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2011-03-09up

リビアで今、起こっていること アーデル・スレイマン

40年以上にわたって独裁政権が続いていた北アフリカ・リビアで、
今年2月、大規模な反政府デモが発生。
動きが急速に拡大する中、
政府による武力弾圧で多くの犠牲者が出ていると伝えられ、
国際社会からは非難の声も高まっています。
では、そのリビアとは、そもそもどんな国だったのか?
人々はなぜ今、何を求めて立ち上がっているのか?
日本人の母親とリビア人の父親を持ち、少年時代の多くをリビアで過ごした、
アーデル・スレイマンさんに語っていただきました。

■リビアは暮らしやすい国だった

 僕の父親はリビア人で、母親が日本人です。生まれたのは日本なのですが、父親の仕事の関係で6歳のときリビアに移り、19歳までそこで暮らしていました。高校を卒業した後、日本のNGOで働くために今度は1人で日本に来たのが2006年のこと。今は通信社でアラビア語の通訳・翻訳をしながら、大学にも通っています。

 僕の知っているリビアは、もちろんその時期によって違いはあるけれど、安全だし、人もいいし、本当に暮らしやすい、住みやすいところでした。今も、もちろん大好きな国です。

 僕が初めてリビアに行ったのは1994年ごろで、国連による経済制裁のさなか。首都のトリポリでさえ、まだ高いビルは数軒しか建ってないような状況でした。モノも不足していて、砂糖や油など配給制のものもあったし、ジュースや煙草などの日用品もとても高かったですね。

 その後、徐々に市場経済が導入され、1999年に経済制裁が解除されると、徐々に経済発展も進んでいきました。街にビルが次々建ったり、高い外車に乗る人が目立つようになったりして。一方で、政府にコネのある人間だけがお金持ちになっていったりと、貧富の差が急速に拡大した面もあるんですが…。ただ、どちらにしてもそれで「食べていけなくて飢えている」人がいるような状況ではなかったと思います。

 僕が子どものころには、学校でも厳しく「反米」を教え込まれたりしたけれど、経済制裁が解除される少し前から、それも少しずつ変わっていきました。なんとなくちょっと政府がアメリカに接近しつつあるのかな、という雰囲気は感じていたし、現在のリビア国民のアメリカに対するスタンスもさまざまだと思います。

 アメリカの政府については、たしかに嫌いな人が多いです。特にイラク戦争やアフガン戦争のときにはリビアも空爆を受けましたから、その意味での「アメリカ」に対する敵対感情は強いでしょう。でも、アメリカ政府とアメリカ人は別だ、とちゃんと考えている人もたくさんいます。そもそも、みんなアメリカの音楽は聴くし映画も見ますからね。

 そう、映画や音楽については、基本的にいっさい制限がありませんでした。インターネットも普通に使えるので、海外の情報はちゃんと入ってきていたんです。海外のテレビも見られて、時間によってはNHKのBS放送も見られた。他の締め付けが厳しい分、そういう部分では自由を与えて、国民の不満が溜まりすぎないようにしていたという感じ。そこがサダム・フセインなんかとカダフィの違うところですね。

※国連の経済制裁…1988年、イギリス上空を飛行中だったパンアメリカン航空の航空機が爆発・墜落する事件が発生。のちにリビア政府の関与によるテロ事件と断定され、リビアは1999年まで国連による経済制裁を受けた。

■西洋的な「自由」はなかったけれど

 もちろん、何も問題がなかったわけではありません。公の場で政府を批判することは厳しく禁じられていたし、メディアにも基本的に政府批判はいっさい載りませんでした。革命直後のころのように「政府批判を口にすれば即縛り首」という時代ではないので、友達同士で話しているときに「カダフィはダメだ」みたいな話をすることはあったけれど、それを公に口にすることはありませんでしたね。1996年には、刑務所に収容されていた政治犯1200人が、突然軍によって虐殺されるという事件までありました。

 それに、「人民主権に基づく直接民主制」だというけれど、国民に決定権があるのは小さな問題だけで、国政にかかわるようなことにはまったく関与できない。そもそも、政府が何をやっているのか、何をしようとしているのかも、リビア国民にはまったく知らされないんです。2003年に「核兵器の廃棄」が発表されたときも、国民のほとんどの反応は「核なんて持ってたの!?」でしたから。

