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2011-02-09up

マガ9スポーツコラム

No.032

知らないふりをしていることを
皆が知っている不幸

 大相撲は興行である。同じメンバーが各地で巡業し、互いの部屋で出稽古をする。力士たちは日々、何度も身体を合わせる。だから相手の勢いや衰えも感じることができるだろう。ここがボクシングやレスリングといった格闘技と違うところだ。

 相撲ファンの方は、力士の対戦成績や前場所の戦いぶり、そして今場所の調子を見ながら、勝敗を占う。あまりに一方的な勝敗差がついていれば、大きく負け越している方が一矢報いることを期待したりする。

 いろいろな思いが交錯するなかでの本場所で、番付が上の力士が下の力士の挑戦を受ける際、格下の力士から「勝つ」という強い気持ちが伝わってきたら、格上の力士は土俵を割ってしまうこともあるだろう。とりわけ格下の力士の日々の努力を見ていればなおさらだ。その取り組みに説得力があれば、誰も八百長などとはいわない。

 マスメディアは「日本相撲協会はウミをすべて出し切るべきだ」という。でも私にはよくわからない。八百長をやった力士の口を割らせ、彼らを廃業させよということなのだろうか?

 日本相撲協会ならびに伊藤滋・早大特命教授を座長とする特別調査委員会、そしてマスメディアは八百長を前代未聞の不祥事としているが、彼らは「十両や幕下の力士がこれまで大相撲で誰もやったことのなかった八百長を自らの判断でやった」と本気で考えているのだろうか。

 日本相撲協会もマスメディアも、大相撲に八百長が昔からあったことを知っていながら、知らないふりをしている。だから「これを機に原因を徹底的に究明すべき」とか、「相撲ファンの信頼を取り戻さなくてはならない」といった言葉を聞かされると、大相撲を取り巻く空気から緊張感が消えていくように感じてしまうのである。

 大相撲にとって八百長騒ぎ以上に深刻なのはここ数年、土俵の上でエキサイティングな展開がほとんど見られないことだ。横綱・白鵬の双葉山の連勝記録(69連勝)への挑戦や大関・魁皇の通算白星新記録ばかりが注目されるのは、複数の力士が千秋楽まで優勝を争う場所がすっかり見られなくなったからである。

 その理由のひとつは、日本相撲協会が朝青龍を引退に追い込んだことにあると思う。彼の振る舞いに問題はあったかもしれないが、朝青龍の相撲は抜群に面白かった。角界のなかでも小柄な部類に入る彼が勝つために絞る知恵、繰り出す技、何より一時も動きを止めないスピードは魅力だった。小兵で、しかも長い間、一人横綱を張っていたのであれば、勝利の後に思わずガッツポーズも出てしまうだろう。

 朝青龍が「品格」云々を言われる前に、この稀有な横綱を倒す力士が登場しなければならなかった。しかし誰も朝青龍に引導を渡すことができず、下克上は成り立たなかった。

 その後は白鵬の天下である。大関陣は相変わらず場所後半になると黒星を重ねる。こんな退屈な場所が続くことに、日本相撲協会はもっと危機感をもってもよかったのではないか。冒頭に述べたが、大相撲は興行である。親方たちは番付の編成や取り組み決定の権限をもっているのだから、次世代の若手力士を育てる方法をもっと考えられたはずである。

 それと年間の場所数を少なくすること。

 6場所は多すぎると私は思う。異形の衆たちが90日間、裸で全体重をかけて頭からぶつかり、つぶしあうのである。怪我をしない方がおかしい。戦前は1場所11日の 「年2場所制」 で行われていた。力士たちを例えて、「一年を 二十日で暮らすいい男」という川柳がつくられたくらいだ。せめて春夏秋冬で年4回の開催にし、十分な稽古で怪我を防ぎ、切磋琢磨した力士が土俵で胸をあわせれば、おのずと土俵は盛り上がるだろう。

 春場所の中止はそんな機会になってほしい。

(芳地隆之)

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