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2012-08-08up

この人に聞きたい

青井未帆さんに聞いた(その1)

立憲主義の前提は、
「人の自由を守る」こと

今年春、自民党など三つの政党がそろって改憲案を発表。8月には、民主党が国民投票法における投票年齢の18歳引き下げ方針を表明、国民投票の実施が可能となる環境整備に向けた一歩を踏み出すなど、「改憲」をめぐる状況が、再び大きく動き出そうとしています。今出されている改憲案は、果たして何を目的としているのか? 憲法学者の青井未帆さんにお話を伺いました。

あおい・みほ
憲法学者、学習院大学法科大学院教授。 国際基督教大学教養学部社会科学科卒業。東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了、博士課程単位取得満期退学。成城大学法学部准教授などを経て、2011年より現職。主な研究テーマは憲法上の権利の司法的救済、憲法9条論。共著に 『憲法学の現代的論点』(有斐閣)、『論点 日本国憲法―憲法を学ぶための基礎知識』(東京法令出版)など。

すべてを憲法のせいにする「災害便乗型」改憲
編集部

 ここ数年、あまり注目を浴びることのなかった改憲論議ですが、今年の春になって、自民党、みんなの党、たちあがれ日本の3党が、それぞれ憲法改正案やその基本的な考え方を発表しました。自衛隊を「自衛軍」や「国防軍」と位置づける、天皇を「元首」とするなど、どれもかなり似通った印象を受けましたが、青井先生はこれらの改憲案をどうごらんになりましたか。

青井

 率直に申し上げて、こういう次元の話が出てきてしまうということに、とても衝撃を受けました。何と言ったらいいのか、同じ土俵に乗って正面から議論するのは労力の無駄のような気さえするレベル。でも、反論しないでいて何かのきっかけでガラガラっと動いていってしまうのも怖いし、どう扱えばいいのか困っているというのが正直なところです。

編集部

 というと?

青井

 立憲主義とか自由主義という概念とか、そもそも憲法が拠って立つ考え方についても理解されていない。それから、東日本大震災という災害に乗じた「災害便乗型」の改憲ではないかという指摘もありますが、本当にそのとおりだと思います。
 あの大災害において、あれだけの稚拙な政治的対応しかできなかった人たちが、それをすべて憲法のせいにしている。緊急事態条項がないからダメなんだと言うけれど、今でもすでに災害対策基本法の中に緊急事態対応のための規定はあるし、東日本大震災が起こったのは国会会期中だったんだから、必要なら法律をつくることもできたはずです。それもしないであんなお粗末な対応をしていて、憲法が悪いからそれを変えるんだというのは、理にかなっているとはとても思えません。

編集部

 これまでにも改憲については一定の議論がされてきましたし、特に自民党にとって「改憲」は結党以来の党是ですよね。そうしたこれまであった議論と比べても、さらにレベルが低い、ということですか?

青井

 やはり、自民党が野党になったというのが大きいのかもしれませんね。与党のときにはあまり大声で言えなかったことが、逆に言えるようになった。もちろん、一部の層の支持を狙っているというのもあるのでしょうが、それはいったいどこのどういう層なんだろう、と思います。ともかく、これが55年体制でずっと政権を担ってきた政党が出す案なのかということに、情けなくなるほどですね。

人ではなく「仕組み」で権力を統制するのが立憲主義
編集部

 では、特にその自民党の「日本国憲法改正草案」について、どこが問題なのかをもう少し具体的にお聞かせいただけますか。憲法が拠って立つ考え方についての理解がない、ということでしたが…。

青井

 どの条文が問題だ、というよりもまず、ものの考え方そのものの問題だと思います。全体として、やたらに国民に義務を課そうとしているのを見ても、憲法とは何ぞや、立憲主義とは何ぞやということがまったく理解されていない。近代立憲主義憲法ではないんですよね。
 一度、自民党の憲法起草委員会の事務局長である礒崎陽輔議員が、「立憲主義なんていう考え方は聞いたことがない」とツイートして問題になりましたが、本当に、明治憲法がつくられた頃のほうがむしろまだ立憲主義への理解があったはずだと思うくらいです。

編集部

 立憲主義の考え方では、憲法というのは国民が国家権力の横暴を防ぐために、国民の側から権力に「突きつける」ものですよね。そうではなく、権力の側が国民に「守らせるもの」として位置づけられているということでしょうか。

青井

 というよりは、その前の段階の話で。そもそも、近代立憲主義が何を目的にしているかというと、やはり何よりも人々の自由、人が生きたいように生きることができる自由を守ることなんですね。
 国家権力というのは、やろうと思えば何でもできるし、基本的には常に国民の自由を制約しようとするもの。だから、人権を侵害させないように縛らなくちゃいけない。それも、たまたま今の王様はいい王様だから大丈夫、ではなくて、あらかじめ存在している仕組みによって権力を統制することで国民の自由を守ろう、というのが近代立憲主義の考え方なんです。