 それから、経済的な問題。教育や医療が無料だといっても、公務員の給料は経済制裁時代とほとんど変わらなくて、学校の先生はアルバイトをしないとやっていけないし、公営の病院は治療の質がとても低い。失業率も30%くらいと高くて、大学を出ても働くところがない、という若者も多かったし、なんとか仕事が見つかっても、それに没頭できるほどやりがいがある仕事は本当に少ない。だから、僕くらいの若い世代のリビア人はみんな「ヒマ、ヒマ」というのが口癖だったんです。

 リビアの石油埋蔵量は世界8位で、アフリカ大陸では3位。それだけ豊かな資源があるのに、この経済成長のスピードはどう考えてもおかしいですよね。それに、石油というのはいつか必ずなくなるものだから、それに頼らずやっていけるような、持続可能なシステムを今のうちに構築しなくてはいけないのに、それもできていない。それは、僕だけじゃなく多くの人が感じていたことだと思います。

 ただ一方で、だからといって「生活していけない」わけではないんですね。表現の自由などの西洋型の「自由」はたしかにないけれど、人々がそれをそれほど強くは求めていなかったという面もあったと思います。公に政府批判さえしなければ、とりあえず食べてはいけるし、経済成長のスピードが鈍いとはいっても、ビジネスチャンスがまったくないわけじゃない。その意味では、国民の間に不満はあっても、それが今すぐ爆発するという状況ではなかったと思います。

※革命直後…1969年、それまで王制だったリビアは、当時27歳のカダフィを中心とする青年将校らのクーデターによって共和国となった。

※直接民主制…カダフィは1977年に「人民主権に基づく直接民主制」への移行を宣言。このため、代議制による議会は存在せず、建前上は「国家元首」も存在しないことになっている。

■「今しかない」感覚が、人々を立ち上がらせた

 にもかかわらず、今回のような大規模な反政府運動が起こった理由の一つは、やはり「便乗」だと思います。

 「直接民主制」をとるリビアには議会もないので、正規ルートで政治を変えられる手法が基本的にはありません。としたら、リビアが変わるにはカダフィが死ぬか、もしくはクーデターしか手段がなかった。それだけに、クーデターなんて無理だし、どうせ何をやっても変わらないよ、というあきらめがリビア人の間にもあったんだと思います。だったら、普通に食べてはいけるんだし、今がベストではないけどこのままでもいいよ、と。

 ところが、今年に入ってチュニジアやエジプトの革命が起こったことで、リビアの人たちの中にも「自分たちも何かやれば、どうにかなるんじゃないか」という感覚が生まれた。同時に、「このタイミングを逃したら、二度とこういう革命的なムードは生まれない」とみんな思ったんでしょう。僕自身もそれは考えましたから。

 それでも、2月の初めにフェイスブックなどのインターネットを通じて「行動しよう」という動きがあったときは、まだそれは「反政府デモ」ではなかった。2005年の2月17日に、国内第2の都市・ベンガジで、イタリア大使館前でデモをしていた市民に対して軍が発砲し、死者が出るという事件があったんですが、この事件の犠牲者追悼を、同じ2月17日にやろうという呼びかけだったんです。それが、在外リビア人も加わってインターネット上で意見がかわされるうちに、だんだんと「独裁を打倒しよう」というような、より政治的な色合いのものに変わってきた。

 それでも、僕はまだトリポリでは何も起きないだろう、と思っていました。ベンガジは歴史的に反カダフィ感情の強い場所だし、2月17日の事件の「当事者」ですから、そこでは絶対何かが起こるだろうけど、トリポリにまでは波及しないだろう、と考えていたんです。

 ところが実際には、17日が来る前――15日ごろから、ベンガジで早くも小規模なデモが始まって。その翌日には軍の発砲があって、最終的には死者も出ました。それによって市民の怒りは爆発し、急速にデモが拡大していった。そしてそれがトリポリにも波及し、そこにまた軍が発砲したことで、さらに反政府の動きは激しくなっていったんです。

※イタリア大使館前でのデモ…2005年9月、デンマークの新聞にイスラム教の預言者・ムハンマドを風刺する内容の漫画が掲載され、イスラム社会に大きな非難の声を呼び起こした。その後、イタリアのベルルスコーニ首相がその風刺画をプリントしたTシャツを着用したことで、ベルルスコーニに対する反発の声も高まった。

後編へ→

お話を伺ってから数日の間にも、リビアの情勢は急速に動き続け、
NATOなどが軍事介入を検討しているとの報道もあります。
続きは近日中に、ブログにて公開予定です。

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