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2011-04-13up

雨宮処凛がゆく!

第184回

俺の双葉町を返せ! の巻

とても素敵なコスプレの方と。

 何か、「伝説」が生まれる瞬間に、「歴史が変わる」瞬間に立ち会ったような気分だ・・・。

 それは4月10日、高円寺で開催された「原発やめろデモ」。なんと1万5000人が集まったのだ。しかも集まった人の多くが20代、30代。赤ちゃんや子どもを連れた人もたくさんいて、「デモには初めて参加する」という人が多かった。

 このデモの呼びかけは、マガ9でもおなじみ「素人の乱」。反原発運動の中心とかでは全然ない「素人の乱」の呼びかけに、これほど多くの人が集まったことにただただ驚いていた。みんなツイッターやブログで知って来たのだという。なんの動員もなく、「原発やめろ」という呼びかけにこれほどの人が集まったという事実。悪夢のような原発事故を受け、「本気で変えなければならない」と多くの人が感じているのだろう。

「ずっとウソだったんだね」

 ということで、この日、午後2時に高円寺駅に着いた時点で何かただごとではない雰囲気だった。駅構内を人が埋め尽くしている。しかもその多くが「脱原発」と書いたマスクをしたり、ガスマスク姿だったり、全身を覆う白い防護服姿だったりする。駅の南口にはさっそくプラカードを持った人がずらりと並んでいて、集合場所の公園に行くと、既に公園に入りきれないほどの人、人、人。そうしてみんなの頭の上から突き出すプラカードには、「健康第一」「NO NUKE」「人類に原発は無理」「子どもの未来を守れ」「今まで無関心でこめんなさい」「原発利権政党自民党糞糞糞」「キヨシロー、見てるか? 世界が動きだしたぞ!」などなどの言葉たち。中には東電トップの顔写真の下に「ずっとウソだったんだね」という書かれたものもあれば、「すべての原発を豆腐に!」という意味不明なものも。なんで豆腐?

 そうして各界の人からのアピールが続き(私も急遽頼まれてちょっと話した)、午後三時過ぎ、とうとうデモに出発!

 ランキンタクシーが20年前に作ったという曲を、私たちも一緒に叫ぶ。

 「生きてる奴らが声出せよ、やっぱり原発ダメ、ゼッタイ!」「事故ってパニック手に負えないならやっぱり原発ダメ、ゼッタイ!」「放射能食らって死んじゃうなんてイーヤーイーヤーよー」「いつの間にか漏れてたなんてイーヤーイーヤーよー」「生まれてくる子どもに恨まれるなんてイーヤーイーヤーよー」「豊かで不健康な暮らしなんてイーヤーイーヤーよー」。

 出発してから実に3時間半の間、私たちは高円寺の町を巡り、「原発反対!」「原発いらない!」と声を上げまくり、そして踊り、騒ぎ、解散地点に近づいた頃、サウンドカーから流れた曲は斉藤和義氏の『ずっと好きだった』の替え歌、『ずっとウソだった』! 駅前を「ずっとウソだったんだぜ」の大合唱が包み、そうして第6挺団まで膨れあがったデモ隊は、長い長い時間をかけて駅前広場に辿り着いたのだった。

「健康第一」、その通りです。

 この日、岩手から「原発反対」を訴えるためにわざわざ来てくれた人がいた。福岡から来た人もいた。そして、福島の人もいた。デモも終盤に近づいた頃、沿道でダンボールに殴り書きしただけのプラカードを掲げていた二人の若い男性。真剣な顔の彼らが両手に掲げたプラカードには「私は福島から来た"原発難民"です」「俺の双葉町を返せ!」という言葉が書かれていた。

 この日のデモのあと、駅前広場にいると知らないオジサンが絡んできた。「原発反対って、電気なかったら暮らせないだろ!」「お前ら全員、電車で来たんだろ!」。

 原発反対、というと必ず浴びせられる言葉なのだろう。なんとなく、こんな「絡み」を受けて、自分が「反原発」デビューしたような気分を味わった。ちなみに「原発なくなったら今みたいな生活ができなくなる」という声も多い。しかし、「今の生活」を維持するために、今回の事故のような恐怖を味わい、水や空気が汚染され、牛乳や野菜や魚から規制値を上回る放射性物質が検出されるという状態は、何か激しく「本末転倒」ではないだろうか。しかも、その影響がどこまで広がるのか、いつまで続くのか、本当に計り知れない。原発と共存するということはそんな恐怖をずーっと引き受け続けるということで、放射性物質の影響は、私たちがとっくにこの世からいなくなっても続く。そんな原発にビクビクしながら暮らすくらいなら、多少の不便には目を瞑りたい。そう思っている人は少なくないのではないだろうか。ちなみに日本の電力が原発に依存しているのは3割弱程度らしい。エネルギー政策の転換を本気で考えるべき時だ。

ガスマスクをしてる人と、福島第一原発をかぶってる人。

 前回の原稿で、原発について「必ず誰かが犠牲になる社会」の構図そのものと書いた。原発やめろデモの前日、私は被災地の人が200人近く滞在する東京武道館の炊き出しに行った。被災地から避難してきている人たちは、これから先がまったく見えない中で、不安を募らせている。原発のせいでいつ家に戻れるかわからないという人もいれば、放射能の値が高く、いまだ救助が手つかずの地域もある。一方で、命を危険に晒しながら原発で作業しなくてはならない人がいる。こういった「犠牲」をどこかに押し付けて、それで素知らぬ顔をしていていいのだろうか? というか、そのことに見て見ぬふりをしてきたのが、今までのこの国のあり方だったのではないだろうか? そのことを今、激しく反省している。

 「俺の双葉町を返せ!」。プラカードに殴り書きされたこの言葉は、私の胸に突き刺さった。それでも原発は必要という人に、あえて、問いたい。あなたはこの叫びに、なんと答えるだろうか。そして「双葉町」をあなたの住む町に置き換えても、同じことが言えるだろうか?

 デモのあと、高円寺の南口の路上でお酒を飲みながら、デモ参加者と語り合った。東京から一時的に避難していた人もいれば、被災地に入り、ボランティア活動をしたという人がいた。自分が家庭菜園で育ててきた野菜をすべて抜いたという人もいたし、農薬も化学肥料も使わずに農業をやってきたという人が、悔しい思いを口にした。「人が死ぬ電力っておかしいよね」と素朴な疑問を口にする人がいた。そんな中、都知事選で「石原当確」のニュースが入ってきて、私たちは一斉に「ええええー!!」と悲鳴のような声を上げた。

 「原発やめろデモ」は大成功に終わったものの、また石原都政が始まる。

 しかし、この日、私たちは新しい「伝説」を作った。原発は嫌だ、そう声を上げ、実際に1万5000人が集まったことは、きっと大きな変革のきっかけになるはずだと信じている。

素晴らしいパフォーマー二人組。放射能っぽい感じ??

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便利さのために、誰かに「犠牲」を押し付けて、
しかもそれに見て見ぬふりをしてきた私たちの社会。
そんな社会はもうイヤだ、との思いが広がったからこそ、
あの日、あれだけの人が集まったのでしょう。
これを収束させてしまうのか、「大きな変革のきっかけ」にするのか。
すべては、ここからにかかっています。

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雨宮処凛さんプロフィール

あまみや・かりん1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮処凛のどぶさらい日記」

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