編集部

 誰が王様になっても大丈夫なように、ということですね。

青井

 そうです。そうした、いわゆるフールプルーフ(操作を誤っても安全が確保されるような設計)な仕組みをつくろうということ、そして、そのためには権力をどう分配すればいいかといったおおもとのところを定めているのが憲法。つまり、私たちの自由を守るための仕組みの基盤をつくっているのが憲法であるという考え方が立憲主義だといえるんですね。
 こうした、立憲主義のコアな部分を前提にした上で、その先の憲法の内容についての議論をしようというならわかります。ところが、今回の改憲案は、決してそこを前提にしていないことが、そこここに表れているんですよね。むしろ、私たちの自由よりも先に「国家」というものが先天的に存在しているという認識のもと、その国家と個人との関係を、個人と個人の契約関係的なものとして捉えているんじゃないか、という気がします。だからこそ、権利があるなら義務もある、的な発想になって、国民にいろいろな義務を課そうという内容が出てきているのではないでしょうか。

国民に「憲法尊重」義務を負わせることの意味
編集部

 立憲主義を前提にしていないことが表れているというのは、例えばどの部分でしょうか?

青井

 やっぱり、憲法尊重擁護義務についての項目は衝撃的ですよね。現憲法では99条で「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と定めていますが、自民党案では102条で「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」と、国民を最初に持ってきている。
 あと、97条の「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」もなくなっている。97条を含む憲法第10章は、憲法の最高法規としてのあり方について述べている章ですけど、そこにこの97条があるというのは、やはり憲法は国民の自由を守るために権力を縛るものなんだ、ということを示しているわけですよね。それを削除する、そして国民に「憲法尊重」の義務を負わせる。これは、非常に象徴的だなと思います。

編集部

 憲法は、国民の自由を守るために権力を縛る目的で存在している。そのことを示す部分が、削除・変更されている。たしかに象徴的です。

青井

 憲法ってそもそも、「法律のつくり方」を書いてあるものなんですね。法律という、具体的に私たちの権利義務関係を変動させる仕組みをつくっていく、そのときには国民の人権を侵害してはいけませんよ、ということを定めているわけで。それなのに、国民がその憲法を尊重するというのは、どういうことなのかと不思議になります。
 本当に、日本国憲法制定から66年が経って出てくるのがこの改憲案なのかと、情けない気持ちにもなるのですが、代表民主制の国である以上、その案をつくっているのは私たちの「代表者」なわけで…。そして、憲法改正の国民投票というのは、その代表民主制の中で例外的に定められた直接民主制的要素なわけですが、それを受け止める土壌が果たして今の我々にあるのかな、という気もしてきています。

編集部

 というと?

青井

 他の国の憲法が、すべて改正に国民をかかわらせているかというと、そうじゃないわけです。例えばドイツでは、ナチスが台頭したのは国民がそれに喝采を送ったからだということで、国民には直接憲法改正にかかわらせない手法をとった。アメリカもそうです。改正は、議会の承認によって決定されるんですね。その中で、日本はあえて国民を憲法改正に直接かかわらせる道を取った。その重みは大きいんじゃないでしょうか。
 そもそも、私たちは簡単に「国民主権」というけれども、主権って本当にすごく大きいもので、マジックワードなんですよね。すべてをがらがらポンで壊して、何もなかったことにもできる、何事をもなしうる権利なわけですから。本来、そうそう簡単に行使できるような軽いものではないはずなんです。
 そういう重い権利を、立憲主義という当たり前の前提のもとでのきちんとした議論さえできない状態で、「なんとなく」行使していいものなのか。こんな改正案を出してくる国会議員を選んできちゃった、許してきちゃった私たちに、果たしてその重みを受け止めることができるんだろうか、と思うんですね。
 いま、大学で教えていてもよく学生に「立憲主義って何ですか」と聞かれます。でも、近代社会における「よき市民」を育てるためには、立憲主義の考え方は絶対に欠かせないもののはず。それは本来、高等教育ではなく義務教育のレベルで教えておかなくてはならないことなんじゃないか、と思うのですが…。

(構成・仲藤里美 写真・塚田壽子)

その2へつづきます

憲法は、国民の自由を守るためにある。
立憲主義のその前提に立てば、「権利ばかりが主張されている」といった、
的外れな憲法批判は起こってこないはずなのですが…。
次回、規模が拡大するデモや抗議行動を支える「武器」ともなる、
「表現の自由」についてもお話を伺います。

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