、選挙が終わった後でも依然として続いている。そこで交わされている刺々しい言葉を眺めるかぎり、その有様は「ノーサイド」という状況にはほど遠く、宇都宮氏を支援した人々と、細川氏を支援した人々の亀裂は修復していないようにみえる。

 僕は当初から本連載(第12回)やポリタスなどで、今回の一本化の動きに対する違和感を表明してきた。だから僕が一本化というアイデアそのものに否定的なのではないかと誤解されることも多い。

 しかし、はっきりと申し上げておく。選挙で勝つためには、主張の似ている候補者の一本化は絶対に必要なのだ、と。だが、今回はどう考えても、時間的にも技術的にも土台無理だったのだ、と。

 よく考えてみて欲しい。

 宇都宮氏も、細川氏も、それぞれユニークな人生を生きてきた強烈な個性を持つ大人だ。それぞれ人生史も考え方も人脈も異なる。彼らが一本化といういわば「結婚」をするためには、まずは当然、お二人が顔を合わせ、それぞれの考えや目指すところを知り、話し合い、意見を摺り合わせるという作業が必要になる。よく考えれば当然ではないか?

 それなのに、今回は周りの親戚やら同僚やらが勝手に二人へお見合い写真を押し付けて、「脱原発のためにはこの人と明日結婚してくれ、結婚しないと勝てない」と迫ったようなものだ。特に宇都宮氏からしたら「お前が細川家の籍へ入れ」と一方的に告げられたようなもので、とても「はい、そうですか」と納得できるようなものではなかった。

 アメリカの大統領選挙では、民主党と共和党はそれぞれの党内で予備選挙というのを行う。党としての候補者を「一本化」するために、まずは党内で選挙をするのだ。

 その予備選挙にかける手間と時間とお金のかけ方が半端ではない。少なくとも日本の政党の総裁や代表の選挙の比ではない。

 4年に1回の大統領選がある年に入ると、1月くらいから6月くらいまで、実に半年という時間をかけて、各州で順次予備選挙や党員集会を行っていく。そのたびに候補者は現地入りして選挙運動をし、テレビ討論会で侃々諤々の議論をする。メディアもその様子を盛んに報じる。

 各州での投票結果が出るたびに、脱落していく候補者が出るから、州を移動し選挙戦が深まるにつれて、だんだんと候補者は絞られていく。最終的には20回以上討論会を重ねて、その死闘をようやく勝ち抜いた者が、晴れて本選の候補者となる。「一本化」には、凄まじい政治的エネルギーと時間とコストがかかっているのである。まあ、都知事選と大統領選を比べるのは無理があるかもしれないが、日本人も少しは見習った方がよいのではないか。

 ところが、一本化論者の中心的存在だった鎌田慧氏は、選挙が終わった後、朝日新聞への寄稿でこう綴った。

「せっかく、二人の元首相が、「原発を認めたのは無知だった。間違いだった」と公衆の面前で重大な告白をしても、宇都宮氏を推す共産、社民の陣営はかつての小泉政治を批判して聞く耳をもたず、共倒れとなった。日本の政治の未成熟さだった」
(2月11日、朝日新聞デジタル)

 しかし、「日本の政治の未成熟さ」を示していたのは、本当に宇都宮陣営の態度だったのだろうか? 民主的手続きや対話のプロセスを素っ飛ばしても「一本化」が簡単にできるはずだと思い込んでいたことこそが、未成熟さを示しているのではないか?

 僕はこう書きながら、劇作家の平田オリザ氏が常々「日本には会話はあるけど対話がない」と言っているのを思い出した。平田氏の定義では、対話は自分とは異なる価値観を持つ「他者」との話し合いを指し、会話は内輪で行うおしゃべりを指す。平田氏いわく、日本人の多くはお互いを「分かり合える存在」だと考え、「人間はそれぞれ違う考え方を持っている」という前提に立たないので、良くも悪くも「対話」を通じて他者と向き合おうという姿勢や習慣が弱いというのである。

 今回の一本化論議では、日本人の癖が悪い方に出たように思う。

 つまり、「同じ脱原発派同士なんだから分かり合えるでしょ?」という前提のもと、分かり合おうとする努力や手続きや対話を怠ったのではないか。いや、そもそも、分かり合うための作業をする時間など、物理的になかったのにもかかわらず、「今は非常時だから」という火事場泥棒のような論理を持ち出して、無理矢理「分かってくれよ」と結婚を強要しようとしたのではないか。

 とはいえ、本稿の目的は一本化論者を責めることではない。

 僕は将来の選挙に向けて、みなさんに提案をしたいのだ。

 脱原発派・リベラル派が勝つために、今度こそ候補者の一本化を目指そう、と。そしてそのために、脱原発派・リベラル派といえども最初からは分かり合えないのだということを前提に、時間をかけて対話し、手続きを踏み、みんなが納得できるような候補者を立てよう、と。 

 具体的にはそれをどう実現するのか?

