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2007-01-31up

【緊急提言】国民投票のテレビ意見広告は「2週間禁止」から「全期間禁止」にすべきだ。

賛否両論分かれている議論の中のひとつに、
国民投票運動中における、意見広告のテレビCMがあります。
発議された改定案について、賛否両論がテレビCMを使って訴えることを
「法律で規制すべき」なのか、「各テレビ局の自主規制に任せるべき」なのか。
「マガジン9」の発起人のお一人でもある斎藤駿さん(カタログハウス相談役)が、
「通販生活」の広告主として、テレビCMに約30年関わってきた経験も踏まえ、
国民投票運動の「テレビCMの規制」について、緊急提言です。

さいとう・すすむ(カタログハウス相談役)
1935年東京生まれ。76年 「カタログハウス」の前身である(株)日本ヘルスメーカー設立。82年 有料のカタログ誌『通販生活』を創刊。92年 「きんさん・ぎんさん」を起用した正月テレビCMが大評判。『通販生活』の名前を全国に知らしめる。広告主として、テレビ、新聞、ネットなどのメディア効果を検証している。

テレビの広告を論じることは
テレビの広告料金を論じることだ。

 「賛否双方に公平を約束できる広告の自主規制」について、新聞業界が「長期にわたって培ってきたわれわれの自主基準や判断にまかせるべきだ」と言うのであれば、それは信用してもいいと思う。

 たしかに新聞各社には、長期にわたって市民レベルの意見広告を掲載してきた実績があるからだ。意見広告に個人カンパで参加した人はみんな自分たちの意見広告料金を知っているから、その「知っている」「知られている」を目安として、新聞各社は国民投票用の特別料金を設定してくれるのではないか。

 新聞社はテレビ局とちがって経営を100%広告に依存しているわけではないし、媒体の広告効果もテレビより低いので(ごめんなさい)、広告料金はテレビに比べるとはるかに市民にも手の届く額だ。さすがに15段スペースとなると市民レベルでは手の届かない金額になってしまうけど、「賛否双方とも週1回3~5段スペースで掲載」というような公平な「量と料金」は(公開されている発行部数にもとづいて)つくられていくと思う。

 しかし、テレビ業界が、「われわれも自主規制できるからまかせてほしい」と言うのは、どうだろう。それを言うのであれば、議論の段階(法案が審議されている今の段階)で、「量と料金」に関する大まかな目安くらいは提示してくれるべきだ。その目安を判断材料として法規制と自主規制のどっちがいいかを考えるのが、議論の進め方というものだから。

 たとえば、「15秒スポットは週に最低何本くらい流さないと認知されない」とか、「関西エリアにその本数を流すと、およそこのくらいかかる」といった目安を、意見広告の広告主である国民はだれ一人知らないのだ。
(市民レベルの有料意見広告はテレビでは1回も出たことがない。「原発は安全だ広告」は企業広告として出ているし、AC公共広告機構の公共広告はスポットに空きが発生したときの穴埋め用として無料で流されているそうで、正規料金に直すと2000年実績で300億円を超えるとインターネットに出ていた)

 テレビの広告料金も新聞のそれと同じように、広告主の会社ごとに異なっている。つまり、これまでのテレビ局とのお付き合いの歴史(出稿の実績)や、そのときどきの出稿量で決まる。

 新聞との違いは一にも二にも料金の「桁の違い」。記憶に新しいところで松下電器の温風機事故に関する告知スポットを例にあげると、「テレビCMや新聞を通じた宣伝告知が130億円」(朝日・06年2月3日朝刊)かかったそうだ。このうちの新聞広告費の割合はわからないけど、テレビの現行料金が個人カンパでどうのこうのというレベルではないことはうかがえるだろう。

 民放連が本気で自主規制型の意見広告を考えていると言うのなら、なぜ今、「ほら、このくらいなら個人カンパ中心の意見広告を出せるでしょ」といった料金の目安を提示してくれないのか。今は私たちも国会の議員さんたちも目隠しされた状態のままで「意見広告」を論じているわけだが、目隠しをはずしたときに市民グループが申込める金額でなかったらどうなるのか。

 自主規制の「自主」とは「社会的責任」の謂ではないのか。

テレビの意見広告はどのくらいの本数を流せば一定の効果を得られるのか。

 新聞の意見広告なら「1回当り3~5段スペースを全国版あるいは県単位(地方紙)で掲載する」というふうに、1回当りの量単位はイメージできる。

 では、テレビスポットにおける1回当りの量単位はどのようにイメージすればいいのだろう? 期間中にどのくらいの「総量」を流せば一応の効果を上げられるのだろう?