 一番望ましいのは、小さな党の合併を進めて大きな脱原発・リベラル政党を作り上げ、その中で予備選挙をすることであろう。しかし、党の「結婚」を進めていくには、それこそ気の遠くなるような対話と摺り合わせのプロセスが必要だし、時間がかかることも承知している。本来ならば喫緊の課題だが、残念ながらすぐに実現するとは考えにくい。

 では、政党間ではどうか?

 これまでにも政党間での「選挙協力」はなされてきたが、それをもっとオープンに進めるのはどうか。例えば、選挙で共闘できそうな政党がそれぞれの候補者を立て、その候補者間でディベートをし、議論を深め、超党派的な予備選挙をする。その予備選挙の結果には、参加した政党はしたがい、本選挙ではみんなで一人の候補者を支援する。どうだろう。難しいだろうか?

 「脱原発のため」というわけではないが、大阪ではなかなか興味深い試みが立ち上がっている。

 ジャーナリストの今井一さん、市民グループ「見張り番」代表の松浦米子さん、弁護士の辻公雄さんら市民有志が「真っ当な大阪市長候補を立てる会」を立ち上げたのである。ただし、今度の「出直し選」に慌てて候補を立てるのではなく、2015年秋の選挙に向けて「真っ当な候補者」を準備していこうという趣旨だ。会では、次のような手続きで候補者の選定を進めていくという。

 1)さまざまな個人、グループに参加を呼びかけた上で、各人が「この人を立てたい」というプレゼンを行う。

 2)3/2(日)13時~大阪市中央会館にてプレゼン。

 3)今回の市長選挙投票日(3月23日か30日)に、プレゼンで支持された人にみんなで直接会ってやりとりする場を設ける。

 4)できれば4月中に担ぐべき人物を決める。

 5)顔と名前を売り込むための活動を早々に展開。

 こうした市民の試みが今後成果を出せるのかどうかは、もちろん未知数だ。だが、選挙の直前になって「これじゃ分裂する! 一本化しろ!」と慌てることを避けるためには、これまでとは違うやり方を腰を据えて試してみなければなるまい。

 いずれにせよ、脱原発派・リベラル派が分裂せずに共闘するためには、「一本化せよ」「ノーサイドだ」と叫ぶだけでは全く不十分である。私たちには、徹底的な対話と、意見の摺り合わせが必要なのだ。そういうプロセスを経て初めて、私たちはようやく「小異を捨てて大同につく」ことができるし、本当の意味での「ノーサイド」を宣言できるのである。

 

  

※コメントは承認制です。
第13回 都知事選を終えて:脱原発派・リベラル派の共闘のために」 に4件のコメント

  1. magazine9 より:

    今回の都知事選だけではなく、いつも選挙の間際になって「入れたい候補者がいない」ことに気づく…。そんなことを、私たちは何度も繰り返してきてしまったような気がします。直前になってからではなく、日常から「応援したい、応援できる」候補者を探し、育てていく。大阪での試み、興味深く見つめています。

  2. トップ過半数取る以外は上位二名の再選挙となっていればねえ・・・。それぞれがまず追い上げて二位以上をとる為に運動する。そして、上位二人となれば次善の選択として細川であれ宇都宮であれ舛添以外を選択する。勿論、舛添には田母神票が載るが、決選投票ともなれば少しは投票率も上がるだろうし、その間に少しは有権者もものを考えるだろう。金が掛かるのは致し方ない、それは民主主義と言うのなら必要なコストなのだから・・・。義務化も必要かなあ。そうなると・・・、いっその事500円の商品券付きで投票行動を後押ししても良いのかなあと・・・。勿論、反則金5万円ぐらいもセットにしといて。今のままの制度ならこう言うことは何度でも起こるのは確か。

  3. 宇都宮氏が最初に勝手に名乗りを上げたのがそもそもの間違い。彼が本当に東京のことを考えるのであれば、候補者選定のテーブルをきちんともうけるべきであった。それが出来て誰か候補者が立てられたなら、おそらく細川氏は出てこなかったであろう。しかし、終わったことをいろいろ言っても仕方がない。今後をどうするかである。舛添氏は途中退任も十分ありうる。その場合は今度こそ、国会議員たちが主導して最初に話し合いのテーブルをもうけていただきたい。

  4. Tsuyoshi Uchida より:

    脱原発を主張する人の問題点は、核廃棄物の処理やエネルギー安全保障の問題、経済への影響を考慮せずに、結論ありきなのが問題。
    具体性のある対案があればまだ良かったのに…。

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想田和弘

想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。
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