 テレビの広告を論じることはスポットの本数(量)を論じることだ。テレビの広告は一瞬で消えてしまう広告だから、かなりの量をオンエアしないと記憶に残らない。テレビの広告効果は、質(表現)よりも量なのだ。

 意見広告の「総量」を考える手がかりとして、いま1日にどのくらいの量のテレビスポット(15秒主体)と番組提供広告(30秒主体)が流されているのかを推定してみる。テレビ広告の本数も秒数も各テレビ局からは一切発表されていないので(公共の電波を使っているのに)、唯一、入手できたテレビ局外のデータで推定してみると……。

[資料1:東京キー局5局の合計広告秒数](単位:千秒)

関東地区 2003年
 合計   番組  スポット
1月 2,165 666 1,499
2月 2,003 592 1,411
3月 2,259 623 1,636
4月 2,143 628 1,515
5月 2,183 655 1,528
6月 2,124 643 1,481
7月 2,216 673 1,543
8月 2,144 672 1,472
9月 2,121 639 1,482
10月 2,190 660 1,530
11月 2,153 649 1,504
12月 2,229 666 1,563

ビデオリサーチ「テレビCM広告統計データ」をもとに作成

 上表のうちの「03年1月」を例にして、キー局5局のスポット秒数1,499,000秒を15秒換算してみると、

1ヵ月 99,933本  
1日  3,331本(1局当たり666本)

 関東在住の人は5局のチャンネルを自由に切りかえて見ているわけだから(新聞を5紙併読する人は珍しい)、広告主は1局に限定して出稿するわけにはいかない。したがって1日当りの総量は3,331本になってしまう。

 これに、番組提供広告(上表記載)、局の番組PRスポット(上表に含まず)を加えたものが「1日当りのテレビ広告量」である。

 しかも、これは関東地区だけを対象とした量であり、広告主が全国を対象にしようと考えると、全国のネット局にも同じスポットを流さなければいけない。1日は24時間しかないので、広告秒数は各局とも東京5局と大差ないはずだ。

[資料2:全国のテレビ局(V局)]

エリア カバーエリア(都道府県)  放送局数
関東地区
東京・千葉・埼玉・神奈川・茨城・栃木・群馬
5
関西地区
大阪・京都・兵庫・滋賀・奈良・和歌山
5
中京地区
愛知・岐阜・三重・静岡
9
北海道地区
北海道
5
北九州
福岡・山口・佐賀
5
東北地区
青森・秋田・岩手・宮城・山形・福島
22
甲信越地区
新潟・長野・山梨
10
北陸地区
富山・石川・福井
9
中国地区
鳥取・島根・広島・岡山・山口
13
四国地区
香川・徳島・高知・愛媛・岡山
10
九州地区
大分・佐賀・長崎・熊本・宮崎・鹿児島
18
沖縄地区
沖縄
3
合計 114

 つまり、全国に流されるスポットは、「1日1局当り666本×114局」なのだ。このスポット大洪水の中で認知されなくてはいけないわけだから、スポット量=広告費は気の遠くなる金額になっていく。

 昨年、国会に参考人として出席された天野祐吉さんは「賛否の15秒スポットをセットにして、意見広告は必ず2本立てで流すようにすれば広告量の公平はつくれるかも」というラフスケッチを提案されていたが、それでも公平はつくれないだろう。改憲側の企業グループが民間団体をつくって60億円(60日×1億円)の広告をテレビ局に申し込んだとすると、対抗する改憲反対派も60億円を用意しないと公平はつくれないからだ。そして、現行の実施料金で考えるならば、この「60億円」は少しもオーバーな数字ではないのだ。

広告表現の自主規制について

 土台となる料金とスポット量の難問が解決できないのに、広告表現の問題を論じるのはナンセンスだが、テレビ局の広告考査には「ライバル批判は誹謗に当る」という解釈が強いので、たぶん、九条意見広告でもライバル批判の表現は認めない方向になると思う。

「九条が改憲されたら自衛隊はアメリカ軍の弾よけにされる」というワンフレーズは根拠のない誹謗として認められまい。
   
「九条を変えるなという人は、自衛隊を解散しろということか」というワンフレーズも同様に根拠のない誹謗として認められまい。

 結果として、どちら側からもクレームのつかない無害な表現しかオンエアされないだろうから、ますます、「量の競争」になるしかない。「ワンフレーズ」は量があって初めて効果を発揮するからだ。

 ことテレビ広告に関しては、ゼロの公平(法規制による全面禁止)以外に公平はつくり得ないと思う。

 「法規制はけしからん。公平が約束されなくても、広告を出す権利を奪ってはいけない」という主張は、どう考えても弱肉強食の規制緩和に通じる考え方だ。「国民の側から民主主義の公平を支えていくための法規制」のどこがいけないのか。ドイツでは「ハーケンクロイッツ」のマークや旗は一切法規制で禁止されているが、あれも言論の抑圧になるのか。

 そもそも、国民の知る権利、知らせる権利を、なんでわざわざ15秒で消えてしまうテレビの広告、個人カンパではとてもとても手の届かない高額なテレビの広告に求めなくてはいけないのか。それよりは、テレビやラジオで何回も特番を組んで、公平な数の顔ぶれによる討論会を重ねていくことこそ、「放送メディアが守るべき国民の知る権利、知らせる権利」ではないのか。

 憲法を改正したいという主張は主張として認めるのが民主主義だから、私は「国民投票法はつくったほうがいい」と考えるが、テレビの意見広告にかかわる以上の難問を克服できない状態のまま、拙速で「部分的法規制プラス部分的自主規制」という曖昧な国民投票法案を審議、可決しようというのなら、これは民主主義の蹂躙にあたると思う。

支持率低下中の安倍内閣ですが、施政方針演説では、
今国会での国民投票法案の成立を強く訴えました。
問題点を残したまま、憲法を変える手続き法という最重要法律を
制定してしまうことへの、強い疑問と不安をおぼえます。
みなさんは、どう思いますか? 
とくにテレビ業界のみなさんのご意見、お待ちしております!

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